窓から投身未遂事件

葎屋敷

窓から投身未遂事件



放課後、俺は校舎裏で身を硬くしていた。目の前には少女が一人。俺は今日、彼女に呼び出されてここに来た。

彼女の名前は照島さん。去年、クラスが一緒だった女子生徒だ。何回か話したことがあるだけの、普通の元クラスメイトだと思っていた。



「あ、あの、わ、私。私、あなたのことが」



彼女の口から甘い音が漏れ出る度に、俺の目が乾いていく。口が自然にぎゅっと結ばれた。


この状況はまさに告白シーン。間違いない。そう確信し、俺は彼女の言葉の続きを待った。



「その、あなたが、す、す」



照島さんは何度も言葉を詰まらせながら、それでも言いきろうと口を動かす。俺は決定的な台詞が飛び出すのを、激しい鼓動の音に耳を澄ませながら待った。



「す、き――」



彼女の口から出た言葉に、自身の頬に熱が溜まるのを感じる。沸騰しそうな脳内を整理しようとした直後、



「――なんかじゃないわよぉおおお!!」



照島さんは先程までの小声が嘘だったかのように大声をあげ、なにかを地面に叩きつけた。そしてくるりと俺に背を向ける。そのまま彼女は陸上部も真っ青の俊足に身を任せ、その場から去ってしまった。



「……え?」



一人取り残された俺は呆然と立ち尽くす。俺の口から発せられた意味のなさない音が、誰もいない校舎裏にこだました。



* * * * * * * * * * *



「それで、お前は告白したわけでもないのに振られたと」



翌日の昼休み。俺は昨日の放課後にあった摩訶不思議な出来事を、友人に聞かせていた。俺たちが座り込む屋上には、他に誰も見当たらない。この他人に邪魔されない空間で、友人の客観的な見解が欲しかったのだ。俺の身に起こったことが一体なんだったのか。



「いや、うん。まさにそんな感じなんだけど、照島さんこれ落として行ってさ」


「話を聞いてる限り、落としたっていうか叩きつけたみたいな感じだと思うんだけど……。なんだそれ?」



友人が指をさした先には一枚の封筒。その封筒は淡い水色だが、所々茶色い汚れが付着している。

それは昨日、照島さんが地面に叩きつけたものだ。彼女が走り去った後、俺はそれを拾い、土をできる限り払い落とした。そして少々汚れが残ってしまったそれをよく見れば、俺宛の手紙であった。封を切り、中を見た俺は困惑の渦へと巻き込まれた。



「これ、照島さんから俺へのラブレターっぽくて」


「自家撞着すぎて笑うんだが」



友人は俺の発言を受け、宣言通り声をあげて笑い始めた。この友人は他人事だと思い、気楽に考えているに違いない。俺は腹立たしく思ったが、間違いなく友人には他人事た。相談にのってもらっている立場上、俺には友人を睨みつけるのが精一杯だった。



「で、それにはお前の照島さんの恋心が綴られてたと」


「書かれてた。めっちゃ細かいとこまで褒められてて、家で叫んだわ、俺。恥ずくて」


「……付き合っちゃえばいいんじゃね?」



友人の提案に俺は悩み、頭を抱える。この手紙だけならば、友人がそう言いたくなるのも無理はない。しかし、



「俺、好きじゃないって言われてんだってば」


「そうだった、そうだった。マジウケる」



そう、俺は「好きなんかじゃない」とはっきり言われてしまった。



「照島さんは俺のことが好きなの!? 好きじゃないの!?」


「まあ、普通に考えれば照れ隠しじゃねぇの? 緊張でバグっちまったんだって」


「それで違ったらどうするんだよ!」



己の予想に噛み付く俺を、友人は心底億劫げに横目で見る。そして手元のカフェオレで冷えた手を温めながら、一本だけ、指をその温もりから離した。指先は、再び俺の持つラブレターをさしている。



