十三と黄金郷 その12

「こ、来ないで!」

 相手は無言だった。代わりに、手に握られた斧が、これから何をしたいのかを雄弁に物語っていた。

「来ないで!」

 しかし、ジュウザはもう、目前にいた。

 私にできるのは、声を上げることだけ。

「嫌……」

 ジュウザの奴は、水平方向に斧を振るってきた。


             *           *


 蝶野は全身の痛みに耐えながら、どうにか上半身を起こした。暗くて視認はできないが、身体中、傷だらけになっているのは明らかだった。

 身体が満足に動かせない。

 蝶野はすぐさま、猫田の姿を求めた。

 探すまでもなく、彼女の居場所は知れた。最悪の形で。

 気配と声に気付き、蝶野は一点を見据えた。

「な……あれは!」

 そして見てしまった。ジュウザの斧によって、首を跳ねられた猫田を、彼はしっかりと目撃した。

 猫田の頭部は地面に落ち、転がると、蝶野の方を向いて止まった。脳裏に焼き付いて、二度と忘れられない光景。

 が、今はその悪夢に、自分も引き込まれかねない。蝶野はおぞけを振るって、立ち上がろうとする。

 これは完全に取るべき行動を誤った。派手に転倒してしまったのだ。

 ジュウザはまず間違いなく、蝶野がどこにいるのかまでは気付いていなかった。だから、彼は息を殺して殺人鬼をやり過ごすのが得策だったかもしれない。それなのに、焦ってしまった。自ら居場所を知らせた形だ。

 案の定、ジュウザは猫田の遺体を放り出すと、蝶野へと向かって来た。

「く、来るなあ!」

 顔をひきつらせ、叫ぶ蝶野。しりもちを着いた格好で、後ずさりするしかできない。

 ジュウザは瞬く間に追いついてきた。

 斧が月明かりに光る。

 と、次には、もう振り下ろされていた。

「ひっ!」

 無意識の内に、右手をかざしていた蝶野。

 斧は蝶野の右手から、中指、薬指、小指の三本を奪った。

「うわあーっ!」

 痛みよりも、自分の指が切断されたという事実に衝撃を受ける。

 慌てて左手を伸ばし、泥にまみれた三本の指を拾った。そして中指をその切断面にあてがってみたが、当然のごとく、無駄な行為に終わる。

「あ、あ、あ……」

 血が溢れて止まらない手を見て、蝶野は息苦しくなってきた。

 そこへまた、ジュウザの斧が動いた。

「げ」

 今度は、蝶野の左手から、人差し指と中指と薬指とが失われていた。ジュウザは、明らかに故意にやっている……。

「くぅう」

 意味不明の言葉を吐きながら、蝶野は横に転がった。少しでも、この殺人鬼から離れたい。その一心。

 腰の辺りに衝撃。太い木の幹にぶつかり、身体の回転が止まる。

「うう」

 その木を背に、上体を起こす蝶野。もはや、逃れる術は……。

 ジュウザの腕が伸びてきた。斧を持っていない方のその手は、蝶野の喉を掴んできた。途端に、人間とは思えぬ、強大な力が圧迫を与えてくる。

「げ、げ、げほっ」

 息が詰まる。

 苦しさに、蝶野は指の少ない手で、地面をかきむしった。

 何か固い物に、右手の親指が触れた。皮膚が覚えているその感触。

(……こいつぁ……)

 薄れかける意識を奮い立たせ、蝶野は横目でそいつを確認した。

 拳銃が黒光りしていた。

(俺が落としたやつか?)

 横を流れる谷川。見覚えがあるような、ないような。

(天の助け。こいつをぶっ放せば)

 親指と人差し指だけで、彼は拳銃を掴もうと必死になる。

 ジュウザは恐らく銃の存在に気付いていない。が、早くも斧をかまえにかかっている。

(ま、待て。数秒、数秒だけ、時間をくれ)

 震える右手で、蝶野は拳銃を取り上げるのに成功した。幸か不幸か、引き金を引くのに最低限必要な二本の指は残っていた。

(へ、へへ。心臓にお見舞いすれば、おまえだって)

 蝶野は銃口をジュウザの左胸に当てた。

 蝶野の喉からジュウザの左手が離れ、斧が振りかぶられた。

「食らえ!」

 引き金が引かれる。

 ぱーんという乾いた銃声が、林の中をかける。

 そして……蝶野の頭部は、胴体から切り離された。

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