第2話

第二章


「あ、光谷さん、御霊さん。お先です」

 21時10分過ぎ。リビングに戻ると、須能宵がワイングラスを手に花崎と談笑していた。

「あ、須能さん。もう来てたんですね」

「えぇ」

 御霊が声をかけたことに、須能宵が笑って返す。光谷は思わずドキッとした。その微笑みは、老若男女問わず相手を惹き付けられるような魅力があった。光谷は頭の中で被りを振りつつも彼女に話しかけた。

「もう具合はいいのかい?」

「だいぶ良くなりました」

「ずるいぞぉ、光谷。美人のお姉さんとお知り合いになったばかりか、おうちデートだなんて」

 花崎がまたグイッとワインを煽る。何杯飲んだのかは知らないが、まだまだ飲み足りないといった様子だ。光谷は呆れながらも、彼のざる具合に感心した。

「なんだよ、おうちデートって。みんなに御霊さんを紹介して回ってただけだっての」

 花崎のちょっかいに、光谷はやや面倒くさそうに返した。

「御霊さん、まだ連絡は来ないですか?」

 鯨井がふと声をかける。そういえば、彼女の携帯に連絡があった様子はない。

「来てないですね。道に迷ってるのかもしれません」

 御霊がスマホの画面を見ながら答えた。

「じゃあ、とりあえず一献。あ、この後運転するんなら飲まない方がいいか」

 花崎がグラスにワインを注ごうとし、直前にその手を止めた。鯨井が顎に手を添えつつ喋る。

「レッカー車で運ばれるなら、運転はしないんじゃない?」

「それならいいか」

 花崎がグラスに白ワインを満たす。

「でもその場で修理できる程度の故障だったら運転して帰るだろうね」

「おい、もう注いじまったよ」

 花崎が大袈裟なぐらいに、がっくりと項垂れる。

「俺が飲むからいいよ」

 光谷がそのグラスを手に取った。

「おい、そのグラスは御霊さんのために注いだんだぞ。お前が飲んでいい代物じゃない」

「なんだよそれ」

 これには鯨井も御霊も須能も、みんな笑みを零した。その時、部屋の隅にあるストーブからビープ音が鳴っていることに、光谷は気付いた。

「鯨井さん、ストーブからなんか音鳴ってますよ」

「ん…?あれ、灯油が切れたみたい」

 鯨井がストーブに近づき、原因をチェックする。どうやら灯油ストーブでこの部屋を暖めていたらしい。

「じゃあ外の倉庫から持ってきて補充しないとなぁ。おかしいな、昨日見たときは満タンだった筈なのに」

 鯨井はそう言って振り返る。灯油タンクを持ってくるつもりのようだ。

「自分が持ってきましょうか?」

「いや、ちょっと分かりづらいところにあるし。それに私は鍛えてるから平気だよ」

 鯨井はそう言って腕まくりし、力こぶを作ってみせる。普段スポーツジムで鍛えていると豪語しているだけの事はあるようだ。

「おつまみとかも、台所にあるやつ勝手にあけちゃっていいからね」

 そう言い残し、鯨井はそそくさとリビングから姿を消した。

「倉庫、外にあるんですか?この時期は往復が大変ですね」

 御霊が、ふと気付いたように言う。

「わたし、一回だけ中を見たことがあるんですけど。紗智さんの工房みたいな感じで、日曜大工に使う道具がたくさん置かれてるみたいです」

 須能宵が、ワインをちびちびと飲みながら反応する。

「深夜くんは、この集まり以外でも別荘を何度か訪れてるんだっけ」

「はい。紗智さんとはいとこなので、宵と一緒に小さい頃から訪れてました。確か小3ぐらいの時から」

「へぇー。自分も鯨井とは付き合い長いけど、それは知らなかったな」

 光谷が驚嘆の声を漏らす。それにつられて御霊が光谷の方を向いたので、光谷は少しドキリとした。

「光谷さんはいつ頃から鯨井さんとお知り合いになられたんですか?」

「え?あぁ、高校1年の時からかな。大学も同じだったし、腐れ縁みたいなもんだよ」

「俺は大学の時から鯨井と同じゼミにいてなぁ」

 花崎が聞かれてもいないのに一人語り始めた。

「あいつは昔から要領がよくて優秀だった。ゼミでも一番だったし、大きな証券会社に内定一番乗りだった。それを辞めて独立して、今は実業家としてガンガンやってるんだから凄い。偉い。尊敬した」

「本人の前で言ってやれよ」

 饒舌な花崎に対し、光谷が半ば呆れながら口を挟む。

「おつまみ、少なくなってきましたね。わたし取ってきます」

 須能宵がそう言って立ち上がった。

「あぁごめん、頼めるかな」

 須能宵がキッチンからスナック類を持って帰ってくるのと、リビングの扉が開くのが同時だった。しかし入ってきたのは鯨井ではなく、福士だった。どうやら原稿がひと段落したらしく、安堵した様子で席についた。

「あー、捗った捗った。自分も一杯貰っていいかい」

「福士さんあんまり強くないんですから、ほどほどにしてくださいね」

「分かってるよ。深夜君はちょっと心配性だな」

 福士がぽりぽりと後頭部を掻きながらグラスを手に取る。そこに花崎がボトルを傾けた。

「そういえば福士さん、大学の時の話なんですけど…」

 その後は皆、昔話に大盛り上がりだった。1年に1回、心を許し合える仲間と思い出話に花を咲かせ、笑い合える時間。御霊も、なぜわざわざ北海道の僻地の別荘なんかにこれだけの人が集まっているのか最初は甚だ疑問だったが、その理由がわかったような気がした。この時間は、日々の喧騒けんそうを忘れることが出来る、何物にも代えがたい、貴重な心休まるひと時なのだ。


 が、しかし。この歓談の裏側で、別荘にいる誰かが憎しみを殺意に昇華させようとしているということを、御霊鏡子は知っていたのである。

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