プロローグの終わり
◇
朝に学院長に退学申請の取り消しを申し出たり、それに対してちょっとした条件をつけられたり、お嬢さまが休んでいたりした他には至って平凡な平日。
時間はあっという間に昼休み目前の四時間目。科目は魔導学である。
これは魔法やパンドラについての科目で、今日の内容は今までのおさらいらしい。
僕と学院長以外知らないとはいえ、復学早々に怒られるのも馬鹿らしい。教官の言ったことを書き写すべくノートを広げる。
授業はちょうど、パンドラについての説明に移ったところだった。
「諸君も知っていると思うが、我々が使う魔法は魔力によって構成されている。その魔力の対となるものこそ、諸君が敵対するパンドラの最も警戒するべき要素であり、奴ら自身とも言えるもの……それが、
禍力。それはパンドラだけが操る災禍の力を表す言葉だ。
触れたものを破壊し、汚染し、陵辱し、蹂躙する災禍の力。
魔力とは反発する力のため、魔力を持つ人間ならある程度レジスト出来る。とはいえあくまである程度。禍力を纏った攻撃をマトモに喰らえば人間は死ぬ。
ちなみその昔はこれもまた魔力と呼ばれていたが、人間が使う魔力と区別するために現在の名前になった歴史がある。
「禍力はパンドラの核、人間で言うところの心臓で生成される。パンドラは核を破壊しない限り何度でも再生する。逆に核さえ破壊出来れば、どんなパンドラだろうと消滅させられる」
この説明を聞いた誰しもが思うこととして、核を潰すくらいなら楽勝だろう、というものがある。
だが、特にパンドラについての理解が浅かった時代など、そんな油断を逆手に取られて死んだ奴は数知れない。
今まで観測されたパンドラの中には核を高度100メートル上空に浮かべていたり、迷彩のように透明にしていた、体内を高速で移動させていた、なんてタイプもいた。
生きることにおいてパンドラは賢く、戦いにおいて人間は愚かだ。油断して勝てる道理はない。
「核がどこにあるかは個体によって千差万別だ。だから決して奴らを甘く見ないように。奴らと相対する時、周りの全てを疑ってかかれ」
教官がそこまで言った時、ちょうどチャイムの音が鳴った。彼はもうこんな時間か、と呟き足早に教室を出て行った。
「ふー……やぁっと昼休みか」
退屈な時間ほど長く感じる。今日の午前はまさにそんな感じだった。
特に四時間目。禍力の説明なんてとっくの昔に耳タコだ。それだけ大事なこととはいえ、限度というものがある。
教科書の類を鞄に適当に突っ込み、席を立つ支度をする。汐霧との約束は学食だ。生真面目そうなアイツならもう着いているかもしれない。
そう思って立ち上がると、同時に教室の扉近くが突然ざわざわと騒がしくなった。
「……あー……」
聴覚、次いで視覚でその原因を特定する。
今から逃げられないかなぁ、なんて思うも相手はお強いAランク様だ。レベル差がありすぎる。
いや、でもまだ目的が僕だって決まったわけじゃない。ただの自意識過剰の可能性だって全然ある。
というか、そうであってくれ。ただでさえ落ちこぼれとして悪目立ちしてるんだからもう無駄に目立ちたくないんだよう……。
「なに一人で独り言してるんですか。気持ち悪いです」
「……一人じゃなきゃ独り言じゃなくね?」
二人以上で交わされる独り言の応酬。割と今の状況を指してるような気がしなくもない。
予想が的中したことに心の中でさめざめと涙しながら、僕は口を開いた。
「で、何の用かな、汐霧? 学食で合流って話でしょ?」
「逃げてないか心配だったので」
「あんだけ釘刺されたら逃げないって……いつもご飯食べてる友達に断り入れてくるから、ちょっと待ってて」
「……あなた、友達がいたんですか?」
「失礼な。現在形でいるわい」
「ですか。まあどうでもいいですけど」
……だろうね。
「ハルカ何やってんだ。飯行くぞ……あん?」
声に振り返ると、そこにはその友達こと藤城と梶浦の姿が。
彼らの姿を見た汐霧が、その綺麗な目を僅かに見開く。
「……梶浦謙吾に藤城純、ですか」
「ん、ユウヒちゃんか。その馬鹿に何か用か?」
「遥、お前何かやらかしたのか?」
「お前たちは僕をなんだと思ってるんだ……?」
仮にも友達だというのに。そう思ってたのってもしかして僕だけなの……?
