学区対抗戦 最終日

 和馬は、新一が如何にこの国が狂っているかを大声で演説している姿を眺めていた。だが、その反応は冷ややかであり、静まり返った大人達は新一の言葉に耳を傾けてはいるが、嘲笑するか、敵意を向けるかのどちらかである。それでも、新一は何も意に介すことなく演説を続けていた。

 ──新一。

 和馬は思う、もしもこんな世界、こんな時代、こんな風に生まれてこなければ、きっとおれ達は良い友人になれていただろうと。和馬は、新一の演説を聞きながらそっと目を閉じ、新一と交わした最後の約束を思い出しながら瞳を閉じた──。

「その書類はどうなるんだ。お前はそこで──死ぬんだろう。後からその書類が出てきてしまっては、それは契約違反になる」

 和馬は、自身がサインした仁美の父親を殺すことの共犯であるという証明書を眺めながらそう言った。それから、血判をする為に切った親指をティッシュで軽く拭く。

「こうするのさ」

 新一はそういうとポケットからライターを取り出して書類に火をつけた。みるみるうちに火は燃え上がり、やがて灰となって舞った。

「おれは、あんたの覚悟を確かめたかっただけだ。それさえわかればこんなものは必要ない。和馬、あんたが言うように、おれが死んだ後、これを確実に消去できる確信もないしね。どんな些細な物でも、はっきりとした証拠は残しておきたくはない」

 新一はその言葉通り、和馬やコウナギと一切の電話連絡を取っていない。自分がやることの大きさを考え、少しでも迷惑をかけない為の配慮だった。

「おれが裏切らない確証だってないだろ?」

 不思議そうに自分を見つめながらそう言った和馬に、新一は冷静な声で言う。

「あんたがサインした、それだけでもう確信してる。顔にも出てるよ、あんただって見たいんだろ?おれのやることの行く末が。それに、仲間のことを考えても悪い話じゃない。あんたは特異な親父をもってしまったせいかもしれないが、他の子達は親に恵まれてない子だっているんだろ?こんな狂った世界からは、早く金を持って逃げてしまった方がいい。あんたくらい強ければ、こんな腐った国だ、次はハンディキャップ戦とかもくるかもだしね」

 和馬は新一にそう言われて仲間のことを思い出した。そうだ、親に恵まれている奴なんて誰もいない。借金まみれの両親であるいちか、そもそもして学区地区対抗戦に出る為に育てられた美嚢。それはいろは中学も、ABC中学も変わることはない。

「コウナギ会長からは、望む人間には引き分けに賭ける金、四百万を貸してくれることと、海外への渡航手続き、国内に残るならコウナギグループの物流部門への就職まで話がついている。掛け金の関係はそっちの仲間で望む人間がいれば、試合前に手を上げてくれ、それが合図となる。その後の話は、恐らくシラキという女性の方から接触があるはずだから、そこで話をして欲しい。安心してくれ、シラキさんは見ればわかるが――信用できる」

 新一はシラキのことを思い出すと心が熱くなった。それは恋愛感情などではなく、シラキが妊娠しているからだ。新一が生きてきて、初めて見たまっとうな大人の女性。自分は意思とは関係なく母性に飢えているんだとも思った。そして、それが普通であると、この国は狂っていると改めて認識し、意識を固める。

「お前はそこまで──なんでだ?おれ達はあくまで敵チームだぞ、なんでそこまでやるんだ」

 和馬のその問いに、新一は首を振る。

「もう敵じゃない。おれの与太話を信じてくれるんだから。まぁ、本番ではすべて立証する。そこで、今までのおれの話が本当だと信じてくれ」

 新一はそう言うと煙草を取り出して慣れた仕草で火をつけた。

「意外だな、新一お前、煙草なんてやるのか?」

 和馬が新一のそんな姿を見てそう言うと、新一は笑いながら再び煙草を取り出して、和馬の前で一本出して「吸うか?」と言った。和馬は、それを断るように首を振り、掌を新一へ向けた。

「親父にばれたら殺されてしまうから遠慮しとくよ」

「そうか、お前は親父がかなりやばいんだもんな」

 新一は和馬の父親のことを良く知っていた。徒手格闘無敗。公にされていないが、武器有りの野試合でも無敗であり、もう四十半ばを過ぎてはいるが、未だに現世代最強の格闘家だと言う人間は多い。

「だが、今回の件で戦わなければ──親父と戦うことになるだろうな――」

 和馬は今回、新一に手を貸して戦うことを拒否すれば間違いなく父親との争いになるだろうと確信している。だが不思議と恐怖はなかった。いつかは着けなければいけない決着だったことであるからかもしれないし、目の前にもっと恐怖――あるいは重圧を味わっているはずの人間がいるからかもしれない。

 普通にしているが、新一は学区地区対抗戦が終われば死ぬ。彼の話が与太である可能性は捨てきれないが、嘘を付く必要がない。立証ができなければ、どのみち殺されるのだろうから。新一は強いし、戦うとあれば警戒が必要である相手であろうが、新一一人では和馬率いる皆殺しの和馬、そして精鋭揃いのいろは中学の相手にはならない。むしろ、新一が落ち着きすぎて本当に与太話なのではないだろうかと和馬が疑うほど、普通だった。

「おれは、お前の話が与太話──嘘ではないと確信している。だが、お前が普通すぎて、落ち着き払いすぎて疑っている。お前は、死ぬのが怖くないのか」

 和馬はそう聞いた。和馬の言葉を聞いて、新一は軽く笑うと口を開く。

「もう、道がない。道がないとわかれば、意外と腹が据わるもんだよ。後悔くらいはあるけどね。でもまぁ、そういうのも含めて、腹が据わるよ。おれにはもう道がないんだ、後は、この先の崖に飛び込むだけだよ」

「残り――三分」

 そのアナウンスで、和馬は瞳を開いた。観客達も、残り時間が少なくなり始めて、ようやく野次を飛ばすようになる。本当に引き分ける、そんなことはあり得ない、再戦しろ、無効試合だ!

 そんな野次を物ともせずに、新一は演説を終えると、仲間達の所へ戻った。

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