彼女は正自棄、僕は嘘尽き
◇◆◇◆◇
『汐霧憂姫』と呼ばれる少女にとって、死とはどんな隣人よりも身近な存在だった。
名家の跡取りという立場のせいで幾度となく暗殺に遭ったし、魔導師として戦う中で死線を越えかけたことは数えきれない。自分が手に掛けた人も、死んでしまった仲間も大勢いる。
誇張なしに、今までの人生で死を意識したことはなかった。
この世界は僅か一瞬の油断で生死が決まる。
それを少女は知っていた。
『混ざり
ああ、今まで逃れ続けてきた死神の腕に、ついに捕まってしまったんだ、と。
……だからこそ、自分が今見ている光景の意味が、憂姫には全く分からなかった。
ピッ、ピッという規則正しい電子音。清潔感のある部屋に身の丈に合わない大きなベッド。そのすぐ横にあるのは点滴の支柱だろうか。
幾本かの管が左腕へと伸びており、外れないよう固定されている。
そして――ベッドに乗り上げてこちらを覗き込む線の細い女性のような青年の顔。
気でも狂ったのか両手にたい焼きを構えている彼と、バッチリ目が合った。
「…………」
「…………」
……もしかして、ここが天国なんだろうか。
そんな馬鹿みたいなことを一瞬考えるも、すぐにその考えを否定する。
天国にしては現実感があり過ぎる……というか、本当に天国なら意味不明なブツが映り込むはずがないからだ。
なら、ここは現実? だけど、なら、何故私は生きて――?
そう考え込む憂姫の、文字通り目前で。
儚廻遥はたい焼きを二つに割り、途方もなく真剣な表情で、言った。
「……鼻の穴を広げてくれ、汐霧。しこたま餡子詰め込みたい」
取り敢えず、力の限り顔面を殴り飛ばした。
◇◆◇◆◇
「……ゴミ掃除、終わりました」
「ご苦労様です。死ね」
床に散ったたい焼きの掃除――拾っては食べて、味覚のせいで悶絶しての繰り返しだ――を済ませた僕に掛けられたのは、そんな無慈悲な言葉だった。
「……さっきは何をしようとしていたんですか」
「たい焼きの餡子を汐霧の鼻の穴に詰め込もうとしていました」
「何のために?」
…………そう、だな。
「……そこに」
「そこに?」
「そこに健康的な鼻の穴があったから……」
言いながら、僕は流れるように
そんな僕に、側溝に吐き捨てられたゲロでも見るかのような視線を向けてくる汐霧。
……だって……健康的だったから……。
あとすんげえ暇だったから……。
「儚廻?」
「ひっ」
にこり、と可憐に微笑む汐霧。そこから放たれる尋常じゃない殺気に僕は心底震え上がる。
あ、コレ殺されるやつだ……。
「……ふ、ふふ、ふふふっ」
薄い、僕の言葉なんぞ比較にもならんほど薄い笑みを浮かべながらゆらり、ゆらぁりと立ち上がる汐霧。点滴の管が外れ落ちるも、気にも留めない。
――どうやら体の方はもう心配ないらしい。
しっかりとした足取りの彼女に、僕はにっこりと微笑み返した。
◇
「完全防音の個室にしておいて助かりました」
現在時刻、午後7時45分。病室に、ポツリとした呟きが響いた。
言葉の主は、シャリシャリと見舞い品のリンゴを剥いている汐霧のメイドさんである咲良崎。
「…………」
「あー、はは……」
汐霧はふいと視線を逸らし、僕は前時代のパンダなる動物のごとき顔面で、気まずさを込めた空笑いを浮かべた。
今の病室内の位置関係は汐霧がベッド、咲良崎が椅子、僕が壁に寄り掛かっているというもの。まぁ、妥当だ。
ちなみに病室は個室、更に完全防音というお金持ちセットだ。かなり広く、同じ空間に三人もの人間がいるのに息苦しさを全く感じない。
シャリシャリ、シャリシャリ。広い病室にリンゴの皮を剥く音だけが、しばらくの間木霊する。
何とも言えない気怠げな雰囲気。それを打ち破ったのは、ベッドから半身を起こした汐霧だった。
「……私は、どれぐらいの間寝ていたんですか?」
「だいたい一日と……ちょうど今で5時間かな。麻酔がよく効いてたみたいで、ぐっすり眠ってたよ。ちなみに今日は登校日だ」
今僕が着ているのは制服だ。それを示すように、話しながら軽く自身の右肩を叩く。
2122年現在も、前時代の日本と変わらず学校はどこも登校日5日の休日2日が基本だ。
成績において出席日数しか武器がない僕にはサボるという選択肢がなく、今日だって重い体を引きずりながらちゃんと登校したのだ。