「ん」


「……なんだよ?」


「それ、読めばわかんじゃねぇの?」


「いや、読んだよ。昨日死にそうな思いしながら読み耽ったわ」



友人に言われずとも、俺は羞恥に耐えながらこの手紙を熟読済みだ。母からのクレームも無視しながら、叫び、それでも読んだ。そして弟のゴミ虫を見るかのような視線にも耐えながら、顔をだらしなく緩ませ、読み返したのである。

俺の返答に友人は呆れたようにため息を吐く。そしてひとつの問いを投げかけてきた。



「それ。イタズラとか、嫌がらせとかで書けるようなもんだったのかよ?」



友人の問いに、俺は目を落とす。皺が寄らぬよう両手の指先でそっと持ったそれが、そんないい加減なものであったなら。俺もここまで悩む必要がなかったのだ。


友人は黙り込む俺になにを思ったのか。ニヤリと笑みを浮かべる。俺はその表情に見覚えがあった。思わず背筋を凍らせる。その笑みは、かつて友人が俺に心霊写真(精巧な偽物)を見せ、俺が悲鳴をあげるのを嘲笑ったときと同じであった。



るかるかの大勝負だ。こういうのは勢いで行っちまえ」



* * * * * * * * * * *



 いきなり、こんなことを言うことをお許しください。


 私はあなたが好きです。あなたは覚えていないでしょうが、私にはあなたを好きになる瞬間がたくさんありました。


 私が落としたものを届けてくれて。

私が一人で黒板を消しているとき、あなたは私に自然に話しかけながら手伝ってくれて。

 私が好きな本の話を、休み時間の短い間だけだったけど、真剣に聞いてくれて。


 あなたはどんなときも笑っていて。


 少しも愛想笑いできない私に、たくさん笑いかけてくれました。


 私はそんなあなたをいつしか、目で追うようになりました。だから、知っています。あなたが優しいのは私だけではありませんでした。

 男女分け隔てなく接し、誰にでも誠実なのがあなたの良いところだと思います。そういうところも好きです。

 苦手なことに一生懸命なのも好きです。勉強でわからないところは友達や先生に聞いて、克服しようと頑張っていましたね。次のテストは前よりもっといい点数が取れると思います。気持ちだけになってしまいますが、私はいつでもあなたを応援しています。

 大好きなことに一生懸命なのも好きです。帰るとき、あなたがグラウンドを駆ける姿を見えます。立ち止まって見て、あなたに気付かれてしまったらと思うと、どうしてもチラ見するだけで終わってします。でも、通り掛けに横目で見れば、あなたの前を見据えて走る姿が見えるのです。それだけで、胸がいっぱいになります。



 そんな、私にはない、良いところをたくさん持っているあなたが好きです。



 私は天邪鬼で、どうしようもなく。あなたには不釣り合いなのに、どうしても気持ちを抑えきれませんでした。迷惑だったらごめんなさい。でも、どうか、馬鹿にしててもいいから、私をあなたの記憶の片隅に置いてください。そしてどうか、辛いときがあったら思い出してください。


 この世界に、あなたをずっと好きで、あなたの味方である人間が、少なくとも一人、ここにいます。


 私はあなたのことが大好きです。



* * * * * * * * * * *



 廊下を走る。他の生徒にぶつかりそうになりながら、俺は彼女のいるであろう教室へと向かった。友人に焚きつけられた俺の気は、間違いなく急いでいた。

 教室の入り口へと辿り着く。中を覗き込めば、彼女の姿はすぐに見つかった。窓際で机に突っ伏している。その前の席の女子生徒が、黒板に背を向けながら彼女に話しかけていた。なにを語りかけているか、俺の位置から聞き取ることはできない。しかし、頭を撫でられている彼女の状況から、落ち込んでいるところを慰められているのかもしれない。そう思った。


 俺は彼女に届くように、その名前を叫んだ。



「照島さん!」



 俺の呼び声に、照島さんが顔をぱっと上げる。彼女の視線が己に突き刺さると同時に、多数の好奇の目が俺に向けられていることがわかった。こそこそと女子生徒が話す声が聞こえる。その声から意識を逸らすように、俺は数分間に聞いた友人の言葉を思い出した。