しかし、意外だ。汐霧も汐霧で意外と男と接点あるんだな。イメージとしては『男の人なんて穢らわしいです』くらい言いそうなものだけど。
「なんだかんだ男好きだったんだねぇ。はは、親近感が湧いてきたよ」
「……。二人とも、このクズを少し借ります」
「煮るなり焼くなり好きにするといい」
「別に返さなくって構わねえよ」
「ありがとうございます。行きますよ、儚廻」
「……クゥーン……」
クズに人権はない――例え世界が壊れてようが変わらない現実であることを、僕は引きずられながら噛み締めるのであった。
◇
昼休みの学食は人でごった返している。
ここで昼食を摂る生徒は非常に多い。ただでさえ東京中から生徒の集まるこの学院だから、混雑具合は凄まじいことになっている。
「これだけ混んでるとこっそり胸とか触ってもバレなさそうだよねぇ」
「……その話を聞いて、私はどうすればいいんですか?」
「あはは、またまた。汐霧この話関係ないでしょ? だって触れるほどの胸なんてあはははぐごぶっ!?」
「すみません。混んでいたので、つい膝が」
そんな漫才を繰り広げつつ席を探し歩いていると、丁度近くの席が空いていたので二人して座った。
僕は話を切り出す。
「……で、結局話って?」
「部隊編成の件です」
「あ、ならちょっと待って。まずはその部隊編成とやらについて教えて欲しい」
「……自分で調べなかったんですか」
「自由研究が忙しくてね」
「小学生ですか」
はぁ、と嘆息。
「部隊編成というのはその字の通り部隊を編成する行事です。部隊については知っていますか?」
「流石にそれくらいは。2~6人の魔導師による分隊規模のチームで、強力なパンドラや高難度の任務、あと異界化区画の攻略は部隊じゃないと参加できない」
これらの理由は簡単で、ただでさえ多くない魔導師がこれ以上少なくなるのを防ぐためだ。
パンドラの禍力は人にとっては猛毒と同じ。火傷、麻痺、腐敗――一人だけでは禍力による一撃を喰らっただけで終わりなのだから。
「部隊、すなわち多人数であれば万が一禍力を喰らっても仲間で対処が出来る。よって部隊は高ランクの任務になればなるほど必須とされている……と、こんな感じだったかな」
「はい、その認識で問題ありません。それを理解できているなら話は簡単だと思います」
そんな前置きから始まった汐霧の説明を簡単にまとめると、つまりは学生のうちから部隊行動や連携の基礎を学ぶための行事らしい。
部隊を組み、正規の部隊同様に依頼を受ける。遂行した依頼の難易度に応じた評価点が入り、その合計により成績がつけられる。そうしていい成績を取れば取るほど将来の進路に色がつく。
聞いただけでは他力本願の落ちこぼれ、つまり僕のような無能にはありがたいシステムだろう。
「……仕組みは理解した。それで、僕は何をすればいい?」
「特には。私と部隊を組んで依頼を受けていただければ、それで大丈夫です」
さらっと提案されたことを吟味する。
部隊の話というのにここにいるのは僕と汐霧だけ。普通いるであろう部隊の仲間は、どこにも見当たらない。
「……違ったら悪いけど、パートナーって解釈で合ってる?」
「はい、その通りです」
パートナー。それは二人のみで組む部隊の俗称だ。
高ランクの魔導士が好んで組むことが多いらしい、が……
「それ、汐霧ならともかく、僕には荷が重過ぎると思うんだけど」
彼女の魔導師ランクは学院内のものだけでなく、東京コロニー正規のものでもAランク。これはコロニーにいる正規軍や傭兵魔導師を合わせようと三桁もいない。
紛れもない高ランクの魔導師である彼女ならパートナーを組もうとするのも頷ける。
――だが、翻って僕は?