流石に心配していないと言うと嘘になるので学校帰りに寄ってみた――というのが今に至るまでの経緯である。
「ああそれと、聞いた感じ《部隊編成》は今月いっぱいまで期限あるみたいだし、特に焦る必要はなさそうだった」
「……ああ……そういえばそうでしたね……」
「おいおい、忘れてたのかよ。別にいいけどさ」
「それより……儚廻。どうして、私は生きているんですか」
私はあの時、間違いなく死んだのに――。
独り言のように呟く汐霧。咲良崎がこちらに顔を向けてくる。あなたが説明しますか? という視線。僕は首を振って辞退する。
単純に事実を伝えるなら彼女は僕よりずっと上手い。適材適所というヤツだ。
「それではまず昨日、お嬢様がお倒れになったところから説明させて頂きます」
そう言って、咲良崎は昨日の出来事を話し始めた。
混ざり者との交戦時に汐霧が被弾したこと。
その際に混ざり者は逃亡したこと。
汐霧は禍力による汚染の症状が確認出来たので、緊急で病院に搬送されたこと。
汚染の症状はそれほど重くなく、治療や検査は無事に終わり、命に別状はないと判断されたこと――
「待ってください。病院に搬送……それに、汚染の症状が軽かった……?」
「はい、そう伺っております。お嬢様自身の回復魔法による応急処置の効果もあり、特に後遺症らしい後遺症も残りそうにない、と」
「そんなことはあり得ません。禍力の直撃を受けてその程度で済むわけがないです。それに、そうじゃなくても私はあの時、儚廻に……」
「え、僕? ゴメン、何かやらかしたっけ」
「……私の記憶が合っていれば私はあなたに『処理』をして貰ったはずです」
『処理』とは、禍力に汚染され助からないと判断された人間に安楽死を与える行為の総称だ。
無用に苦しませないため、また禍力をそれ以上広めてしまわないために取られる最終手段。
僕は半眼を作り、返答する。
「……いや、だったら今僕が喋ってるお前は何なのさ。軽いとはいえ禍力に侵されてたんだし幻覚でも見たんだろ、どうせ」
「その汚染に関してもあなたは『酷過ぎる』と評しました。……それも幻覚ですか?」
「間違えたんだよ。ほら、何しろ僕って無能だから。そんなこと別にいいだろ? 生きてるんだからさ。はは、それとも何? そんなに私大怪我負いましたアピールしたいの?」
「そういうわけじゃ、ないですけど……」
歯切れ悪く呟き、汐霧は黙り込んだ。
人間、自分の身体のことは自分が一番良く分かると言う。これほど自身の生に疑問を持つほど、汐霧は自身の死を確信していたのだろう。
しかし実際、そうでもなければ彼女が生きていることの説明が出来ないのも事実だ。
例えそれがどんなにあり得ず、黒に見えようと、彼女自身の存在が全てグレーにしてしまう。
「……説明、ありがとうございました、咲」
「いえ……」
結局、彼女は諦めたようだった。
無言の時が続く。咲良崎は元より、汐霧もそこまでお喋りな方ではない。
だからこうなるのはある意味必然なのだが……空気が重いせいか、どうしようもなく居た堪れないのだ。
どうにか逃げ出すためにも、僕は勇気を振り絞って提案することにした。
「ねぇ、今日はこれくらいでもうお開きにしない? 面会時間ももうすぐ終わりだし、お前だって病み上がりだ。気になることとかあれば、また明日聞いてくれればいいしさ」
「……そう、ですね。少し、落ち着いて考える時間をください」
そう言って、汐霧は悄然とした様子で黙り込んだ。
頭が良いっていうのも考えものだな。純粋に生きているってことだけを、ただ手放しに喜べばいいのに。
そう考えてしまうのは僕が愚かだからか、それとも世間知らずだからか。
ひどくどうでもいいことを考えながら、僕は病室を後にした。
◇
「……そういえばクロハの奴にゲーム買って来てって言われてたっけ」
今の時間ならどこの店も普通に営業中だろう。
そういうのに詳しくない僕は、取り敢えずその系統の店が集まっている同じ南区、通称『学園街』に行く算段をつけている、と。
「お待ちください、儚廻様」
そんな声に呼び止められたのは、ちょうど病院の敷地から出たところだった。
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