第5話
第五章
雨森は住宅街の一角にあるマンションの3階に住んでいた。築年数は5年とそこそこらしいが、よく手入れが行き届いており、小ぎれいなマンションという第一印象をもった。付近の道路に車を停める。
「この時間だと起きてるかどうかわからんぞ」
冴木が腕時計を確認しながら助手席から降りる。6時半を少し回ったところだった。
「315号室だな」
その間にも、御霊はさっさとマンションの玄関に向かう。オートロックの扉が二人を出迎えた。
「ん」
「ん、ってなんだよ」
「よろしく」
「お前な…」
御霊に促され、冴木が嫌々ながらも315と入力し呼び出しボタンを押す。10秒ほどで反応があった。
『…どなたでしょうか』
「朝早くに突然の訪問申し訳ありません、北海道警察の冴木です。鯨井紗智さんの件について既に須能深夜さんから聞き及んでいると思いますが、雨森努さんに少々お話を伺いたい点がありまして。よろしいでしょうか」
冴木が警察手帳を提示しながら、インターホンのカメラに向かって話す。彼女は必要に応じて、ドスの利いた声も使えるらしい。
『わかりました、どうぞ』
気圧された様子の声の主が、オートロックの扉を解錠した。
315号室の前に着き、再びインターホンを押すと、女性が扉を開けた。
「おはようございます。冴木です。こちらは御霊です」
冴木はあえて御霊が探偵だと明かさなかった。話が
「ついさっき起こしたばかりで…あがってお待ちください」
どこかで見覚えのある様な青白い顔の女性は二人を中に招き入れる。鯨井が殺されたという話は既に聞いていようだが、こんなに早く警察が話を聞きにくるとは予想外だったに違いない。
リビングの小さなソファに、一人の男が腰かけていた。小柄かつ少し腹の出た中年の男だ。まさに今起きたばかりと言わんばかりに、髪は手入れが中途半端で、ところどころ寝ぐせが反り返っている。
「雨森努です」
「冴木です」
「御霊だ」
「どうぞ、お座りください」
用意された椅子に二人が座る。
「鯨井紗智のことは、深夜君から電話で聞きました。まさか、まさか…」
そう言いながら、手元のハンカチで額の汗をぬぐう。
「その点について、聞きたいことがありm」
「昨日の夜はどこにいた?」
冴木が穏便に話を進めようとした矢先、御霊がいきなり割って入った。しかもいつもの呼び捨て口調だ。冴木は内心呆れつつ、この男の機嫌を損ねないか気が気でなかった。
「は…家族と一緒に、この家にいましたが」
「外出はしてないんだな」
「いえ、ちょっと、車で近場のコンビニに買い物に出かけました」
「何を買いに行ったんだ」
「ビールとか、色々ですよ」
「車はどこに停めてる。車種はなんだ」
「正面玄関から出て左手にある駐車場の、赤いセレナです」
御霊が矢継ぎ早に質問を飛ばす。雨森は気が弱いらしく、終始おどおどした様子だ。御霊の上から目線な態度も気にする余裕はないらしい。
「鯨井、須能とはどういう血縁関係だ」
「鯨井紗智の父親が自分の兄で。深夜君、宵ちゃんの母親が自分の妹です。妹は既に他界しておりまして、自分が二人をここに住まわせています」
「鯨井と名字が違うんだな」
「自分は
心の中で冴木は噴き出した。この気弱そうな男と婿入りという単語は妙にマッチしているように思えた。
「亡くなった鯨井は、どういう人物だと思う」
「はい。…誰にでも好かれる子だったので、彼女に限って殺されるなんてことはないと思ってたんですが、そんな恐ろしい事をする人間がいるだなんて、未だに信じられません」
「須能兄妹についてはどう思う」
「本当に大人しくて、いい子たちです。家でもよく気が利いて、今では大事な家族です。もしかして刑事さんたちは、深夜君と宵ちゃんのことを疑ってるんですか。あの子たちに限って、そんなことは絶対あり得ません。そんな大それたことが出来る子たちじゃないことは、自分が一番よく知ってますから」
須能兄妹の話題に発展すると、一転して強い口調で喋り始めた。とても大事に想っている家族なんだろう。
「…私からの質問は以上だ。冴木、何か他にあるか」
「あ、あぁ」
唐突に主導権を振られた冴木は、温めていた質問のいくつかを聞いてみることにした。
「雨森さんは、何度か鯨井さんの別荘に足を運んだことがありますか?」
