第4話 嘘をつく。この国では身を守る事。
武漢市の周先旺市長も動かざるを得なかった。事が拡大すれば中央の知るところになる。それは失脚を意味していた。
直様、調査団を武漢の華南海鮮市場に派遣し、目立ち始めた肺炎の調査を行わさせた。その調査団の内の二人が、楊の店にやってきた。
「最近変わったこと、困っていることはないか」
「別にないね。あっ、そう言えば、最近、野犬が多いな、何とかしてくれ」
「野犬?」
「そうだ。この間も裏に出した生ゴミを漁りやがって。最も、二匹の内、一匹は捕らえて俺が食ってやったがな」
調査団は、正直安堵した。調査に出たものの何も見つけ出されないでは、周先旺市長に叱責される。調査団のふたりは顔を見合わせ、にたりと笑うとその場を立ち去った。まもなくして、市による野犬狩りが行われた。しかし、芳しい結果は得られないだけでなく、犬の死骸さへも見つからなかった。
武漢市の周先旺市長は調査団の報告を受け、自分の地位を脅かす投稿者に、怒りの矛先を向けた。
「あの投稿をした奴を探し出せ!私を陥れるような事をしやがって。二度と嘘の情報を流せないように懲らしめてやる」
翌朝、李医師の家にふたりの警官がやってきた。情報を入手した経路と情報を共有した理由を聞かせてくれ、と言うものだった。そう聞かれても李医師は、原因不明の肺炎が武漢を中心に広がりを見せている、としか答えようがないと職場へ出向く許可を警官に願い出た。それは聞き入れられなかった。
警官たちは、署で詳しく聞かせてくれの一点張り。ついに李文亮医師は、折れた。報告書に記載する際、専門用語や内容に誤りがあってならないから、確認して欲しいと言われたからだ。李医師が車に乗り込み暫くすると、両脇の警官が李文亮医師の両手を強引に拘束し、手早く手錠を掛けた。
「何、何をするんだ、外せ、直ぐに外すんだ」
しかし、両脇の警官は前方を見たまま身動きもしなかった。その雰囲気に殺気さへ感じた。署に無理やり連れて行かれると取調室に放り込まれた。そこに政府の要員らしき男が入ってきた。対面して座る男の顔は、何か怒りを込めた表情に思えた。僅かな沈黙は李文亮医師にとって、何時間にも感じた。背筋が凍りつとはこう言うことかと全身で噛み締めていた。
「お前は嘘の情報を流し、人民を陥れようとした罪で逮捕された」
「そんな、私は事実を言ったまでだ」
「まだそんな嘘を言いふらす気か、これは帰すのは危険だな。反省するまでここで頭を冷やすんだな」
そう言うと取調官は、部屋を出て行ったのと同時に、警官がふたり入り込んできて、李文亮医師は、強引に連れて行かれ、狭い独房に放りこまれた。次の日、取調官が独房に直接やってきた。
「反省、する気になったか?」
「反省も何も私は、何も嘘は言っていない」
「そうか」
取調官は扉を開けたものの一歩も独房に入らず立ち去った。看守が扉を閉める。湿った鈍い音は、生命の危機を感じさせる威嚇に聞こえた。それから三日ほど経った。たかが三日、されど三日。
考えれば考えるほど最悪な思い、考えが心も頭もを支配していった。冷静になれ、冷静になるんだ、こんな時だからこそ。奴らは、私に何をさせたいのか?したいのか?それを考えろ。考えろ。考えろ。自問自答の結果、囚われてた次の日、現れた取調官が言った、反省していないのか、と。
反省とは何だ?真実を述べることか?なら、奴らの言わせたい返答をすれば、ここから出られるのか、試してみる価値はある。
地元当局が過敏に反応するには、公になっては政府に不都合な事柄に抵触しているからか?そうだとしたら一刻も早くここから出る手立てを打たなければ。
そう考えると身の危険を犇々と感じた。今はここから出ることだ。それが駄目なら地獄だ、出口の見えない闇に引き込まれる。
そう結論づけた李医師は、疲れからか、一筋の光明が見えた安堵からか、深い眠りについた。悪夢に魘され、起きた。起きてもそこは闇だった。眠れない、目が冴えて眠れない。考えまい、考えまい、とすればする程、無駄に頭が冴えた。
考えるのは、悪夢の続きでしかなかった。気が変になりそうだ、いや、もうなっている。正義感など捨てろ、貝になれ、貝になるんだ、真実に関して。朝になり再び取調官がやってきた。
「反省は、したのか」
同じ質問だ。明らかに私を試している、李医師はそう感じた。
「はい、私の愚かさで、状況を見誤った事を強く反省しています。多くの人民にこの通り陳謝致します。また、今後、私の誤った思い込みを一切他言することはありません」
「そうか、今の言葉を噛み締めておけ。喜べ、解放してやる。但し、また、お前が嘘を風潮するようなことがあれば逮捕する。今度はいつでられるか分からないことを覚えておけ。今日から、お前には四六時中、監視が目を光らせるから油断はするな、それがお前のためだ」
「わ、わかりました。決して他言しない」
「その言葉を忘れるな」
「は・はい」
李医師は、「偽の情報をネットに流さない」という旨の誓約書にサインを強要され、応じるとその日の内に解放された。
後方には明らかに自分を監視する男がついて来ている。私服警官だろう。私は、貝になる。それが自分を、家族を守ることになる、そう強く心に刻み込んだ。
直様、自宅に戻ろうとしたが、諦めた。家族を危険に晒したくない、相手の様子を伺うためにも職場に戻ろう。きっと、この数日間のことを職場で聞かれるだろう。家族も同じだ。
ゆっくり、考える時間を作るためにも、李医師は病院に戻ることにした。
毎日のように見てきた風景が愛おしく思えた。病院に一歩踏み入れるとそこは病院とは思えないほど、騒然としていた。
「何事だ、まさか」
そんな不安を抱きつつも、現実を見聞きすると単なる不安では済まされない状況になっていた。人波を掻き分けて院内奥に入ると、同僚の医師が李医師を見つけた。
「李先生、大丈夫でしたか?私たちも誓約書にサインさせられましたよ」
「それは済まなかった」
「何を謝っているんですか、真実を言っただけじゃないですか」
「おい、発言に注意しろ。私には監視がついているんだから」
「そうですか、気をつけましょう」
そこに看護師が、血相を変えて割り込んできた。
「李先生、何をしてるんですか、早く手伝ってください。ああ、防護服を着てください、出来るだけ早く、さぁ、さぁ早く」
「いや、私は眼科医ですよ」
「何を言っているんですか、あなたは患者ですか医師ですか」
「医師だが」
「それなら資格はある。さぁ、手伝って」
「ああっ」
李医師は戸惑いながら、手洗い・消毒を施してから、防護服を着た。《大変なことになっている。私が拘留されている間にもう、こんなにも患者が増えている。やはり、ただの肺炎じゃない、強力な感染症だ。なら、病院に入ってからここまで、患者にぶつかりながら、また、罵声の合間を縫ってきた。その際、皮膜感染しているかも知れない。こんなことなら、家族の元に戻っておくべきだった。この様子だと今度は病院に拘束され、当分、家には帰れないない》そう考えると、後悔が胸を突き上げ、自分の不遇に大きなため息が漏れた。
李氏は新型コロナウイルスに関していち早く警鐘を鳴らしたが武漢警察によって圧力をかけられ、沈黙を余儀なくされた。
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