学院なんかの成績でE評定。正規のランクだったら格付けすらされないようなゴミクズだ。そんなのと組んだら、いつ弾みで死んでもおかしくない。
「僕の成績はご存知で?」
「それはあなたがいつも手を抜いているからです。違いますか?」
「……はぁ?」
そんな馬鹿げた、荒唐無稽な質問を投げ掛けた汐霧の瞳は、しかしこれ以上ないほど真剣だった。
「えっと……?」
「言葉通りの意味です。必要ならもう一度繰り返しますけど」
「いや別にいいよ。聞こえなかったわけじゃないから。……じゃあどうしてそう思った? 根拠は?」
「昨日の戦闘です。あの時のあなたの動きは、正規軍の魔導師と比べても全く劣っていませんでした」
またもや真顔でのたまう汐霧。昨日というと、Bランクのパンドラ二体との戦闘のことか。
……って、待て待て。それは流石に無理があるぞ。
「動きも何も、僕は不意打ち決めただけだろ? アレだけでそんなの分かるわけない。デタラメ言わないでくれよ」
「あの状況で臆さずに動き、一撃でパンドラを始末する……同じことを出来る人間はそういません」
「少なくとも梶浦や藤城、お嬢……じゃなかった、那月ならそれくらい目を瞑ってでも出来るよ。もちろんお前だって。だろ?」
「……私達のような人間は、生まれた時から訓練を受けてきたようなものですから」
汐霧は僅かに寂寥を感じさせる微笑を浮かべた。やはり彼女のような強い人間にも……いや、だからこそ悩みがあるようだ。
お嬢さまは汐霧同様名家の出。梶浦は正規軍元帥の息子。藤城は驚くことに一般家庭の出らしいけど。
「お前がどう思おうと自由だけど、僕が勝てたのは運が良かったから。本当にただそれだけだよ」
「今の成績があなたの本気なんて思われて、それであなたはいいんですか?」
「いいも何も、僕はいつだって全力だ」
「……でも」
「仲間に強くあって欲しいって思うのは分からなくもないけどさ、その妄想に殺されるのは他でもないお前だよ。それを踏まえて好きに思えばいい」
「…………」
黙り込まれる。幻滅されたのだろうか? まぁ、仕方ない。もうすっかり慣れた反応だ。
「……仕方ない、ですね」
見ると、今まで俯けていた顔を上げ、汐霧が真面目な顔を向けて来ている。
「あなたがそう言うならそれでもいいです。それを踏まえて……私の部隊に入ってくれませんか」
――入ってくれませんかも何も、そういう契約だっただろ。
そんなことを言うほど脳味噌が足りていない馬鹿じゃない。彼女がこんな問いをした意味くらいは嫌でも分かる。
パートナーと呼ばれる部隊は、前述したように高ランクの魔導士同士で組まれることが多い。それは何故か。
少人数故の評価の上昇。情報伝達の速度。連携の練度。認識の共有。意思疎通の正確性。機動力の優位性。裏切りの危険性の低さ。
一騎当千の魔導師が組む場合、二人と三人以上の間にはこれらの要素で大きな差が生じる。それこそ単純な数の差など軽く覆してしまうほどに。
取れる戦術や安全性、安定性など三人以上の部隊の方が上手な要素は、上記の要素に比べれば、高ランクの魔導師にとってはどうとでもなる問題だ。だから彼らは少人数の部隊を好む。
だが、それが罷り通るのは彼らが比類のない実力者だからだ。
僕のような無能が、そんな諸刃の剣を使ったらどうなるか。子供にだって分かるような問題。
もし僕が先ほどの質問で、実は自分が強いなんていう世迷い言をほざいていれば、彼女はこんな問いをしなかっただろう。
要は自分のことを弱いと言い張る僕に、命の危険を了承して貰うためってわけだ。
「……はは、律儀なことで」
笑う、笑う、嗤わない。
笑う要因こそあれど、嗤う要素はどこにもない。
契約って言い訳に逃げれば良かったのに、それをしない、知らないお人好し。壊れた世界でめっきり減った、生きるべき、生き辛い人間。
懐かしい、嫌いじゃない人のカタチだ。
「……なんですか、へらへら笑って」
「はは、ゴメンね。ちょっと面白くてさ」
「意味がわからないです」
「気にしないで。あと部隊の件、いいよ。よろしく」
「はぁ、よろしくお願……え?」
彼女の表情が固まる。まさかこうもあっさりと了承されるとは思っていなかったのだろう。
いくら金を出すとしても、命あっての物種だから。
だけど、忘れてはならない。
僕は自他共に認める金の亡者なのだ。
だからこそ、僕は右手を差し出した。
「ほら、これからよろしく」
「……あの、本当にいいんですか?」
「自分から誘っといて何言ってるんだか。いいよ別に。面白そうだし」
「死んでもおかしくないんですよ」
「ふむ。実は秘密だったんだけどね、僕って死なないことは意外と得意なんだ。実績にしてなんとあと少しで十七年」
戯言以下の何かを吐き出すと、クスリと汐霧が微笑んだ。
「……それはそうでしょう。馬鹿ですか、あなたは」
呟き、僕の右手に合わせて握る。いわゆる握手。
「これからよろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくね」
和やかに成される提携。その裏に何かあるのか、何もないのかさえ僕には分からない。
何故彼女がパートナー、そして僕なんかに拘るのか。
相応の理由があるのだろうが、聞いて教えてくれるようなら既に話しているはずだ。だから多分教えて貰えない。
……まぁ、別にいいか。
今はそうだとしても、いつか教えてくれるような日が来ればいい。
運ばれて来たお冷に口をつけながら、僕はそんなことを考えて、小さく笑った。
こうして一週間ほど気が早く、優等生と落ちこぼれなんていう世にも陳腐な二人組が出来上がったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます