第39話 回帰


 ぽつん、という言葉が似合うと思う。


 ずっと白い霧の中にいるような気がする。

 見えるようで見えない。見えないようで見える。

 そんな不思議な空間に自分は存在していた。

 もうずっと顔を上げていない。

 渉は膝を抱えて、胎児のように丸まっていた。




「あなたの周りにいる優しい人たち。あなたは見えているの?」




 不意に声が聞こえた。

 どこから聞こえてきているのか、色んなところに反響して聞き取り難いはずなのに、不思議と渉の耳に届いた。

 自分はこの声を知っている、と渉は思った。

 誰なのか、今ならはっきりと解っている。



「……いつまで逃げるの?」



「なぎ……」



 渉は声の主の名を呼んだ。

 もう一人の自分。

 自分をずっと厳しくも見守ってくれていた、存在。

 自分の心の内側にいた大切な存在。

 その存在が渉の目の前に現れた。

 自分の容姿をしているのに、『なぎ』という少女だと分かる。



「一人で抱え込まないで。あなたは一人じゃない」

「一人じゃない……」

「大丈夫。一からじゃなくて、零から始めるの」

「零から……?」

「一人じゃないから、恐くないでしょう?」



 なぎに顔を覗き込まれて、渉は目を見開いた。

 その瞬間、渉の脳裏に様々な映像が去来した。


 仮想空間で一緒に暮らし過ごしてきた仲間のこと。その仲間と現実でも会えたこと。

 それから、ずっと置き去りにしてきた自分のこと。

 大切なものはいつだって他人に決定権があり、いつも自分は一人だと思っていた。

 誰も助けてくれないのだと思っていた。

 そして、自分で守り切れないと思っていた。


 たくさん、たくさん、疲れて。

 足は泥沼に嵌っていて。

 いつしか自分は逃げていて。

 自分はここにいちゃいけないのだと思っていた。

 自分を傷つけていた。


 でも。

 いつも自分の周りには優しい人達がいた。

 自分を助けてくれて、それから愛してくれていた。

 それに気がついた。



「僕……」



 不意に涙が込み上げてきた。

 なぎがそっと渉の傍へ寄り添い、流れる涙を拭ってやった。

 涙がとめどなく溢れてきた。

 全てを洗い流すかのように、涙は流れた。

 なぎが綺麗な涙を流せるようになった渉を、まるで壊れ物を扱う様にそっと抱きしめた。



「さあ、帰ろう」

「どこへ……?」

「みんなのところへ……」



 肩口に額を預けていた渉が顔を上げると、なぎが笑った。

 すると地面から足が離れ、渉の体がふわり浮いた。

 渉が目を瞠り天を仰ぐと、白い霧の僅かな隙間を縫って光が差し込んできていた。

 やわらかな光の線がとても幻想的で美しかった。



「なぎ、君も」



 渉はなぎの手を取ろうとしたが、寸前で手を取り合えなかった。

 なぎはふるりと首を横に振った。



「……私、消えるね」

「え……?」

「あなたが見つけてくれたから」



 なぎは嬉しそうに、けれどほんの少し淋しそうに言った。



「もう会えない……?」

「違う。あなたになるの」



 なぎが慈愛に満ちた眼差しで渉を見て、花がほころぶように微笑んだ。

 綺麗な笑みだと渉は思った。




「自分の味方だけは、やめないで」




 なぎはそう言うと、ゆらりと霧の中に溶けていった。

 ゆっくりとゆっくりと。

 足元から順に。

 



「さよなら、ありがとう」




 二人の言葉が偶然にも重なった。







 渉が回復したのはそれから半年後のことだった。

 渉が目覚めた時、彼の周りに優しい人たちが集まったのは言うまでもない。

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ホンモノ、ニセモノ。 結田 龍 @cottoncandy8

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