とある少女の終わりの終わり
咆哮が、戦闘開始の合図だった。
泰河は懐から二丁の銃を抜き放つ。
ロングバレルの、黒色の大型拳銃。憂姫の知らない種類である以上、恐らくオーダーメイド品だろう。
遠目からでも分かるほどの迫力と重圧を放っている。
「滅セよ!」
ディストーションの掛かった声とともに、二丁の拳銃が唸る。フルオートさながらに、凄まじい数の砲火が吐き出された。
何十、何百と宙を翔ける黒色の弾丸。一つ一つのサイズは憂姫の頭ほどもある。
当たれば即死。
死に敏感な憂姫の本能が、満場一致でそんな結論を下した。
「――【カラフル・コードリボルバ】!」
前傾姿勢を取りながら、魔法を発動。手の中に銀色の拳銃が現れる。
カチン、という引き金を引く小気味いい音。憂姫の肉体、感覚、思考回路、その全てが超加速する。
雷のごとき黒弾は憂姫にとって、今や静止しているも同然だった。
軌道を確認。奇跡的か意図的か、障壁への直撃コースはゼロ。
憂姫は黒弾の隙間を潜り抜け、義父との距離を詰めようとして、
「駄目だなァ、見た目に騙されては!」
パチンッ。義父が指を鳴らした音が木霊する。
瞬間、直進していた弾丸は全て軌道を変え、回り込むように憂姫を狙う。あまりの密度に、まるで憂姫の周りに黒色のドームが出来たようだ。
上下左右、どこにも逃げ場はない。その上加速中のため他の魔法も使えない。
絶体絶命。ならば取るべき手段は、一つのみ。
「魔力よ」
大量の魔力を両腕に流し込む。光が憂姫の両腕を包み込み、簡易な鎧となる。
それが完成したのを見届けて、憂姫は更に加速した。
迫る黒弾の群れ。まるで壁のように圧倒的な物量。しかし、実際それは壁ではない。
これだけ近付けば、黒弾の一つ一つのズレ、隙間、層の厚さ――完璧な壁には程遠いことがよく分かる。
そしてそれだけ分かれば、憂姫には十分過ぎた。
「――はぁっ!!」
正拳を、黒弾の一つに叩き込む。
バチッ! と音を立てて黒弾は弾かれ、僅か後方の黒弾に衝突。弾き合い、再び衝突。
その連鎖の中で空いた隙間を、憂姫は見逃さない。滑るように入り込み、死のドームを抜け出すことに成功した。
加速が切れる。辺りの光景が元に戻り、背後から轟音と衝撃が耳を刺す。
今の黒弾の感触は完全に禍力だった。予想はしていたが、魔力と反発したことで確証を得た。
そして、それは義父がパンドラと化していることについても同じだった。
「痛っ……」
鋭く痛んだ右手を抑える。ぬめりとした、生理的に受け付けない血の感触。
一方的に殴り飛ばすつもりが、これでは殆ど相討ちのようなものだ。傷は浅いが、何度も繰り返せばやがて使えなくなるだろう。
――義父が何故パンドラと化したのか。そもそも人型のパンドラなどあり得るのか。
確かにそれらは疑問だが、そんなことを思考している暇はない。
早く決着をつけられなければ、負けるのは自分だ。
僅かに顔を顰めながら前を見据えると、義父は全く動いていなかった。位置も、体勢も、表情一つすら。
この程度、仮にも“汐霧”ならば当たり前。
泰然と立つ様は、そう言っているように見えてならなかった。
「……行けっ!」
自身を叱咤し、疾走する。
今の一幕で距離は大分縮まった。憂姫の身体能力なら、加速せずとも数秒かからずに踏破出来る距離。
そして憂姫の声に応じたように、泰河も動き出す。
相対的に詰まる距離。
思考が加速し、目の前の相手のこと以外が白へと消えていく。
走りながら、憂姫は【コードアサルト】を連射する。一呼吸のうちに六の魔弾が空を切り裂き、泰河を撃ち抜かんと差し迫る。
全てが必殺級の、憂姫の銃撃。
それに対して泰河は、一切速度を落とさずに応じた。
「――温すぎるぞ、
――パァンッッッ!!!
凄まじい破裂音が、辺りに木霊する。
泰河に当たるはずだった魔弾は、いつの間にか消し飛んでいた。
「なっ!?」
声が、口から漏れ出る。
憂姫に見えたのは、義父の片手が微かに霞んだこと。聞こえたのは、破裂音が一つのみ。
まさか片手で、全く同時に掻き消したとでも言うのか。
「どうした、隙だらけだぞ!」
驚愕する憂姫に、泰河はロングバレルを突きつけた。引き金を引く音。憂姫は咄嗟に射線から頭を引っこ抜く。
漆黒が放たれ、掠めた頬から舞い散る赤色。
色鮮やかな空中で、
「――っ!」
銃口を肘で弾き、お返しとばかりの照準。引き金を引き切る――寸前で義父の姿が視界から消えた。
下!
