学区対抗戦 最終日
「あと――三分を切った。ここでお別れだな」
「新い――」
美枝子が新一の名前を呼ぼうとして止めた。新一が安堵の笑みを浮かべていたからだ。これから自害をする男とは到底思えない安らかな表情だった。
「次郎、双葉――お前ら、うまくやれよ。仁美と、瑞樹のことは頼む」
「新一、おれは――おれはッ」
次郎は機械馬から降りると、新一を強く抱きしめた。双葉もそれに続く。だが、新一の視線は二人ではなく、ぼぅっと宙を眺める仁美に向いていた。
(仁美――すまん)
新一は心の中でそう強く言葉を吐き出す。幸せにすることはもうできない。彼女は、これからの人生を幸せに暮らすことができるのだろうか。新一はそんなことも思ったが、もう、それを確認することはできない。
(仁美――)
生まれ変わったら幸せにしてあげたいとか、違う人生であれば幸せにすることができただとか、そういったたらればの話をずっと言葉にして伝えようかと悩んだが、それはしなかった。後に残る、仁美に些細な負担もかけたくないからである。明確な思いを伝えないまま、自分は去る。永遠に――。それが一番の選択肢だと、新一は軽く頷いた。
「残り――二分」
そのアナウンスが流れると、新一は次郎と双葉を身体から離し、次郎の胸をどんと拳で叩いてから、中央位置へと戻った。すでに会場からは激しい野次と、怒号が飛び交っていた。新一はそんな怒号の中、腰に付けていた大振りのナイフを取り出してかざした。
大きく深呼吸をして、心を整える。さすがに緊張をしているのか、手が微かに震えていた。
願う。どうか瑞樹が強く生きてくれることを。仲間達がこんな狂った世の中でも、正しく生きていけることを。
そして――新一はゆっくりと仲間の方向へ上半身だけで振り返った。
(仁美、どうか――強く。強く生きてくれ)
振り返った先、仁美はまだ宙をぼんやりと眺めている。新一はそれをしばし眺めると、視線を前に戻した。これ以上は未練が残る――。奥歯を噛みしめて、仁美の最後の姿を脳に記憶した。死する最後のその瞬間まで、仁美の姿を忘れないように。
「残り――一分」
新一は空を眺め、ナイフの切っ先を顎下から首元へ突き立てた。自殺では即死は難しいだろうが、試合終了時までは生きている必要がある。せめて立っているか、動いていなければいけない。ちくりと喉仏の少し上を刺した。刃物特有の尖った痛みがその場所から広がる。銃だったらどんなに楽であろうかと思った。喉仏からうなじを目指してナイフを自ら突き立てる。それがこんなにも怖いことだとは思ってもいなかった。額からは汗が滲み、更に手も震える。だが――もう引き下がることはできない。やるだけはやった、後悔はないと新一は強く思い、奥歯を噛みしめる。
「残り――三十秒」
(みんな、またな――)
新一はそう心の中で叫ぶと、正確にカウントダウンを始めた。ここからはアナウンスはない。集中して秒数を数えると、場内の怒号はすべてかき消され、瞳を閉じると真っ白な世界が広がった。仲間達も新一へ向けて何か叫んでいるが、もう新一へ届くことはない。
(十――)
新一はそこまでを数えると、急にかっと目開いて左手でナイフの柄を持ち、右手で柄の尻を思い切り叩いた。ずぐんと何かが顎の下を通り、うなじから何かが突き出た感触がした。口から何かが溢れ出る。我慢しようとしたが、無理だった。それが自分の血液だと理解した瞬間に、試合終了のほら貝が鳴る。
勝った。新一は右手を掲げると同時に、その場に膝から崩れ落ちた。広がる地面を眺めながら、仲間達が駆け寄ってくる姿をぼんやりと見つめていたが、何を考えることもできず、ただ目の前が徐々に暗くなっていった。
「――ちッ」
「しん――」
もう、聴覚も効かない。死ぬときは静かになるものだと思っていたが、実際はその逆であり、まるで壊れた拡声器のようにざらついたノイズが脳内に響いた。
仲間達が新一の身体を抱く。徐々に暗くなってゆく視界では、仲間の全員が涙を流し、その涙が新一の顔に落ちる。死の場際、鈍くなった触覚ではあったが、その涙の感触だけははっきりと感じることができた。
(ああ――)
視界が完全にブラックアウトする。痛みは完全に消えさり、自分の息づかいだけが脳内に響く。
意識が途切れる最後、新一が願ったのは仲間達の幸せ、そして仁美の幸せだった。自分のことは気にしなくていい、これからは自由だ。これからお前を本当に愛してくれる、最高の男と幸せな家庭を作り、幸せな人生を送って欲しい。
仁美だけじゃない。次郎も双葉も美枝子も三平も――。どうか――。
(仁美――ごめんな――)
この国に、一石を投じることなった少年の人生は、ここで幕を閉じた。
学区対抗戦 【完結】 竹馬 史 @tikubahumi
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