第3話

 男の方は、黒のロングコートに黒の革手袋。薄暗いレストランの照明を目いっぱい照り返すプラチナブロンドの髪。

 女の方は、肩までの黒髪をくるくるとカールさせ、いわゆるゴスロリ服を着ている。


 なるほど、どこからどう見ても探偵役の主人公たちだ。こんな奇特な人物が現実にいるか。

 どうせ男は方向音痴で、山中で迷って雨に降られて彷徨ううちにこのホテルを見つけたとかだろう。

 グズグズしているうちに舞台が完全に整ってしまった。


「どうしたんだ。熱いうちに食べなさい」


 そう言うが、老紳士よ。

 僕が殺されたらきっと第二の被害者はあんただぞ。よくある話だ。


「そうよ。ここのスープ、おいしいのよ」


 そういう老紳士の妻はもう目が笑っている。

 爛々と瞳を輝かせながら、僕に「死ね!早く死ね!!」と言っているかのようだ。


 ひとつ、ため息をついた。


 思えばこの散々な人生も、もしかしたらこの日のための舞台装置のひとつに過ぎないのかもしれない。

 だとしたら、もしここで理由をつけて逃げることができたとしても、きっと今度はひなびた温泉街で、レトロな鉄道が売りの観光地で、絶海の孤島で、僕は何度でも殺されそうになる。

 そういう、役柄なんだとしたら。


 鏡のように磨かれたスプーンを右手で握る。

 皿に注がれた真っ赤なビスクをすくい、口に運ぶ。


 す、と吸い込めば香る、濃厚な海の香り。舌を滑っていく甘い海老のエキスとトマトのほのかな酸味。

 ああ、こんな美味しいもの、生まれて初めて食べた。


 僕はあまりの美味に、一瞬にしてさっきまで頭をぐるぐる巡っていたサスペンスドラマ説を忘れた。

 なんだ、殺人事件なんて。

 そう、そんな、ドラマみたいなことがあるわけ……


 と。

 手から勝手にスプーンが落ちた。

 そして、粟立つ肌に走る悪寒。

 内臓が締め付けられる感覚がして、意識が霞かかっていく。


 やっぱりな。

 そんなことだろうと。


 遠のく意識に、必死に僕の名を呼ぶ老紳士の声と、雷鳴が響いてくる。

 さあ探偵さんたち、謎解きの始まりだ。


 どんな安いサスペンスドラマもミステリも、僕がいないと始まらないのさ。

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被害者の覚悟 sigh @sigh1117

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