「ッ!」
放たれた足払いを、憂姫は紙一重跳躍して躱した。
銃口を向ける。同時。
引き金を引く。同時。
弾丸が翔ける。同時。
――バチィッ!!!
「くっ――!」
「クハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
魔力と禍力が衝突し、衝撃を撒き散らす。
爆弾さながらの衝撃に吹き飛ばされる憂姫と、哄笑を上げる泰河。
「か、はっ……!」
競り負けたのは、憂姫だった。
内臓を圧搾されながら吹き飛ばされ、彼女は花畑を転がる。
幸い骨も内臓も大事はないようだった。戦闘の続行に支障はない。
それより今は、とにかく体勢を立て直さないと……!
「っ――!」
魔力で強化した片手を鉤爪のようにし、地面に突き立てて減速する。幾らか爪が剥がれたようだが問題ない。
そんなもの、この場を切り抜ければどうとでもなる。
「【アサルトスフィア】、セット!」
跳ねるように立ち上がり、自身の周囲に魔法の球体を作り上げる。
この魔法は【コードアサルト】の固有魔法。【コードリボルバ】の加速と同じ類の魔法だ。
効果は引き金を引いた回数分の魔法の球を作り出すこと。この球体は憂姫の命令によって様々に変化し、性質を変える。
例を挙げれば弾丸、爆弾、障壁、回復など、とにかく応用の利く、どんな事態にも対応出来るような魔法だった。
だから、その全てが紫紺の波に攫われていった時、憂姫の頭は真っ白になった。
「……え」
「どうした、避けねば死ぬぞ?」
声は、真上から聞こえた。
憂姫は確認もせず後ろへ跳ぶ。
直後振り下ろされたのは、鉄槌のごとき踵落とし。接触した地面から莫大な衝撃と風圧が発生する。
「がっ……!?」
「さぁ、消し飛ぶがいい」
爆撃めいた一撃に、憂姫の体が浮く。それは隙以外の何物でもなかった。
義父の右腕に膨大な禍力が収束されていく。暗色が輝き、臨界を迎えて激しく脈動する。
これは、さっき見た遥の魔法と同じ――!
「【コードブラック】」
濃紫に輝く禍力の奔流が、撃ち放たれた。
憂姫がその砲撃を躱せたのは、放出の寸前に【コードリボルバ】による加速を使ったから。しかしそれはほとんどが運によるものだった。
空中で大気を蹴りつけ移動する。遥の使っていた技術をぶっつけで真似た結果、運良く成功したに過ぎない。
もし何か一つでも歯車が噛み違っていれば、自分は今頃塵も残らず果てていたことだろう。
だが、リスクを潜り抜け得たリターンは大きい。
結果として攻撃直後、それも大技の、最も隙が出来る瞬間を加速しながら迎えられたのだ。
正真正銘、最大の好機。
「ハ――ァアアアアアアアア!」
憂姫は這うように地面を駆け、手刀を放つ。
狙いは首。
この速度で放てば、一気に気絶まで持ち込める!