『勢いで行っちまえ』



 その教えに従い、俺は思いの丈を叫んだ。



「照島さん! 俺、照島さんのこと、もっと知りたいから! 照島さんが俺のこと見ててくれたみたいに、俺も君のこと見てたいので! 俺と、付き合ってくださいっ」



 俺の叫びが教室どころか、廊下まで響く。一呼吸の沈黙をもって、昼休みの教室は阿鼻叫喚となった。


 女子の甲高い悲鳴。男共のはやし立てる声。拍手。口笛。なぜかタップダンスをしているかのような靴音。スタジアムでスポーツ選手がゴールを決めたような歓声が、俺を包んでいた。


 照島さんは、俺と同じくらいの視線を受けながら、ただ呆然としていた。しばらくして、ようやく俺の言葉を理解したのか、急速に顔を赤くし、口をパクパクと開閉し始める。そして教室のクラスメイトどころか廊下からの見物客の視線も見守る中、彼女は開口一番、こう言った。



「そ、そんなの、恥ずかしくてむりいぃぃぃぃぃ!」



 俺の告白よりも大きい彼女の声が教室の窓ガラスを揺らす。余計に見物客がわらわらと教室の入り口に殺到する中、彼女は逃走を図った。自分の座っていた椅子を踏みつけ、両手で窓を開ける。そして片足を横框よこかまちに乗せた。

窓の外に身を乗り出さんばかりの状況に、先程まで彼女に話しかけていた女子生徒が、彼女の背中へと手を伸ばし、制服のジャケットの裾を掴む。外へと落ちそうになる照島さんの身体を、女子生徒の腕が懸命に教室に留めていた。彼女は照島さんに向かい、制止の声をかける。



「落ち着け、てるっち!」


「離して! つ、付き合うなんて無理よ! し、死んじゃうじゃない! そんなことなら、ここでいっそ――!」


「よく考えるんだ、てるっち! ここは一階だから、飛び降りても上履きが汚れるだけなんだ!」



 結局、涙目で窓からの投身を試みた彼女を落ち着かせることに成功したのは十分後であった。



 この「窓から投身未遂(一階)事件」はその日の内に同学年に伝わり、翌日には全生徒、全教員が知ることとなった。



* * * * * * * * * * *



 「で、初のお泊りデートはどうだったよ?」



 事件からちょうど三カ月経った昨日。俺は家族のいる家に彼女を呼び、お泊りデートと洒落込んだ。

 昨日の放課後まではウキウキの俺だったが、そのデートの結果は惨憺(さんたん)たるものだった。本日は屋上にて、友人にその報告をしているところだ。



「……初キスを試みた」


「おお! 進展! ……で?」


「なんか俺の顔が近づくだけで、恥ずかしさが天元突破するらしくて……。窓から逃亡を図られた」


「いや、普通にドアから逃げろよ」



 昨日の俺の彼女が行ったことに対し、友人は呆れ顔でそう言った。ぐうの音も出ない正論だが、俺はそんなことよりも拒絶されたことに精神的ダメージを食らっていた。



「俺のことが嫌いなわけじゃないって謝ってくれたけど、けど……」


「もう見つめ合うだけで恥ずかしいと。甘すぎて砂糖が胃から吐き出そうだわ。もういっそ目隠しでもすればいいんじゃね?」


「そんな特殊プレイ俺の方が耐えられねぇ! 恥ずかしくなって、俺の方が窓から飛び降りる!」



 友人の提案の内容を頭に浮かべた俺は、身をくねらせながら叫んだ。友人は俺の言動を受け、顔を歪める。そして身体ひとつ分、俺から距離をとった。



「似た者同士か! 一生やってろ、バカップル」



 その後、友人は校内の自販機にて無糖の缶コーヒーを購入。スチール缶越しに伝わる熱を考慮せず、一気飲みに挑戦。あえなく失敗し、舌を火傷させていた。

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窓から投身未遂事件 葎屋敷 @Muguraya

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