分の悪い賭けはお好きですか?
振り返ると意外なほど近くに咲良崎が立っていた。
長い黒髪に和装、そして彼女特有の薄い気配のせいか、夜道で見ると幽霊の類かと錯覚してしまいそうである。
実はちょっと叫びそうになった、なんていうのはここだけの秘密だ。
「……えーと、何か用でも?」
「一つ二つ、お聞きしたいことがあります」
「聞きたいこと? ……ああ、そりゃいい。ちょうど僕もお前に聞きたいことがあったんだった」
並び立ち、夜の街路を歩いていく。春ということで夜でも十分に暖かい。これなら多少、長話になっても大丈夫そうだ。
クロハの奴は遅くなればなるほど不貞腐れるだろうけど――
「と、そうだ。ちょっと聞きたいんだけど、咲良崎的にメイドとして大切にしてるものって何かある?」
「大切にしてるもの……? 心構えのようなものと捉えてよろしいですか?」
「うん、そう。なければ別にいいんだけど」
「……そうですね。月並みですが、やはり主人への忠誠心だと考えます。その人のためなら例え死んでもいいというくらい強い忠誠心がなければ決して務まりません」
……想像の数十倍ヘビーな心構えだった。
過酷な職業なんだな、メイドって。
「ま……まぁ為になったよ。うん。それで、何が聞きたいんだ?」
「では、率直に聞きます。お嬢様に何をしたのですか?」
言って、咲良崎は足を止めた。そしてこちらの底まで見透かすような眼光を向けてくる。
何を、ね。真面目な質問に悪いが、それに対する僕の返答は一つだけだ。
「別に何も。強いて言うなら鼻の穴に悪戯しようとはしたけど、それも残念ながら未遂だよ。ああ、謝れって?」
「いいえ、それは今問題ではありません。聞き方を変えましょう。――嬢様に何の魔法を掛けたのかと聞いているのです」
「……っ」
反射的に飛び退る。咲良崎はそんな僕に絶対零度の視線を向けていた。
即座に死を連想させるほどの、曇りなく、圧縮された殺意の塊。
それはまるで、戦闘態勢に入った汐霧のような。
「……は、なるほどね。それがお前の本性か」
「お嬢様を傷つける者、苦しめる者、利用しようとする者。それらを排除するのが私に与えられた存在意義です」
「あっそ。それで、お前は何故僕が魔法を使ったって思うんだ? そう考える根拠を話せよ」
「憂姫お嬢様は誰よりも死に敏感です。例え鈍感であろうとしても、過去がそれを決して許さない。自身の生死を測り損ねる? そんなことはあり得ません。大方余裕のないお嬢様に幻覚魔法を掛けて、無理に恩でも着せようとしたのでは?」
塵ほどの疑いもなく、言い切る咲良崎。それほどまでにその過去とやらが凄まじいのか、ともかく彼女は汐霧の錯乱を僕によるものだと確信している。
というか、信用ないな僕。出会って数日なんだから当然といえば当然なんだけど、ちょっともの悲しい。
「……はは、いやぁ、流石にそこまで悪どいことは考えつかないって」
しかしどうしたものか。ここで嘘を言ってごり押すのは簡単だけど、咲良崎は確実に信じない。
良くて関係消滅、悪くて軍に働きかけて犯罪者に仕立て上げられる、なんてところだろう。
前提として、本当のことを話すわけにはいかない。話したら芋づる式に知られてはならないことまで暴かれかねないから。
そうなれば、今日まで積み重ねて来たものが全てゴミクズと化してしまう……あーもう、めんどくせえなぁ。
「……信じないだろうけど一応。僕は魔法なんて一切使ってないよ。そもそも幻覚なんて高等魔法使えないしね」
「そうでしたか。でしたら尚更聞かせていただきたいものです」
「わお、逆効果」
どうしようもない状況に溜息を吐く。
どうやら今日は厄日らしい。しかしよく考えるとここ数日はずっと厄日な気がするので、厄月か。
まぁ、だからと言って全てが裏目というわけでもない。咲良崎はどうやら僕の知りたいことを知っているようだし、何より今の状況でこの女が相手なら最悪の場合でも何とか誤魔化せる。
意を決して、僕は両手を上げた。
「……僕ばかり話すのもアレだから、交換条件だ。それさえ呑んでくれるなら話してもいいよ」
「交換条件?」
「まず、これから話すことを誰にも口外しないこと。そして……『汐霧憂姫』の過去を話すこと。正直に、嘘抜きでね」
「……それは……」
「あぁ、誤魔化そうとかは思わない方がいいよ。そしたらお互い嘘の吐き合いになってこの会話の意味自体なくなる……まぁ、僕はそれでもいいけどね」
「…………」
そうしてくれた方がありがたい、という弱音は喉元で辛うじて押し留める。
「……わかりました。その取引に応じます」
しばらく逡巡した後、咲良崎は重々しく頷いた。
その刹那。
「おっと」
