灰色の狂気

 沈黙した端末を懐にしまい、一息つく。

 吸って吐いて、もう一度吸う。それをゆっくり吐き出して……よし落ち着いた。


「……ああ、繰り返すが変更はない。マニュアル通りの行動を心掛けるように。細かい部分は現場の判断に任せる」


 と、丁度汐霧父も要件が済んだらしい。同様に回線を閉じていた。

 気を落ち着かせる僕を見て汐霧父が笑う。


「ふむ。この緊急事態に随分と冷静なようだね」

「……そりゃまぁ、学校でこういう時こそ落ち着いて行動しろって教わりましたから。というかそう僕らに教えたの、あなたの所の下士官さんですけど?」

「それは失敬。ああ、もう行っていい。何やら君の方もなかなか大変そうな様子だ。せいぜい頑張ってくれたまえ」

「……チッ」


 ……本当にいちいち癇に障る野郎だな、コイツ。

 言葉の代わりに舌打ちを一つ置き去り、今度こそ退室する。


 屋敷の玄関に向かう途中に再び懐から携帯端末を取り出し、ある男へと回線を飛ばす。

 何の事前連絡もなかったのに、回線が繋がったのは数秒経たずのことだった。


『やぁハルカ、昨日ぶり。今日も死相が綺麗で何よりだ』

「顔見えないのに適当言うなよ。殺すぞ」


 回線の向こう、それは東京コロニー中央技術局――《TCTA》の特一等研究員にしてとある中堅研究所の所長でもある男、氷室フブキであった。


 正直な話、コイツにだけは頼りたくなかった。

 氷室の性格上、昨夜のような依頼ならまだしも今回のような個人的案件は完全に借りになる。間違いなく報酬をタカってくるだろう。


 それ自体は別に普通のことなのだが……相手はあのサイコパスだ。何を強請ゆすられるか分かったもんじゃない。

 この男を相手とする場合、内臓や眼球の一つや二つは取られる覚悟が必要となってくる。


「緊急事態だ。お前の力を借りたい」


 だが、今はとにかく時間がない。


 銀髪に紅い瞳。汐霧の容姿は東京コロニー全体で見ても非常に目立つ。同じ学院生が彼女のことを見間違えるなど、まず有り得ない。

 故に梶浦の言っていた部隊が見たらしい汐霧憂姫は、恐らく本物。


 彼女は確かに強いが、ただでさえ最近は黒星続きの上、今は病み上がりだ。何かの弾みでうっかり死んでしまっても何らおかしくない。

 そして今の僕にとってそれだけは、絶対に避けなくてはならない可能性なのだ。


『へぇ? ボクがキミに力を? あはは、ナイスジョーク。笑ったよ』

「ノゾキ趣味のお前だ、どうせ街中にアミ敷いてるだろ? 情報寄越せよ」

『それはボクがボランティアなどという偽善行為を最も嫌っていると知っての言葉かな?』


 ……ほら、やっぱり来やがった。

 きっとパンドラとか関係なく、僕とかこういうヤツとかが平気な顔して生きてるから世界は平和にならないんだろうな。


「言ったろ。緊急事態だ。眼球でも内臓でも好きにしてくれ」

『フフ、キミとの会話は楽しいね』

「それで?」

『今度一日ボクに付き合え。あと誠心誠意お礼を言うこと。それでいいよ』


 そっちの方がよっぽど嫌だ、なんて分かってて言ってるんだろうな。

 端末を握り潰そうとする右手を必死に抑え、パンドラが市街に現れたこと、入院していた汐霧がその現場に向かったかもしれないことなど簡単に状況を伝える。


 しばらく何かの機械を操作する音が聞こえた後、氷室は口を開いた。


『よし見つけた。南から西、そのちょうど中間地点くらいを移動中。ハハ、速い速い。バケモノみたいな移動速度だ――っと失敬』


 南区……つまり病院から直接移動しているってことか。

 恐らくは着の身着のまま、ロクな装備もない可能性が非常に高い。


「どうでもいいよ。進路は?」

『この感じだとD区画かE区画かな。でもそうだね、多分E区画だと思うよ』

「根拠」

『E区画は今、パンドラと混ざり者の数が他よりずっと多い。高ランクの魔導師なら引き寄せられてもおかしくはないさ』

「……なるほど」


 パンドラは魔力に引き寄せられる。それは逆もまた然りで、魔法に秀でた者ほどパンドラの居場所が何となく分かるそうだ。

 汐霧ほど優れた魔導師ならすぐに一番パンドラが多い場所がどこか分かるはず。

 そして何より、そのような場所に率先して向かうのがここ数日で分かった汐霧憂姫という人間だ。


 しかし最近妙に縁があるなE区画。

 最早呪いの領域に片足突っ込んでる気がする。


