学区対抗戦 最終日
「親殺し──なのか」
コウナギは新一のその言葉に驚きはしたが、表情には出さなかった。妹の為に、親を殺した──。新一は、ここで親殺しであるとカミングアウトするリスクは重々にあるだろうと判断していたが、コウナギ相手に嘘を利用しての交渉し、決裂してしまう方がリスクだと判断し、カミングアウトをすることにした。和馬もそうであるが、コウナギの協力は必要不可欠。どのみち自分が親殺しであることを告げて警察に言われるのだとしても、コウナギの協力が得られないのであれば計画は失敗するというよりも、できない。そのリスクだけは回避したかった。
「そうです、そこに悔いはありません。もう過去は変えられないし、間違ったことをしたとも、反省もしていません。ですが、いつかはばれる。そうなればこの国では拷問処刑が待っているので、どのみち死ぬことは避けられません。ならば──どうせ命を使うのであれば、最後は仲間を救い、この腐った世界に一石を投じてみたいと思います。そして、儲け話でもあります。すべてを成功すれれば、大きなお金が入ると思います」
「ほぅ──」
コウナギは興味深そうに新一を見つめてから、シラキを見た。シラキは、コウナギの視線を感じて目を合わせると、小さく頷く。信用するに値するでしょう、という意味だ。
「僕は、次の学区地区対抗戦に出ます。コウナギ会長には、そこで引き分けに大きく賭けて欲しいのです。そう、一千万くらいは賭けて頂きたい。そして、その利益の二十パーセントが欲しいのです。僕達は引き分ける。コウナギ会長から了承を得れれば、それは限りなく百パーセントに近い確率になります。試合が始まれば、百パーセントです。もしも僕が失敗すれば試合は始まりません。メンバー入れ替えの為に延期となります。そうなれば、コウナギ会長は引き分けに賭けなければいいだけです。限りなく高い可能性で、公営ギャンブルで得る非課税のお金の八十パーセントが手に入る。悪い話ではないです」
新一は饒舌に語った。コウナギはそれを嘘話をまくし立てる詐欺師のような口調だと思ったが、それは口調だけだと思っていた。新一はまだ若い。恐らくこういう話をすることに慣れていないだけで、なかなかできることではないが、緊張を饒舌に話すことで誤魔化しているだけだろうと推測した。そう、コウナギには見えている──。後に引くことができないという、新一の気迫が。饒舌に話しながらも、血走った瞳にはまったくの余裕がない。
「引き分ける。言うのは簡単だが、具体的にどうするのか教えてもらえるかな?」
コウナギは静かにそう言った。コウナギにとって一千万など惜しい金ではない。最悪、失ってもいい金額だが、これはビジネス。どんな金額でも、金が動く以上妥協は許されない。コウナギにとって重要なのは、新一が話す内容だった。演技のうまい中学生の与太話である可能性もないわけではないし、荒唐無稽な話であれば修正させてもいいと思っていた。だが、納得できる内容であれば一千万とは言わず、その十倍でも二十倍でも賭けるつもりだった。
「僕達は──戦いません。時間切れまで自陣で待つだけ。限りなく高い可能性で、相手にも、仲間にもその了承を得る予定です、その為の準備もしています。リスクを考えて自分が親殺しであるということを伝えてはありますが、証明はしていません。違う条件をつけることによって、納得してもらいます」
「違う条件?」
コウナギはそう聞いた。色々と聞きたいことはあるが、親殺しと証明する以外にどこで相手を信用させるのか気になったからだ。
「仲間に──性奴隷として買われた女の子が居ます。その義父を当日に殺し、その生首を持っていくこと、そして僕が親殺しであるとその時に証明すること。それができたのなら――約束は必ず守ると了承を得ています。コウナギ会長はご存じないかもしれませんが、相手は常勝無敗の皆殺しの和馬と呼ばれる強敵です。ですが、彼もまた──この世界に違和を感じています。もしも、そこまでして約束を守らなければ、殺人の共犯者として告訴する書類にもサインをして貰ってもいます。僕は本当に殺す、殺したのならば、その書類は真実となり、和馬も極刑となるので、裏切ることはできません」
もう一人殺すつもりなのか。コウナギはそうしなければならない新一の人生を哀れみ、そしてこんな世界を作ってしまった大人たち──自分ですら、憎んだ。コウナギはよく部下に結果を出さなければ意味がないと叱っている。だがそれは、自分にも言えることだった。この世界はおかしい、何度もメディアでそう発言し、政治家と戦い、世界を変えようと戦ってきた。そうしてずっと戦ってはきたが、この世界はなんら変わることはない。コウナギがどんなに国という巨大な湖に石を投げても、湖が波打つだけで変わりはしない。目の前にいる悲しい少年を見ろ──。自分の努力不足、結果を出すことができなかった自分のせいで、新一という少年は親を殺し、更に殺人をもう一度犯そうとしている。自分の四分の一も生きていない少年が、人を殺すということ、その心境は計り知れない。
だが――コウナギが本当にショックを受けるのは、もっと後である。