夜闇を切り裂く鋭い呼気。体当たりするかのように肉薄してくる咲良崎をすれ違うようにして避ける。
彼女の手には、着物の袖に隠されていたらしき黒塗りのナイフがあった。
――そんな条件を呑むくらいなら僕が汐霧に何をしたかなんて聞けなくてもいい。
目の前の僕という害虫を殺してしまえば、それで汐霧の安全は確保できる。
先の言葉通り、咲良崎咲という少女にとってはそれが全てのようだ。
再び距離を詰めた彼女は、最速かつノーモーションの理想的な動きでナイフを突き出す。
漆黒に塗り潰された刀身が、僕の首をを刺し貫ぬく――寸前で。
僕はへらへらと笑って、言った。
「ま、そうなるよな」
意識をちょっとだけ集中。
肉体を少しだけ加速させる。
咲良崎と一瞬だけ同速の状態を作り出し、手を添えるようにしてナイフを掴んだ。
繊細に、繊細に。力の流れを誘導して、刺突の軌道を僕から紙一重分逸らすことに成功。
仕上げにナイフを軽く引っ張って、咲良崎の体勢を崩してやる。
「え――」
咲良崎が驚愕の表情を浮かべる。
どうしようもなく前傾する体。隙だらけだ。
その鳩尾へと、僕は最大限手加減した左拳を叩き込んだ。
「おぐっ……!?」
彼女の体が激しく揺れた。力が抜け、僕の左腕に寄り掛かるようにして崩れ落ちる。
気絶したのか。しかし演技かもしれない。すぐさま追撃を選択する。
この女は明らかに対人戦に慣れている。そういう相手はやり過ぎるくらいで丁度いいのだ。
僕は左腕を引き戻しながら、右腕を弧を描くように繰り出した。
「は……あっ!!」
同時、咲良崎の体が跳ねるように動く。
彼女は沈み込むように上体を反らした。僕の右腕を躱してカウンターの足を蹴り上げてくる。
狙いは顎。脳震盪による気絶を狙っているらしい。
僕はそれが分かっていながら、動かない。動けなかったからではない。動く必要がなかったからだ。
「【ソクバクセツナ】」
魔法名を呟く。魔力が輝き、その光が一瞬だけ辺りを照らす。
見ると、触れていないのが不思議なくらい近くに咲良崎の
それはピタリと静止し、微かにも動いていない。否、動かせないのだ。彼女の体は今、鋼糸によって雁字搦めになっているのだから。
魔法【ソクバクセツナ】。
効果は鋼糸を注いだ魔力の分だけ限界まで張力と硬度を増加させるというもの。
主な使用法として防御や鋼糸の固定、それを利用して鋼糸の絡んでいる対象の身動きを封じるなどが挙げられる。
「……先の右腕は……このためのものでしたか」
「やだな、人聞きの悪い。お前が自分から突っ込んで絡まっただけだろ? 僕はただ適当に撒いておいただけだよ」
「……白々しい」
「どうする? まだやるようならこのまま殺すけど」
「……。ひとまず解放してください」
「はいよ」
言われるままに鋼糸を解き、回収する。
今の彼女からはもう戦意は感じられない。解放しても取り敢えず先の二の舞になることはないだろう。悟られないよう、こっそりと安堵する。
「……何故、私が攻撃すると分かったのですか?」
「んー、僕の先生が対人戦のスペシャリストでね。予備動作とか対処の方法とか、みっちり教育された」
気配、体勢、動き方。すぐに僕には咲良崎がナイフの刺突態勢に入ったことが分かった。
当然、咲良崎はそれを知らない。
対人戦で、初手の読み間違いはそのまま敗北に直結する。今回は僕の情報勝ちってわけだ。
「その先生というのは……」
「もういない。死んだよ」
「……失礼しました」
「はは、別にいいって」
お前が謝ろうが謝らなかろうが、先生が死んだのは事実なんだからさ。
それはさておき実際、先生の教えがなければ咲良崎の一撃は防げなかったかもしれない。
まぁ僕の全ての戦術はその先生ありきのものなので、そんな前提だとあらゆる場面で何も出来なくなる。無意味な仮定ってやつだな。
「逆に質問するよ。お前のその対人戦術は誰に仕込まれた? 汐霧父? それとも自前?」
「私の出身では、自然に身に付いていく技術にございます」
「その出身地さ、汐霧も同じだろ?」
言うと、これまでずっと無表情だった咲良崎の顔が、初めて崩れた。
「……何故、そう思うのですか?」
「別に、ただの勘だよ。お前と汐霧はよく似ているからね」
もちろん外見の話ではなく、内面の話。
話し方や怒り方、殺気の出し方。普通は似ないような場所まで、この二人はとてもよく似ていると思う。
「最初はお前が汐霧の教育係か何かかと思っていた。でも普通、それだけじゃ殺気の出し方なんてものまで似ない。アレは個人個人で全く異なるものだからね。じゃあ何故? 余程の偶然か、そうでもなければ……」
「……同じような境遇で、同じような生き方をしてきたから」
「どっちもまずあり得ないけどね。偶然よりはまだ、そっちの方が可能性がある」