「ええ。年1回あるという集まりには参加したことはないですけど。年3,4回一緒に食事などはしていました」
雨森が再びハンカチを額にあてる。小太り気味なおっさんの汗でべたべたになったハンカチ。冴木は密かに心の中でウェッとした。
「鯨井さんが誰かの恨みを買っていたとか、トラブルがあったような話は聞いていないですか」
「それはないです。誰かに妬まれることなく、静かに暮らすのが目標だっていうのが彼女の口癖でしてね。悪い噂も聞いたことがないですし」
ふむ…と少し考えたのち、冴木は彼の傍らにある杖が気になった。
「雨森さんは、足がどこか悪いのですか」
「ええ。若い頃に無理をし過ぎたせいですかね。整形外科に通院中なんです。今では杖が手放せなくて。車を運転する分には問題ないんですけど、走ったりとか、重いものを持ち上げたりとかは、ちょっと無理ですね」
「なるほど」
その後2,3の他愛無い質問を終え、リビングを出ようとした冴木の目に、見覚えのある名前が飛び込んできた。福士忠道が書いた小説が本棚に置かれていたのだ。
「福士さんの小説、読んでるんですか」
「そうです、そうです。本を読むのが趣味なんですが、あの人の書いた小説は特に読みやすくてお気に入りなんです」
御霊が雨森の様子をちらりと伺った。が、それだけで特に話を聞くでもなく、さっさと玄関に向かってしまった。
「おい御霊、車はこっちだぞ」
冴木が車に戻ろうとすると、御霊が道を外れ、マンションの駐車場の方へと歩いていった。追いかけると、雨森の所有物と思われる赤いセレナを興味深く観察している。
「雨森の車がどうかしたのか」
「…冴木はあの男のこと、どう思った」
「どう、って」
「犯罪捜査における心理学の専門家としての意見を聞きたい」
「そうだな。私個人の観察眼でいくと、何か秘密を持っている人間の挙動だった。親戚が死んで悲しんだり、動揺したりする人間は山ほどいるが、あんなに脂汗ダラダラで緊張していたのは不自然だったな」
率直に思ったことを述べた。確証はなかったが、どうもあの男からはきな臭さを感じざるを得なかった。
「あの夜、雨森は車でコンビニに行ったと言っていたな」
「ああ」
「車のタイヤに土がついている」
「なに?」
冴木がセレナに近付くと、確かにタイヤが全体的に茶色っぽく変色していた。
「コンクリの道路を走っただけじゃ、こんな汚れ方はしない」
御霊はそう言いながら、スマホでセレナの写真を何枚か撮影した。
「つまり、雨森はコンビニ以外の場所にも車で向かったと?それが、事件のあった別荘?」
ここから車で別荘に向かうには、山を一つ越えなければならない。当然、そこまでの道程でタイヤに土が付着するだろう。
「嘘をついてまで向かう場所となると、その可能性は高い」
「じゃあ、雨森って男が犯人…」
「かもしれない」
御霊は曖昧な答え方をした。
「現場に戻ろう」
さっと身を翻し、死神探偵はまた冴木を置いて道を戻っていった。
*
冴木と御霊が現場に再び戻ると、警察官たちが冴木の不在の間も慌ただしく捜査を続けていた。
「状況はどうだ」
冴木は一人の警察官を捕まえて尋ねた。
「芳しくないですね。まだ経過途中ではありますが、犯人特定に繋がりそうな指紋、足跡、遺失物、その他諸々出てきていません。被害者のものと思しき指紋は出てきたんですけれども、犯人は手袋かなんかをはめていたようです」
「そうか…」
御霊は倉庫の中に入ると、赤いインクが付着した床を熱心に観察している。
「この倉庫、天井や壁だけでなく、床まで木で作られているんだな」
「ん?そういや、床まで木の倉庫っていうのも、ちょっと珍しいかもな」
小型の倉庫ならともかく、少し中が広めの倉庫であれば床はセメントを敷き、壁や天井は木なりトタンなりで囲う…というイメージだ。最も、全部木で作った方が視覚的に温かみのある空間という雰囲気の演出には成功している。倉庫にそんなものが必要なのか、冴木には甚だ疑問ではあったが。倉庫の床の木板はおよそ1mの長さに均等に切り揃えられたものが敷かれていた。
「冴木。この別荘にいる容疑者全員をこの倉庫に呼んでくれ」
「ん?」
「犯人を告発する」
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