憂姫の動きに合わせて義父の視線が動く。
どうやら加速している自分が見えているらしい。何事か呟こうと、口を動かしている。
だがもう無理だ。例えどれほど強力な技を放とうと、この距離では憂姫の方がずっと疾い。
憂姫の指の先が、泰河の首に届こうとして、
「止まるがいい」
その一言で、全てがピタリと止まった。
「……は……?」
口から、思わず疑問の声が漏れた。
体が全く動かない。頭からつま先まで、まるで彫像にされたかのように少しも動かせない。
「何、が」
訳も分からず、頭の中に疑問符が咲き乱れる。
何か、禍力による能力? いや、加速中の自分が目視すら出来ずに攻撃を喰らうとは思えない。それに何かに当たった感触もなかった。
ならば、何故。一体……何が。
そんな一切合切の疑問を打ち砕くように、泰河は蹴りを放つ。
戦闘用のブーツが憂姫の鳩尾にめり込み、押し潰していく。
遅れて響く、ドンッ! という空気の
そして、憂姫は吹き飛ばされた。
「ごぶ」
空中で、血が噴き出るように口から出る。
どこかが潰れたか、折れたか。どちらにしても重傷なのは明らかだった。
憂姫は空中で体勢を立て直そうと足掻く。しかし、出来ない。指一本すらピクリとも動いてくれない。
混乱する憂姫と追い縋る彼女の義父。やがて追いつき、両の手首を勢い良く掴む。
ボキリ、と。
骨を砕く音が二つ、重なって響いた。
「ぁっ、ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
あまりの激痛に、憂姫の口から血液混じりの悲鳴が上がった。
喉の奥から引きずり出したような悲痛な声に構わず、泰河は攻撃を続行する。
「ふッ――!」
掴んだ片方の手首に力を込める。慣性をそのまま勢いに変え、豪速の一本背負いへと繋げる。
少女の体が、思い切り地面に叩きつけられた。
「か、ぶぁ……ぁっ……!」
全身がバラバラになるような衝撃に、憂姫は再び血を吐き出す。
実際にバラバラにならなかったのは、下が草原という柔らかい地面だったから。そして泰河が死なない程度に手加減していたから。
それでも、遠心力を乗せた一撃は強力だった。
目玉が飛び出そうになり、両肩は脱臼。骨折とヒビは、もはや数え切れないほどの部位を蝕んでいる。
体は未だ動かないままだが、例え今それがなくなろうと立つこともままならないだろう。
汐霧憂姫は、もはや虫の息だった。
「……」
一方、泰河はようやく充分と判断したらしい。掴んでいた腕を離し、憂姫を見下ろす。
「……まさかマガツの使用を強いられるとはね。我が娘ながら、なかなかどうして天晴れだ」
義父のそんな言葉を、憂姫は細かく痙攣しながら聞いていた。
「憂姫よ。お前に敬意を表して二つだけ教えてやる。まずは……そうだな、お前が敗北した理由からにしようか」
「……っ……!」
――敗北。
その言葉が認められなくて、憂姫は歯を噛み締めた。
両手が壊されても、立つことが出来なくても、初級の魔法くらいなら使える。
そうだ、諦めるにはまだ早い。
ほぼ気力のみで、憂姫は魔法を放とうとして、
「抵抗をやめろ」
その言葉と同時、集めた魔力が霧散する。
気力も共に吹き飛んだのか、一気に気が遠くなる。
はっきりとしていた意識は、段々と明滅を始めていた。
「お前は負けた。それを認め、受け入れろ。引き際を見極めるのも優れた魔導師の条件だと、そう教えたはずだが?」
「……ぅ……」
冷徹な声色の言葉に、憂姫は反論を浮かべることさえ出来なかった。
血塗れで地に倒れる自分と、それを見下ろす義父。この光景が敗北でなくて、一体何だというのか。
自分は、負けた。確かに負けたのだ。
だけど、その理由だけが全く分からない。
必勝のタイミングだったはずなのだ。最高の好機だったはずなのだ。
自分が負ける要素など、何一つなかったのに。
「お前が負けたのは、お前が無知だったからだ」
憂姫の心を読んだかのように、泰河は言う。
「人型はパンドラにとって一種の境地だ。そしてそこに至ったパンドラはある力を持つようになる。原因も理由も過程も脈絡もなく、“結果”のみを現実にする力――マガツを」
マガツ。初めて聞く単語だが、それが何を指すかは何となく分かる。
――原因も理由も過程も脈絡もなく。
それはちょうど、先ほど憂姫が思ったことと一致していた。
とっておきの玩具を自慢するように、泰河は続ける。
「私のマガツは『服従』だ。言葉に強制力を持たせ、対象を服従させる。やろうと思えばお前に自決させることも簡単だ……まぁ、殺すには惜しいから大分手加減させて貰ったがね」
「……っ……」
歪みに歪む言葉。何とか理解出来た言葉は理不尽そのものの内容だった。
最初から、どうやっても自分では義父に勝てないことが分かっていた。
当然だ。こんな力、知らなければ――否。知っていても、対処のしようなどありはしない。
決意も、覚悟も、自分が独りで盛り上がっていただけだった。
この男を楽しませるだけの、余興でしかなかった。
「……う……あ……」