汐霧はその名の通り『汐霧』という名家の令嬢だ。それが一介のメイドなどと同郷であるはずがない。
が、以前汐霧父は汐霧のことを義理の娘だとか言っていた。つまりそんな可能性もあるということ。
「ま、そんな感じだよ。確実性も何もあったもんじゃないから、間違ってたら笑ってくれ」
「……いえ、残念ながら合っています。極秘事項故、くれぐれも口外しないでください」
鋭い眼光を向けられる。も、それは先ほどのものよりずっと弱いものだった。
「悪いけど、それは詳しく聞かないと何とも言えないな」
「その前に、……先の交換条件はまだ有効ですか?」
交換条件。汐霧の過去を話す代わりに僕が彼女に何をしたかを答える、というものだったか。
随分虫がいい。
彼女が戦闘に及んだ時点でそんなものは成立しない。当然だろう。問答無用で襲ってきて、敗けたら掌返しなんて許されるわけがない。
敗者は敗者となった時点で、その全ての権利を剥奪され、蹂躙される。僕のようなクズすら知っている極めて基本的なルールだ。
「それ、今僕がやろうと思えば自白剤なり催眠剤なり使える立場だって、分かってて言ってる?」
「……はい。私にはそれを止められません。そしてそれを使われたら、きっと抗えないでしょうね」
医学は戦争によって進化すると言われている。そして現在、人類はパンドラと明日の見えない戦争中だ。
パンドラにすら効くような薬を創ることの出来る人類の生み出した薬物が、人間一人の口を割れないはずがない。
僕は数秒の間咲良崎をじっと見据える。
……そして、へらへらと笑った。
「うん、別にいいよ。誰にも言わないって誓えるなら話しても構わない」
「……よろしいのですか?」
「はは、そういう薬って高いからねえ。使わないで済むならそれに越したことはない。その代わり、本当に誰にも話さないでくれよ?」
「もし、喋ったら?」
「殺すよ」
鋼糸の入っているポケットを軽く叩きながら、端的に言う。
どう受け取ったのか、咲良崎は張り詰めた表情を浮かべた。
「冗談だよ。そう言えたらカッコイイんだけどね。生憎僕はヘタレなんだ」
パンドラを殺すための力を、何が悲しくて顔見知りの美人向けなくちゃいけないのか。
「だからまぁ、せいぜい『汐霧が義理の娘である』ってことをリークするくらいかな。幸いにもそういうのを生業にしてる知り合いがいるから簡単に話は広められる。極秘ってことは知られると不味いんだろ?」
「……いい性格をしていますね」
「はは、あんまり褒めないでくれ。照れる」
「…………」
凄まじく冷めた視線を向けられた。流石に調子に乗り過ぎたらしい。
咳払いを一つ、二つ入れて場をリセット。
「ま、今日はもう遅い。多分簡単に済む話じゃないだろうから日を改めたいと思う。咲良崎は明日、いつぐらいから空いてる?」
「業務でしたら、恐らく正午前には全て終わるかと」
「なら正午に集まろう。場所は追って連絡する」
「……構いませんが、儚廻様はその時間、学院があるのでは?」
「適当に早抜けするよ。あんまりサボりたくはないけど場合によりけりだ」
明日の話し合いとやらは、少なくとも学院の退屈な授業なんかよりずっと価値があるはずだ。
「ああ、何度も言うようだけど」
「くれぐれも他言しないように……その言葉、そのまま返させて頂きます。では」
咲良崎は冷たく言い放って、彼女の帰り道を歩き始めた。それを見て、僕も同様に自分の帰り道を歩き出す。
頭を占めるのは交換条件、その中のただ一点。僕が汐霧に何をしたか……それを咲良崎に話すという決断についてだった。
「……馬鹿したかなぁ」
我ながらリスキーな賭けをしたと思う。
いつもの僕なら間違いなく避けるだろう状況。さっきの戦闘でテンションが上がったせいかもしれない。
ただ、神様じゃない僕にとってはこれからの未来なんて全くの未知だ。何も分からない。それはつまり、どんな可能性だって存在するということ。
未来を決めるのは僕だ! なんて力強く宣言したいところだが、それは前提として圧倒的なまでの強さが必要だ。
だから、うん。
「……あっはははははは」
笑おう。
笑う。
とにかく、へらへらと、馬鹿みたいに。
それが先生から教わったことだから。
あの人はとても強く、そして常に笑顔を絶やさなかった。誰よりも強かったからこそ、いつも笑っていられた。
僕はそれが出来るほど強くない。だけど強いフリくらいなら出来る。
「は――」
だから僕は笑うのだ。
強者のように、愚か者のように、狂ったように。
淡々と、へらへらと。
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