日常転じて休となす
◇◆◇◆◇
「あー……」
「…………」
「うー……」
「…………」
「あ゛ー……」
「ハルカうるさい」
「う゛ー……」
「聞きなさいな」
僕の上に乗っかりながら溜息を吐き出すクロハ。
僕はそんな彼女に構わず、気色の悪いうめき声を上げ続ける。
現在地、東京コロニー居住地区C区画、自宅。そのリビング。
内訳、ソファに寝っ転がった僕と、そんな僕の上に(勝手に)乗っかりテレビを見ているクロハ。
病院から帰った僕は、もはや立っている気力すら湧かずにソファに倒れ込み、少ししてその上にクロハがよじ登ってきたというのが今に至る経緯である。
「クロハぁ……」
「はぁ……ようやく話す気になったのかしら?」
「重い……」
「あら分かる? そうよ、最近成長期に入ったみたいなの。多分胸の分じゃないかしら」
「プフーーーーーーッ!!!」
「――ふんっ!」
めしゃあ、と。
勢いつけた小さなオシリが、僕の鳩尾に容赦なく叩き込まれた。
「ぶっ……うぶっ、ぼっふぉっ……!?」
「それで、なにがあったの。聞いてあげるから話してごらんなさい」
悶え苦しむ僕を気にもせず聞いてくるクロハ。
……コイツ、僕のメイドなんだよな? メイドって、一応主人や客人より立場が下なんだよな?
ナイフで刺されかけたり首絞められたり鳩尾強打されたり、とメイドという単語がトラウマになりそうな今日この頃である。
「で?」
「いや、まぁ……ちょっと汐霧とケンカしたっていうか……」
「あぁ。いらないこと言って怒らせた?」
「……痛いところを」
しかも合ってるという。
「別にいつものことでしょう。そんなに落ち込むことかしら」
「や……今日はちょっと本当にやらかしたっていうか」
汐霧の地雷原に踏み入りタップダンスした挙句、爆発されたら逆ギレ。
……人としてどうなんだろうこれ。流石にアウトな気がする。
そもそも野郎が女の子のヒステリーに文句つけるなんて論外だ。
ああいう価値観は個人個人で全く違う。人間なんてみんな違ってみんな良いのだから、それを押し付けるなんてその相手を殺すことに等しい。
それなのに、勝手な持論をブチ撒けて、何の関係もない汐霧に叩きつけて……
「……僕は馬鹿かっての……」
「はぁ……重症ね」
呟いたクロハは再び溜息を吐き、呆れた様子で口を開く。
「ユウヒはあなたから見て間違ったことを言っていたのでしょう? ならあなたの思うように訂正すればいい。そこに女性だからなんて関係ないわ」
「だからと言って正面から全否定ってのも違うだろ。否定するならなおのこと冷静でないと……」
そうすれば、少なくともここまで酷いことにはならなかったと思う。
「後からのイフに意味なんてないわ。それにハルカが女性への配慮に欠けるなんて今更。期待する方が間違いよ」
「……いやでも、僕のハートの半分はアダルテーなレデーで出来てるわけだし」
「馬鹿なの?」
「いや、別に誰もお前がつるぺたす――」
「【ブラッディジャック】」
全身滅多斬りにされた。
めっちゃ痛かった。
閑話休題。
「まぁ、どうしても気になるなら後日謝りなさい」
「やっぱそうだよねぇ……はぁ」
まさか友達ゼロのぼっち幼女に諭されるとは。今日も今日とてゴミやってるな、僕よ。
「それよりお腹が減ったわ」
「じゃあ僕の上からどいてくれ」
「残念ね。結構座り心地は良かったのに」
「……お前さ、本当に自分のお仕事覚えてる?」
僕は最近、コイツが家事してるのを見たことがない。
ともあれ、こうして夜は更けていく。
◇◆◇◆◇