「そして、コウナギ会長ほどの有名人が引き分けに大きく賭けて頂ければ、試合を途中で止めること──無効試合などにできるはずがありません、この国の有力者が賭けているのですし、試合は始まれば公平をきす為に何があっても止めることは許されておりません。そしてもう一つ確実な理由として──僕は、試合が終わる十秒前に自害します。どのみち、試合が終われば殺されるのですから、幕引きは自分でしたい。僕が死ねば同じメンバーでの再戦はもうできませんので、絶対に再戦や無効試合にはならない。コウナギ会長から頂く二十パーセントのお金で、家庭に恵まれない仲間は、十八になるまで親元を離れさせるか、海外へ逃げてもらいます。どのみち、仲間はこの先非国民として扱われ、まともな職にも就けないでしょうから」
「ちょっと待ってくれ」
コウナギはそう言って話を止めた。
「新一くん、君は本当にそれでいいのか?親殺しの証拠も、その女の子の父親の首も、試合が始まってからではなく、事前にどこかで会って見せればいいじゃないか。そうすれば試合が引き分けで終わった後、そのまま君も全力でその場から逃亡し、海外へ逃げればいいじゃないか?」
コウナギのその言葉を聞いて、新一はきょとんとした顔を見せた。
「コウナギ会長、生首は試合開始と同時に相手に投げますし、親殺しであるということをその場で僕は白状し、この国が如何におかしいか語るつもりです。僕は、この国に一石を投じたいという願いもあるのです。親殺しはいつかはばれますし、仲間の親を殺した後、死体がばれないように細工する時間もありません。そっちの死体はへたすれば試合中にはもうばれてしまっているかもしれませんしね。すべてがうまくいって、海外へ逃げても、親殺しと、別件の殺人を犯したのであれば海外に逃げても追跡は避けられませんし、逃亡生活を続ければ妹にも、仲間にも、コウナギ会長にも迷惑がかかるでしょう。僕はここで、死ぬしかないのです。それに、一応は妹は前々日には説明し、どこかへ逃がしてから仲間と合流させ、今回のお金で海外へと逃がす段取りはしますが、自白することで妹への追求を避けたいという願いもあります。連帯責任はあくまで、僕が自首しなかった場合にのみ適用です。自白して逮捕できないっていうのは、学区地区対抗戦のルールを作った大人たちのせいです。コウナギ会長には──できればその後、そういう風に世論も誘導して頂きたいですけどね」
「まぁ、そうだが──」
考えてみればそう、死ぬしかない。だが、それを実行する決意をするのは難しい。これだけ狂った世界でも、親殺しが少ないのは十八歳になれば自由になれるという希望と連帯責任制度、そして親殺しをした先に待つ拷問処刑と、それを回避する為に自害する勇気を持つ者が少ないからである。そう、新一は最初から死ぬつもりでコウナギに話をしていた。コウナギは、新一が当たり前のように話をしすぎて気づかなかったことを恥じる。例えすべてを隠したとしても、新一が逃げ切れる可能性は限りなく低いだろう。そう――当日すべてを隠して、なんの綻びもでないまま、どこかへ逃亡できる可能性は限りなく薄い。そして、綻びの先、捕まった先には拷問処刑が待っているのだ。例え海外に逃げたとしても、数件の殺人を犯せば国外であっても追跡は免れない。連帯責任制度はこの国特有の法律であるが、どこの国でも、殺人は重い罪であるに違いない。
「そして、これが僕が親殺しであるという証拠です。相手には──和馬にはまだ見せていませんが」
新一はそう言うとスポーツバッグの中から厳重に密封された瓶を取り出した。瓶の口周りは蝋で固められており、さらにその上からビニールテープ、ガムテープでびっちりと固められている。その中に入っているのは──。
「母親の手首です。密封できるものがこれしか考え付かなくて──」
(新一くん――)
今、コウナギの目の前には、あの時新一に見せてもらったその瓶が砂にまみれて校庭の地面に置かれている。コウナギが最後に見た時よりも、ずっと腐敗が進んでいた。
そしてコウナギは、今日──ここに来て、新一が伝えていなかった事に気付き、激しいショックを受けていた。コウナギが会長と呼ばれるようになってから、こんな気持ちになったことはなかった。新一の後ろで空を見つめる少女。それは新一が殺し、試合開始と同時に投げられた生首の男の娘だと言う。その少女の瞳には、何も写っていなかった。ただただ、絶望の瞳で、虚空を眺めていた。そして、そんな少女の姿を、新一は申し訳なさそうな、悔しそうな表情を浮かべて眺めている。
そう――新一とその少女は恋仲だったのだろう。新一はコウナギにそんなことを一言も言わなかったが、二人を見ていれば一目瞭然である。後十五分もしないうちに引き裂かれる運命にある二人の心境はいかばかりか──コウナギには想像することも許されず、その気持ちを少しでもわかろうとすれば、涙が頬をつたう。事業に失敗した者、何もかも失った者、これからすべてを奪われることを確定した者──。コウナギはそれらの者達を幾度となく見てきた。そして最後、助からないとわかった時、皆が──この少女のように絶望した瞳で、何も写らない瞳で虚空を眺めるのだ。
(生きたかったろう──)
コウナギはうまく言葉が出てこない。心の中の感情がうまく出せない。無念、後悔、そんなゆるい感情ではなく、もっと熱い感情が心の中を渦巻いていた。それがなんのなのか、わかることはない。ただ、二人を見て涙を流すだけだった。
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