Ⅳ
「骨董品と呼べるものなんてないけどねえ」
丁度いいところに、とは思えど、うちにはさして大したものはない。彼女は頬に手を当てて、首を傾けた。
「貴重品でなくても構いません。私どもは、皆さんの“想い”に僭越ながら値を付けさせてもらっているんです」
「想い?」
「その品に込められた想いです。記憶や思い出といった目に見えないもの。知らず知らずのうちに刻み込まれた歴史に、私たちは価値を置いています」
不思議な表現を使う子だ、と彼女は思った。しかし、この少女にはどこか好感が持てる。
「じゃあ、見るだけ見ていく? 値の付けられるものがあるかどうかはわからないけれど」
物置の扉を開け、手分けして作業に移る。積み上げられた段ボールの中から出てきた父のレコードやクラシックギター、祖父母が集めていた茶器や掛け軸など、少女が目を付けた品々を時折、家族に確認を取っては選別していく。ひとつひとつに敬意のこもった眼差しを向けては、彼女は持参したトランクの中にそれらを注意深く詰め込んだ。
女性は、少女を屋根裏へと案内した。埃の舞う室内にはごちゃごちゃと雑多なものが置かれ、どこから手をつけたものか、とため息を吐きたくなってくる。
母の着物や手鏡、髪留め、誰のものかわからない万年筆などを少女はトランクに収めていった。そろそろ中身もいっぱいになってきた頃、ふと、木製の箱が女性の目に留まった。彫刻の施されたマホガニー製の鍵付きの箱。言いようのない懐かしさを覚え、彼女は吸い寄せられ得るようにそれを手に取り、蓋を開けた。
「これ……」
中には、綺麗なお人形が入っていた。茶色のゆるやかな巻毛に淡い色の瞳をもった女の子。ピンクの花柄のワンピースは時を経てくすんでしまっているが、それでも彼女はまだ可憐で愛らしい。
「何か見つかりました?」と、少女がこちらを覗き込んだ。
「え? あぁ。ちょっと、懐かしいものが出てきてねえ」と、彼女は人形の髪を撫で、見やすいように体を傾けた。「小さい頃に貰ったものでね。おままごとしたり、公園に持っていったり、あの頃はどこへ行くにも一緒で。お母さんにでもなったつもりで、名前をつけて可愛がっていたの。貴女も小さい頃、そんな遊びをしなかった?」
「はい。私にも覚えがあります」
「女の子は好きよねえ、お人形とか、ぬいぐるみとか。でも、こんなところにあったのね。とうに失くしたと思っていたわ」
両腕に手のひらを差し込んで抱き上げる。こんなに小さかっただろうか。確かに、子どもの頃とは手の大きさも身体の大きさも違っている。人形である彼女だけが歳もとらずにそのままだ。
「このお人形は、手元に残されますか?」
「え?」
少女の問いに、頬に手を当てて考える。確かにこれは幼少期の思い出がたくさん詰まった品だ。しかし──
「別にいいわ。うちには子供もいないし。持っていても仕方がないから。誰か欲しい方に渡るのが一番でしょう」
「そう、ですか」
寂しげな笑みを浮かべる少女の顔が焼きついて、その後も長く尾を引いた。
「では、また何かありましたらご連絡ください。こちらから伺わさせてもらいますので」
トランクを片手に、背中にはギターを背負い、例のお人形を子どもを抱きかかえるようにして持ちながら、少女は門の前でお辞儀した。
地平線を目指す太陽が空の色を塗り替える時間、少女が道を引き返す。彼女の肩口からお人形の顔が覗き、勿忘草色の瞳と目が合ったような、妙な心地が女性の胸を渦巻いた。
そういえば、あの子の名前は何だったかしら。毎日呼んでいた名前を今はもう思い出せない。親戚の家に行くときも、仲のいい友だちと遊ぶときも、いつでも一緒。あやまってどこかへ置いてきてしまったときは、一日中泣きながら近所を探し回った覚えがある──ナナちゃーん、ナナちゃーん、と声を上げながら。あ、そうだ。あの子の名前は「ナナ」