「……ちょっと不味いかな」


 まず、学院の小隊は今からどんなに急いでも汐霧には追い付けない。何故なら汐霧は単独で学院の連中は部隊だからだ。準備や行動にかかる時間の差はかなり大きい。

 まさかこんなところで一週間前の食堂での会話を実感することになるとは。泣きたくなるね、クソッタレ。


 ともかく汐霧が到着するのと彼らが到着するのに時差が生じる以上、それまで彼女はたった一人で大量のパンドラ共を相手取ることになる。


「取り敢えず助かった。感謝するよ」

『ああ、くれぐれも報酬を忘れな――』


 ブツッ。氷室の台詞を回線ごと叩き切る。今、馬鹿の戯れ言に使えるだけの無駄な時間はないのだ。

 どうせアイツにとって興味があるのは僕の支払う報酬だけ。それならお互い、必要なとき以外は極力避けるに限る。


 さぁ、また走るぞ。


「……頑張りますかぁ」



 僕はE区画へと辿り着いた。

 そしてそこでは、既に全てが終わってしまっていた。


「……はは」


 E区画で一番大きな通りを歩いて行く。目に入るのは瓦礫、死体、血、そして禍力と魔力の残滓。そればかりだった。

 歩きながら、目の端に引っかかった一つの死体へと近づき屈み込む。


 その死体は顔から上が酷く壊れていた。

 その死体は抱き上げるとたくさんが垂れ落ちた。

 その死体は――この間汐霧が身を挺して庇った少女によく似ていると、そう思った。


「…………」


 死体を少しだけ観察して、そっと地面に下ろす。

 頭の中は至極冷静だったので、なるほどがたくさん巡り巡っていた。だから僕はやっぱりねと嘯いて、へらへらと笑うことにした。


 ……駄目だな。ちゃんと頭を切り替えないと。


「汐霧は……見当たらないか」


 しかし残滓とはいえ禍力や魔力がこうも残っているということは、そう遠くない昔にここで戦闘行為があったということだ。

 注意深く探索と索敵を続けること数分。

 幸か不幸か、お目当てのものは存外早く見つかった。


「……汐霧!」


 一際大きく壊れ、瓦礫の山と化している建造物。僕は駆け寄り、一足飛びに駆け登る。

 その中心には、まるでめり込むかのようにして倒れている、荒い呼吸を繰り返す少女がいた。


 ……いや、実際にめり込んでいるのだ。

 彼女の腹から僅かに見えている瓦礫の先端は――きっと、そういうことなのだから。


「か、ふ……っ、あ」


 彼女の髪は銀色で、瞳は綺麗な紅色。実年齢からすると小柄な体躯と透き通るような白い肌。近くに散らばる拳銃の破片。

 それは見紛うことなき汐霧憂姫の姿だった。


「……あ……なた、は……」


 彼女は震える手と声で必死にそう言う。様子から察するに、今目の前にいるのが僕だと分かっていないらしい。

 目が見えていないのか……何にせよ、どうでもいいことだった。


 どの道、この傷では……


「……た……たすけ、て……」


 考えていると彼女は必死に懇願してきた。

 それを見て、僕は思う。

 ああ。本当にアイツにそっくりだな、と。


『…………………………たす、けて』


 目の前の少女は、あの日の妹と何もかもが同じだった。

 腹から鋭い何かが出ているところも、死に掛けているところも、僕に助けを求めているところも――何もかもが。


「……違うよ」


 半眼と薄笑いを浮かべる。


「全く、違う」


 現実を再確認する。意識から過去を振り払い、目の前の光景に集約させる。

 ああそうだ、あの日と今じゃ全然違う。あの日の僕はアイツを助けられなかったけど、今の僕ならそれが出来る。

 そのために生き永らえて来たのが、僕なのだから。


「今、助ける。絶対動かないでくれ」


 僕はその場に屈み込み、処理を開始する。

 彼女の腹を突き抜けている鋭い瓦礫、それに注意しながら迅速に、万一にもトチらないように。


 そうして、慎重に拳を彼女の心臓にブチ込んだ。


 肉を突き破る最低最悪の感触が、右手を覆い尽くした。


「…………ぇ」


 何が起きたか分かっていない、きょとんとした表情。

 僕はそれ目掛けて、再び拳を振り下ろす。


 冗談みたいな爆音。

 瓦礫の山が汐霧の頭ごと吹き飛ぶ。


 二つも風穴を空けた肉塊は爆風に乗って宙を舞い、僕の前方に無様に落ちた。

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