学区対抗戦 最終日

 仁美は涙を流すことですべてを流してしまったように憔悴し、次郎もまた苦い表情で機械馬にまたがっていた。試合開始まで十分。先頭で機械馬に乗る新一の表情を次郎は見ることはできないが、きっと自分たちのような表情はしていないだろうと思った。

 美枝子も、三平も、双葉も涙が乾ききっていない。何も知らぬ他人から見ればそれは学区地区対抗戦に出る恐怖や緊張から出た涙だろうと嘲笑するかもしれないが、彼らが流した涙は違う。彼らは、これから行われるすべてを知っているからこそ、泣いた。

 掛け替えのない仲間を失うことを知って、泣いた──。

 ほら貝による間抜けな開戦の音が響く。全員が機械馬の手綱を握り、そっと垂れ幕の外へと移動した。

 ABC中学校の生徒が出てくると、観衆は大きなうねりの様な大歓声をぶつけた。いろは中学校のメンバーはすでに先行で陣地についている。次郎が周囲を見渡すと、校庭中に仮設ではあるが、高低差のある席がびっしりと並べられている。まるで、小さな陸上競技場のようだと思った。一番高い柱の上には、スナイパーライフルを構えた運営の隊員の姿が見える。何かここで不穏な行動を取れば、即撃ち殺されるという仕組みになっていた。

「ABC中学校メンバー、ゲートイン」

 無機質な女性の声でそうアナウンスが流れると、観衆は一層に盛り上がった。それは、ここがABC中学校というホームだからではない、これが、ギャンブルであるからだ。新一は小さく、舌打ちをしたが、それでも──その心は穏やかだった。そして──興奮していた。

 自分がこの腐った世界に一石を投じるのだと。自分の命は、決して無駄にはならないと──。

 校庭には観客席の前に鉄の柵が囲むように設置されており、ABC中学校のメンバーがその鉄柵で囲まれた中へ入ると、入ってきた門が大きな音を立てて閉まった。人力ではあるが、この鉄柵が時間によって狭まっていく。鉄柵に身体の一部でも振れればアウトであり、運営の隊員に頭を撃ち抜かれるルールとなっているのだ。

 新一が和馬を見ると、和馬もまた新一を見ていた。和馬は、新一に強く頷く。それは、全員が新一の策に了承した──という合図でもあった。新一も強く頷く。新一もまた、すべての準備ができているということを示した。

「開始──三分前──」

 再び無機質な女性の声でアナウンスが流れる。両校のメンバーは陣形を整えることもなく、武器を整えることもなくただ見つめあっていた。

 ──可哀そうに。

 和馬がABC中学校のメンバーを見てまず思ったのがそんな感情だった。新一以外のメンバーは脱力し、これから行うことに心から納得をしていない様子がはっきりとわかり、喜びや安堵している様子が微塵もないことから、結束力の強いメンバーだったんだろうと確信する。仁美に関しては、泣き疲れを超えて、機械馬にしがみつくようにして乗るのが精いっぱいのように見えた。

 新一がちらりと観客席を見たことに釣られて、和馬もそこを見る。特等席である最前列の席には、コウナギとシラキが悲しげな表情で見つめていた。和馬は、コウナギを何度もテレビで見たことがあるからその顔は知っている。そのままぼんやりとコウナギを眺めていると、コウナギが和馬を視線を合わせ、深く頷いた。

「開始──一分前──」

 そのアナウンスが流れても、両校戦いの陣形は取らず、入場位置から動かない。さすがに場内がざわついてきたが、そんなことはお構いなしに新一は和馬を見据え、開始の合図を待った。

 さらにここで、大きなどよめきが起きた。校舎に取り付けられた巨大な電光掲示板に映し出されているオッズが、一気に変動したからである。

 これまでいろは中学校の勝利が三倍、ABC中学校が勝てば八倍、引き分けが二十二倍だったのが、一気にABC中学校が勝てば一・八倍、いろは中学校が勝てば四倍、引き分けが八倍に変動したからだ。誰かが、開始間際の最終投票で引き分けに大きく賭けた──。国営であり、人気競技でもあるこの学区地区対抗戦のオッズがこれだけ変動するのであれば、それは一億やそこらの金ではない。