諦観と絶望が、ボロボロの体にじわじわと広がっていく。
流れていく血とともに、意識までもが遠くなって――パン、と義父が手を打つ音が聞こえた。
「――さて! つまらない答え合わせはこれで終いだ。次は楽しい講義の時間としよう。議題は『何故パンドラは人間を喰い殺すのか』、これで決まりだ」
「…………」
「ふむ、どうでもいいか。だがこれはお前のこれからにも繋がる話だぞ?」
「……ぇ?」
「ハハ、興味を持ったか」
一転して楽しげに語る泰河を、憂姫は霞む目で見上げる。
「まず、前提として魔力と禍力は相反する力だ。ぶつかり合えば相克して喰い合いになる。だから禍力で構成されているパンドラには魔力が弱点となる。ここまではお前もよく知ることだと思うが」
その言葉の通り、魔法に携わる者にとっては常識の基礎知識。
何故そんなことを、と思うだけの体力は残っていなかったが。
「そのパンドラだが、彼ら、いや我々の強さは禍力の総量で決まると言っていい。保有する禍力の量によって身体能力や再生速度、放出する禍力の威力や規模がまるで変わるからね。必然、パンドラは己の禍力を高めようとする」
一息置いて、泰河は言葉を続ける。
「禍力は普通に使うだけでも増えるには増える。だがそれはお世話にも多量とは言えない。よって長い年月をかけて増やしていくのが普通らしいが……もう一つ、手っ取り早く増やす方法があるんだ。なんだと思う?」
質問しておきながら、泰河は別に答えを期待していなかった。娘が知っているはずないのを、分かっていたからだ。
先ほどは彼女を無知と評したが、そうなるように育てたのは他でもない自分なのだから。
「――人間を喰らうのだよ。彼らの魔力の源である心臓を、魔力を制御している脳を、魔力の巡る神経を、魔力を行使する肉体を……全てを喰らい尽くすんだ」
「……っぅ、ぁ……!」
その瞬間、泰河が浮かべていた表情に、憂姫は生まれて初めて心の底からの恐怖を味わった。
欲と激情の入り乱れた、凄絶な笑みに。
「そうして喰らった魔力は我らの持つ禍力と拒絶し合う。入ってきた害悪に打ち克つために禍力は増大する。増大した禍力は……そのまま我らの力となる」
例えるならば免疫のようなものだろうか。
体外から入ってきた魔力という異物を殺すために、禍力の増大現象という免疫を作り、二度同じ物に負けないように体を強くする。
それが、パンドラが人間を喰らう理由だった。
「お前を殺さなかったのもそれが理由だ。死体より生きたまま喰らった方がずっと力になる。今のお前ほどの魔導師なら、きっと素晴らしい糧となるだろう……あァ、楽しみだ」
ぐちゃり、という粘着質で醜悪な音。泰河が無意識のうちに垂れ流していた、涎の奏でる音。
さて、どのように喰らおうか。
例えば、指先から千切っていけば悲鳴を楽しめる。生きたまま頭を開き、脳天を啜るのも悪くない。この銀髪が徐々に血の赤に染まっていくのは、さぞや心躍るだろう。
目玉や耳、四肢など分かりやすい場所を捥(も)いで、眼前で潰しながら喰らうのはどうだ?
どこまで正気でいられるかをこの期にテストしてみるのも面白そうだし、いっそのこと骨と肉と血を別々に分けて楽しむのもいいかもしれない。
どれにしても簡単に死なないように気を付ける必要があるが……娘へのせめてもの手向けだ。少しでも長く、生きられるようにしてやらなくては。
「……いや」
どう喰らえば、より長く絶望を与えられるか。
最早そればかりを考える泰河は、小さく頭を振ってそれまでの考えを否定する。
「やはり、最初はここだ」
毒々しい色の片手を手刀の形に変え、倒れた少女の胸にピタリと当てがう。
その先にあるのは心臓。血と魔力の源泉である、人間にとっての“核”。
まず喰うべきは、そこ以外にあり得ない。
「簡単には死なせん。安心するといい」
濃紫を撒き散らす腕が、引き絞られる。
迫り来る死に対して、憂姫は動かない。動けない。
恐らく、自分はこれ以上なく残酷に殺されるのだろう。
嫌だ、思う。逃げたい、と思う。
でも、もう出来ることはない。これで終わりだ。
ゴミのような場所で、ゴミとして生まれて。
人をたくさん殺して、自分は生き残って。
人形として、自分の役割を必死に果たそうとして。
頑張って人間になろうとして、なれなくて。
交わした約束は、果たせなくて。
結局、自分の人生なんてなかった。
自分の持つ自我は、何の役にも立たなかった。
汐霧憂姫が“私”である必要は、どこにもなかった。
……だけど。
そんな価値のない、“私”だったけど。
「死に、たく、ない」
死にたくなんか、なかった。
死が救いだなんてこれっぽっちも思ってなかった。
もっと生きていたかった。
それは他の誰も関係ない、自分自身の望みだった。
涙が、憂姫の頬を伝った。
同時、バケモノの右腕が、空を切り裂き振り下ろされて、
「その辺にしとけよ、クソ野郎」
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