例えその日がどんなに最低な一日だろうと時間は平等だ。夜は巡り、日は昇る。
それは万人にとっての救いであり、また試練でもあると先生は言っていた。
曰く、日が昇り、陽光に照らされた光景が幸せなものとは限らないのだから、と。
僕はその言葉の意味を、現在進行形で理解させられていた。
「――何を呆けている儚廻。聞こえていないのか? その耳は飾りか? あ?」
制服の襟を掴まれ、強制的に思考に入ってくる低声。
見ると、『悪魔』『ゴリラ』などと生徒から評判高い筋骨隆々の教官が額に青筋を立てていた。
時刻は朝、朝のホームルームが始まる前。場所はクサナギ学院の教務課、職員室。
状況を簡単に説明するなら、先日藤城に吐いた嘘が真となって帰ってきたというところか。
即ち――
「この成績の上に先日の失態……どうやら反省という言葉を知らんらしいな、貴様は。違うか?」
「あー、はは……」
――新学期初めの実力テスト、そこで最下位を獲った僕へのお叱りである。
先日やらかした(と学院への報告ではなっている)件もあり、それも合わせて二倍に怒られているというのが現状だ。
へらへらと笑う僕に教官は忌々しげに舌打ちを一つ鳴らし、今度は口調表情を一転して僕の隣の女子生徒へと口を開く。
「それに引き換え――那月ユズリハ。君は今回も素晴らしい結果だったな。試験の結果もそうだし、先の事件において君の担当した区域の被害はほぼゼロだ」
「……いえ、運が良かっただけですから」
「謙遜することはない。君はそれだけの戦果を挙げたのだ」
教官が生徒を褒める、というそうそうない事態(まぁ僕への当てつけも兼ねているのだろうが)にもクールに対応する那月ユズリハこと、お嬢さま。
聞けば先日の事件の際、お嬢さまはD区画のとある地域の担当だったらしい。
区全体で見ればそこかしこに被害は出ているものの、お嬢さまのいた小隊が担当した場所だけは一欠片の被害もなかったそうだ。
……多分、小隊を待たずに先行して独りでその場にいた敵全部を片付けたのだろう。
そういう無茶と紙一重の偉業を無表情にこなすのが彼女という人間だ。
「それで儚廻。貴様のいた区画は壊滅状態。汐霧憂姫は貴様のせいで入院だ。これに関し、思うところは?」
「……まぁ、汐霧には悪いと思ってますよ」
これだけは、本当に。
僕のせいで咲良崎が捨てられた――なんてことになったら、流石に後味が悪過ぎるからな。
「ああそうだろうな。貴様さえいなければ彼女が負傷することもなかった。それもこれも貴様が惰弱で、怠惰で、無能だからだ。まるで厄病神だな。恥ずかしくは」
「お言葉ですが」
教官の言を遮って響く、お嬢さまの声。
怪訝げに教官は眉を釣り上げる。
「なんだ、那月?」
「E区画が壊滅したのは彼ではなくパンドラのせいです。それを履き違えないように」
「……えっ」
思わず間抜けな声が漏れた。まさか、お嬢さまが擁護してくれるとは思わなかったのだ。
この前、あんなにも怒らせてしまったのに――
「だが、コイツの怠惰で傷ついた者がいるのも確かだ」
「だとしても、彼をパンドラと同列に扱うのは不当です」
「む……」
まさかここまで反論を受けるとは思っていなかったのだろう。教官の顔が僅かに歪む。
教官自身、自分の言っていることが間違っていることくらいきっと分かっている。
ただそういう言い方をすることが、僕を成長させる一番のキッカケになり得ると信じて言ってくれているに過ぎない。
お嬢さまは僕なんかよりずっと頭がいい。こんな僕でも分かるようなことが彼女に分からないはずがない。
なら、何故わざわざこんなことを?
