十三と黄金郷 その10

 串刺し状態から、彼は逃れることができた。だが、その代償に、左大腿部の肉片をかなり失ったようだった。傷の具合を確かめる勇気も余裕も、一切ない。

 迫り来るジュウザから逃れようと、鱶島は立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。しかし、左足が言うことを聞かない。当たり前ではあるが、脱出のために、肉ばかりか筋をも断裂させてしまったからだ。

 それでもなお、鱶島は片足で飛び跳ねようと試みる。が、雨でぬかるんだ地面に対して、その行為はあまりに無謀で、無意味だった。不様に転倒するのみ。

 地面に突っ伏した鱶島の肩を、強い力が握りしめてきた。

(ひ、ひ)

 鱶島は振り返ることができなかった。

 だが、肩から伝わる力に容赦はない。強引な形で、鱶島は仰向けにさせられた。と、次の瞬間、二本の鉄の棒が、連続して襲ってきた。

「げぇ……」

 一本は胸、一本は腹、それもそのほぼ中心を捉えていた。地面へと達する過程で、棒は背骨をかすめたのか、妙な感触があった。

「もう逃げないよ」

 早口で言った鱶島。

「だから棒を抜いてくれ」

 ジュウザは何も返事をよこさなかった。

「頼む。痛いんだ」

 痛いという単語に反応したのか、ジュウザは右手を胸に立つ棒へ、左手を腹に立つ棒へと伸ばし、共にしっかと握り込んだ。

(抜いてくれるのか……?)

 わずかな期待は、あっさりと裏切られる。

 ジュウザは両方の棒を、ぐるぐる回し始めた。鱶島の内臓をかき混ぜてやると言わんばかりに、大きな回転で、執拗に。

「きあぁ」

 声がもはや、絶叫にはならなかった。

 内臓を傷つけられて放っておいたら、動物はすぐに死ぬという話を、鱶島は思い起こしていた。さらに幼い頃の記憶――車に挽かれた犬がアスファルト道に内臓をぶちまけて死んでいたのを見た記憶を蘇らせもした。

 脳裏に浮かんだそれらのビジョンは、そのまま、彼自身に重ねられている。

(報い……黄金に目が眩んだ)

 鱶島の肩のすぐ横に、いつの間にかジュウザが立っていた。

 斧が頭のちょうど真上辺りに来た。

(冴子……)

 刃が降りてきた。


             *           *


 私の息は上がっていなかった。ただ、雨が冷たくて、背を丸めたくなる。それに恐怖心はあったから、心臓はどきどきしている。

「猫田さん、大丈夫か!」

 鰐淵が、足をがくがくさせながらも、私の方へ振り返った。

「遅れるなっ」

「わ、分かってる」

「あと少しだ」

 蝶野のつぶやきは、風雨の前にかすれ気味。彼の片足は、引きずられていた。

「雨が弱まってきた。行ける」

 奮い立つための言葉を、鰐淵が皆に言い聞かせたときだった。

 先行する鰐淵と蝶野の真ん前に、あいつの影が立ちふさがった……。

「出やがった」

 鰐淵は予測していたらしく、少なくとも声は落ち着いているよう聞こえた。

 距離はどれぐらいだろう。十メートルあるかないか?

 獣道、足場は悪い。両脇は林で、逃げ込むには適していても、最終的な脱出がおぼつかなくなる恐れもある。

 時間の感覚が薄い。ジュウザは素早く間合いを詰めてきた。

「猫田、引き返せ!」

 鰐淵のその声と同時に、ジュウザは斧を振りかぶった。

 瞬間、鰐淵は蝶野の身体を突き飛ばし、彼自身は逆方向へと飛んだ。

 ジュウザの斧は、ちょうど二人が立っていた地点の泥にめり込んだ。

「てや!」

 鰐淵は一声叫ぶと、ぬかるみの上を横滑りし、足先で斧を弾き飛ばした。ジュウザの一瞬の隙を、見事についていた。斧はゆるゆると回りながら地面を滑り、蝶野のいる方向へと流れて行く。

「おっさん! 斧を取れ!」

「おうっ」

 呼応した蝶野だったが、足の怪我が災いした。わずかであるが立ち後れ、斧はジュウザの手に戻ってしまった。

「す、すまん」

 言った蝶野の顔面から血の気が引くのが分かった。今、正に、彼はジュウザと相対しているのだ。

 しかし、ジュウザはくるりと向きを換えた。鰐淵へと向かっていく。

「鰐淵君! 危ない!」

 鰐淵は一拍だけ遅れて、林の中へと逃げ込む。

 ジュウザは執拗だ。一瞬であるが斧を手放したこと、そしてその原因を作った鰐淵が憎くてたまらないのか。

「逃げて!」

「お嬢ちゃん」

 足を引きずりながら、蝶野が近付きつつあった。

「行くんだ。俺達は先を急ぐ」

「で、でも、彼が」

「助けられるってのかい! 怪我してる俺と、女のあんたとで追っかけたって、どうにもならん。逃げるんだよっ」

「見殺しには」

「俺一人でも行くからな」

 宣言すると、蝶野は必死の形相で前進を始めた。

「待って、待ってください! 私も行きます!」


             *           *


 鰐淵は、心臓が口から飛び出しそうなまでに、心拍数を上げていた。

(やっべえ)

 肩越しに後ろを見やる。

 斧と鉄の棒らしき物を携えたジュウザが、大股で迫りつつあった。

(まじにやばいぜっ。ちきしょう! 波風立てず、うまくすり抜けるのがモットーの俺としたことが)

 気持ちではいくら余裕をかまそうとしても、本心がわき起こり、感情が爆発しそうになる。

(ミスったな。あのまま道を進めばよかったか)

 がががん。

 激しい音に再び振り返る鰐淵。

 ジュウザが棒を振り回して、枝をなぎ払っていた。そのまま一直線に、鰐淵を目指している。


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