「あの、ちょっと待って!」
女性は駆け出すように後ろ姿を追った。立ち止まった少女が振り返り、きょとんとした表情を向ける。
「あの、やっぱりそのお人形、私が持っていてもいいかしら」
勝手なことを言っている自覚はあった。面倒な顔をされるかと不安に思った矢先、彼女が嬉しそうに顔を綻ばせるものだから、驚きの方がまさってしまう。
「もちろんです! どうか、あの、これからも大切にしてあげてください」
手渡されたお人形は、彼女が抱えていたからか、じんわりと温かかった。目にかかる髪を優しくはらってやる。変わるはずのないその表情がやわらかなものに変わった気がして、手放したら後悔していた、と一人安堵した。
道端にトランクを置き、少女は中から木箱を取り出して女性に手渡した。
「あ、さっき頂いたこの子の代金」
エプロンのポケットに入れた封筒に手をやると、少女は「いいんです」と首を横に振った。
「ナナちゃんへの手向けに貰っておいてください。きっと、彼女も喜んでいると思いますから」
「は、あ」
またね、とナナの頭を撫で、彼女は踵を返した。
なんだか不思議な子だったな、と女性は人形を抱きしめて、家までの短い道のりを歩いた。はた、と足が止まる。そういえば、この子の名前なんて口にしたかしら。眉を潜めて、頭を捻る。しかし、ひとたびナナの姿を目に映せば、そんな些細なことはどうでもいいと思えた。そうだ。今度の休みは、この子を飾る小さな椅子を探しに行こう。繰り返される単調な日常に微かな彩りを見いだした、久しく感じていなかった高揚感にじっくりと浸る。忘れかけていた想いを取り戻し、彼女は家の扉を開けた。
*
「ただいま戻りましたー」
すっかり日も暮れた頃、彼女は重いトランクを引きずって、店の中へ入った。
「おかえり」
奥から顔を覗かせた店長がその姿に安心したような笑みを浮かべる。
「あの子は無事に帰れたみたいだね」
「はい。ナナちゃんは無事、迷子じゃなくなりました」
本当によかったあ、と疲れた身体を彼女はソファーに横たえた。
「家は、すぐにわかったかい? この数十年であの辺りの景観はだいぶ変わってしまったから」
「あぁ。それが、ありがたいことに彼女が住んでいた住宅の辺りは割とそのまま残ってたんですよ。まあ、お店なんかはさすがに色々と変わっていたんですけど。途中からはナナちゃんが案内してくれました。もう、子どもって本当に元気ですよねえ」
「君だってじゅうぶん若いじゃないか」と、彼は呆れたような笑みを零す。
「あ! そういえば、いくつか向こうのお宅から引き取ってきたものがあるんです。掛け軸とか鏡とか着物とか」
「そうか。じゃあ、その時が来るまで、大切に保管しておかないとね」
ざわざわ、と店に置かれた物たちが騒ぎ出す。新入りが来たぞ! とでも言うように、肌に伝わる空気が変わる。
「なんか、ちょっと騒がしくないですか?」
「お。彼らの想いが君にもわかるようになってきたみたいだね」
「まあ、少しずつではありますが──いつか彼らも、人の形を宿すようになるんでしょうか」
「それは、彼ら次第だね。想いの強さと願いによって変化の度合いは様々だ。経験を積んでいくうちに、段々とわかるようになっていくさ」
「……頑張ります」
店の入り口でベルが鳴る。素早く身を起こした彼女は、立ち上がって衣服と髪を整えた。
「さあ、お客さんだよ。行っておいで」
店主の言葉に頷いて、真っ直ぐ廊下を渡っていく。
戸惑いながら目を輝かせて、室内を見渡すお客様。
「いらっしゃいませ」
不思議な力を宿すアンティークショップは、いつでも皆様のお越しをお待ちしております。
ANTIQUE 伊勢矢琵琶 @isybw8
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