第38話 一歩

「え、これ撮影始まったの?」

「押した! スイッチ押した!」

「マジ? えっと、渉くん、こんにちは。こんばんはかな? お久しぶりです。黄木藍子です」

「黒沢純也。お前の先輩」

「青山一葉です……」


 ノスタルジックで温かな雰囲気の店内を背景に、背筋を伸ばした藍子と純也、一葉がセンスの良い重厚な色の木製のテーブルの席に座り、目の前に立てた三脚に乗っているスマホに向かって話しかけていた。

 三人は古民家カフェ・芦花の定休日を利用して、療養中の渉にビデオレターを送るべく、動画を撮影していた。


「あれから半年が経って、そろそろいいかなぁって三人で話してこの動画を撮っています」

「本当は会いに行きたかったんだけどな」

「まだ回復していないようだったので……」


 唇を尖らす純也を見た一葉が苦笑した。


「渉くん、その後いかがですか? 『ニューワールド』は時間がかかったけど、無事システムエラーを復旧することができました。渉くんも協力してくれたおかげです。ありがとう。それから、『ニューワールド』の契約ですが一旦保留になりました。ごめんね、私が『ニューワールド』チームから異動になったせいで完全に契約の提案をなくすことはできなかったけど、とりあえず保留にしておいたから」

「大人のくせに、もうちょっとガンバレよ」

「生意気言わないで。大人には色々事情があるのよ。純也くんも社会に出たら巻き込まれるから覚悟しなさいよ」

「うへぇ」


 藍子が軽く睨むと、純也がおどけたように肩をすくめた。


「んじゃ、次オレな。赤坂、オレ三年になったわ。軽音楽部で組んでたバンドは結局解散になった。ボーカルのヤツがメジャーデビューして学校で一時期盛り上がってたんだぜ。赤坂もいたら良かったのにな。で、オレは……もうバンドやってない」


 俊輔は少し辛そうに顔を歪ませたが、すぐさまぱっと表情を明るくした。


「でな、オレ三年で受験が始まってやっと進路決まったんだ。映像編集者を目指して大学受験する。バンドしながら動画も編集してたんだけど、編集も結構面白くてさ。親父と派手な喧嘩してしばらく音信不通だったんだけど、真剣に受験のこと話したらあっさりと許してくれたわ」

「ふふ、大学行くって決めた息子を見ただけで安心するなんて、あの人も単純ねぇ」

「オレも思う」


 スマホには映らないようにカウンターで仕事をしていた芦花が、姉弟である純也の父親の反応を想像したのか話に入ってきた。


「というわけで、オレはすでに前に進んでるぞ。置いて行かれたくなかったら早く追いかけて来いよ」


 俊輔はひと息に言うと満足げに笑った。


「じゃあ、次は一葉ちゃん」

「は、はい」


 藍子が水を向けると、緊張気味で頬を赤くしていた一葉が上ずった声で返事をした。


「あの……私は大学に通ってて住み込みをしながら、その……ゴーストライターをしてたんですけど……それを辞めて先生の家を出ました。実は今、この古民家カフェ・芦花に住んでいます」

「ちょうどオレが実家に戻ったんだよね、親父が帰って来いって言ってさ」

「部屋がちょうど空いたからねぇ。入れ違いで一葉ちゃんがこっちに移ってきたのよねぇ」

「はい」


 芦花の包容力のある優しい声に、一葉が嬉しそうに返事をした。


「私は黒沢くんのように前に進んでいるわけではなくて、やっとスタートラインに立てたという気がしています。小説家になりたい夢もまだまだこれから。叶うかどうかは分からないけど」


 自信なさそうに笑った一葉に横から背中をぽんぽんと藍子が叩いた。


「一葉ちゃん若いんだから、今のうちにいっぱいチャレンジすればいいのよ。あ、そうだ今度私の会社でゲームの企画があってシナリオライターを募集する予定なんだけど挑戦する?」

「な、何ですか、それ!?」


 はっと気が付いた藍子の発言に、一葉は目を丸くした。

「私、『ニューワールド』チームから異動してって言ったでしょ。新しい部署が社長直轄の部署でね。そこでヒットコンテンツを作るべく色々企画を作ってるのよ。この間やっと社内でGOが出たゲームの企画があって、その準備の一環としてシナリオライターを募集するのよ」

「あ、あの応募してもいいんでしょうか!?」

「もちろん。でも、コネ採用はないからね。みんな平等に審査するから」

「もちろんです! ぜひ挑戦させてください!」


 藍子の言葉に興奮気味の一葉が言った。


「おー、いいじゃん」

「じゃあ、一葉ちゃんの初めの第一歩が出たということで」


 純也がぱちぱちと拍手で盛り上げ、藍子が不器用なウインクを一葉に向けた。


「渉くん、私たちも上手くいかないことも多いけれど、少しずつだけど前に進むことにしたわ。渉くんが前へ進みたくなったら、いつでも私たちを呼んで。一歩だけ前を進んでいる私たちがあなたを迎えに行くから」

「目が覚めたら、ちゃんと連絡しろよ」

「私たち、待ってますからね」


 三人は撮影しているスマホに向かって、この日一番の笑顔を見せた。

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