 誰もが何かの仕組みを感じ取り、何かがあるんだと思う頃には、再び間抜けなほら貝の音による開戦の合図が鳴った。

 開始の合図と共に、新一はゆっくりと機械馬に乗ったまま単騎で和馬達の前まで進む。咄嗟に美嚢が刀を構えたが、すぐにそれを和馬が手で制止した。新一はそんな和馬を見てゆっくりと頷くと、ざわめく観衆の目の前で、機械馬の後部に乗せていたダンボール箱から血で汚れたビニール袋を取り出してその中身を和馬達の前へと投げた。ごろりと転がったそれを見ても、和馬は取り乱すことはなかったが、話に聞いていてもやはり実物を見るのとでは違うのか、緑子は思わず「ひぃ」と小さく悲鳴を上げた。

 校庭の砂で汚れてはいるが、その切断面、生々しさ、苦悶というよりも困ったような表情──。それは紛うことなき、本物の人間の生首──つまりは仁美の義父の生首である。

 さらに新一は、下腹に隠してた瓶を和馬に見せる。それを見た和馬が小さく頷くと、新一はその瓶詰めの手首を校庭へ無造作に捨てた。

 和馬は、しばらく仁美の義父の生首と瓶詰めの手首を交互にじっと見つめていたが、やがて視線を反らすと、新一を見据える。新一もまた和馬を見据えていた。二人の視線が交差すると、しばらく沈黙が続いたが、やがて──和馬は低く、震える声で新一に言った。

「約束は違えることなく、確認した。こちらも──約束は守る」

 和馬のその言葉と同時に、いろは中学のメンバーが持っていた武器を機械馬に収納する。それと同時に、新一も武器を機械馬に収納した。場内は、ざわめきから一転して静まり返り、誰もが新一の行動にその視線を奪われていた。声を出すことも忘れてしまうほどに。

 新一は和馬に何も言わずに会釈だけをすると、機械馬を反転させて中央位置へと移動する。その姿を見て、仁美は更に泣き崩れ、次郎は唇を血が出るほど噛み締め、美枝子は、目を細めながら奥歯が音を立てて軋むほど歯を食いしばった。

 新一が両腕を広げて、空を眺める。その神々しさに、これからの新一の運命など関係なく双葉は涙を流し、止まることはなかった。

「みんな、よく聞いてくれ、おれは──親殺しだッ」

 新一がそう叫ぶ。その言葉に場内は一瞬だけざわめいたが、すぐにまた静寂へと戻った。

「この国はおかしい、誰もがそう思いながらも、それを口にしない、口にはしても──多くの人間は実行はしない。だが、おれは違う、おれは──おれのやり方でこの国を批判し、この行動がいつか大きな波紋となり、この国を変えてくれる──何か少しでも変わってくれることを願う」

 新一はそこまで言ってスナイパーライフルを構える隊員を見ると、にやりと笑って見せた。学区地区対抗戦が始まれば、ルール内であれば外部の手が加わることは許されない。賭け事として存在している以上、どんなことがあっても、外部からの介入は認められない。それは例え、国であっても。

「おれたち──子供は奴隷、いや道具だ。あるいは性奴隷として扱われ、あるいはおれのように学区地区対抗戦に出さえて金を得るためだけに育てられ、親を殺せばその兄弟もろとも拷問処刑が待っている。世界を見てくれ、どこにそんな歪な国がある?ここだけじゃないか。おれの仲間たちもそうだ、金の為、親の為、今日ここに立っている」

 新一は仁美を見た。仁美は新一を見ておらず、ただただ、機械馬の背に頭をつけて震えながら泣きじゃくっていた。

「どのみち、おれは親を殺したからもう助からない、ならば仲間だけでも生かそうとおもって、今回の策を思いついた。政府機関の奴ら、BB山の中腹にある山小屋あたりを調べてみろ、死体が出てくるはずだ、それに、近くに停まっている黒い車のトランクからも一つ。そして、そこの生首はおれの仲間である仁美の義父だ。自分の変態趣味の為に幼い仁美を買ったクソ野郎だ」

 新一は、仁美のことは言おうかどうか土壇場まで悩んでいたが、言うことに決めた。自らの殺人を正当化するつもりは毛頭ないが、死んで当然の人間だったと心底思っている。そして、今日この自分の行動が、同じような立場に人間に少しでも恐怖を与えられればと願った。更に、仁美の様な立場の人間には、わずかでも希望になれればとも願った。そんな新一を、コウナギ物流会長のコウナギと、その秘書であるシラキが悲しそうな瞳で見つめている。

(新一くん、君は──よくやった。勝った。私も必ず、君との約束は果たそう)

 コウナギはそう思うと瞳を閉じて、新一と約束をした日のことを思い出した。

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