「……儚廻、話がある。那月、お前はもう戻っていい」
「失礼します」
軽く礼をして退室するお嬢さま。
その背中を見送ってから、教官は僕に視線を向けた。
「儚廻、心当たりはあるか?」
「心当たり、とは?」
「呆けるな。那月の態度のことだ」
まぁ、それ以外ないだろうが。日本人なんだから、主語を抜いて会話するのはやめて欲しい。
「ああ……教官の言うことを聞かなかったことですか? やっぱり目を掛けた生徒に反抗されると悲しいですよね、先生って職業」
「知った風な口を利くな馬鹿者。それに違う」
だろうな。そんなことでいちいち何かを感じてたら、この学院で教職なんて出来るわけがない。
逆に言えば、それくらい今のお嬢さまの言動は意味不明だったということだ。
あそこで教官に意見することに、何の意味もない。
それは教官にとっても、お嬢さまにとっても、僕にとってさえもだ。
「お前が何かしたのか?」
「E評価の僕がA評価の彼女に何か出来ると思います?」
「思わん。やりそうだとは思うがな。……お前ももう帰れ。後々補習試験を実施する。それまでに精進しておくように」
「へぇ。もうお叱りはいいんですか?」
別に叱られたいわけじゃないが一応聞いておく。後回しとかになっても嫌だし。
対して教官は、書類に目を通しながら億劫げに言った。
「お前は、私がこんな当てつけじみた悪趣味な真似をわざわざやっている意味も理由も理解しているだろう。だからこそタチが悪いのだがな」
「あはは……そんなことありませんよ。ほら、僕お馬鹿さんですし」
「……全く、本当にタチが悪い」
僕自身、自覚はしていることである。
申し訳ありませんね、諸々。
「何なら見捨ててもいいですよ?」
「そうしたいところだがな。だったら転校するか私のクラスから移籍することだ」
自分の生徒は見捨てない、と。
はは、カッコイイね。
「失礼します」
一礼して、僕は職員室から退室した。
◇
外に出て一番初めに目に入ったのは、扉のすぐ近くの壁に寄りかかっているお嬢さまの姿だった。
僕を待っていてくれたのかな、と少しだけ期待する。自意識過剰もいいところな思考だが、他の理由も見当たらないからな。可能性は五分と見た。
「あ、お嬢さま」
「……何?」
「さっきはありがとうね。嬉しかったよ」
「別にあなたのためじゃない。私のため、必要だと思ったことをしただけ」
お嬢さまは壁から背を離し、歩き出す。
どうせ向かう先は二人とも同じ教室なのだ。僭越ながら、僕もその横に並んで歩く。
「…………」
「…………」
しばし訪れる無言の時間。とはいえお嬢さま相手にそれが気になるほど、僕も気が小さいわけではない。
二人して黙って歩いていると、意外にもそれを先に破ったのはお嬢さまの方だった。
「……この前のこと、まだ許したわけじゃないから」
ぽつり、という呟き。辺りが静かなおかげか、やけに明瞭に耳まで届いた。
僕はへらへらとした笑顔を作り、それに応える。
「この前……ああ、お嬢さまの寝顔撮るために睡眠薬盛ろうとしたこと?」
「違う。はぐらかさないで。あと次それやったら泣くまで殴るから」
二回目の決行が確定した瞬間だった。
「……じゃなくて。あー、僕がお嬢さまに勝っちゃったこと?」
「正確には、それだけの実力があるのに今まで嘘を吐いていたこと」
嘘……無能だクズだっていう自己評価のことかな。お嬢さまにはここ1年くらいで散々聞かれただろうし。
はは。嘘だったらどんなにいいか、ねぇ。
「お嬢さまは、嘘吐きは嫌い?」
「嫌いよ。この世で一番」
断言された。それも、いつもよりずっと力強く。
嘘吐きは嫌い、か。それなら僕なんか嫌いを通り越して抹殺対象に違いない。
お嬢さまには出来れば好かれたいんだけど、ちょっと無理そうかな。
「それで、どうしたら許してくれる?」
「約束して。もう、二度と私に嘘を吐かないって」
「は、キツいなぁ、お嬢さまは」
僕みたいな弱い奴は、嘘とか虚構とかを風除けにしなければ生きていけないのに。
「まぁ、善処はするよ」
「……それ、嘘でも頷くところよ」
「え、だって嘘嫌いなんでしょう? ほら、僕いい性格してるからさ。嘘なんてとてもとても」
「……本当にね」
くすり、と。お嬢さまは小さな、本当に小さな笑顔を浮かべた。
と、教室が見えてきた。
入り口の扉に手を掛けながら、お嬢さまが言う。
「……それと、この前。叩いて、悪かったわ」
「そんなのより古典の宿題見せてよ。やってくるの忘れちゃってさぁ」
「分からないところがあったら教えてあげるから、自分で頑張りなさい」
「えー」
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