十三と黄金郷 その3

             *           *


 だいぶ楽になったと、蝶野は感じていた。

「いや、助かりました」

 いつになく丁寧な口調で、手当てをしてくれた娘に礼を述べる。

「えっと、千馬さん、でしたか」

「あ、まだもう少し、動かないでください。どうしてこんな格好で、山に入ったんですか?」

「それは……」

 蝶野は傍らに立つ竜崎を見上げた。

 サングラスを外していた竜崎は目でうなずくと、自分から話し始めた。

「私達は物見高い方でしてね。緋野山見物ですよ。ごく軽い気持ちで行ったのが、間違いの元だったようで」

「あなた達も緋野山が目当て?」

 台所の方でごとごとやっていた娘――遊亀が大声で反応した。

「ということは、君達も」

「そうなんですよ。名目上は、クラブ活動の一環としての夏合宿ですが」

 鱶島とか名乗った長髪の男が答える。彼に対して蝶野が持った印象は、あまりよくなかった。向こうも同様かもしれないが。

「最近の学生は金持ちとは聞いていたが、これはまた」

 横になったまま、できる限り首を回して別荘内を見通す。蝶野は明白に皮肉を込めてこぼした。

「奴が特別なだけでして」

 鱶島を指さしながら、もう一人の男が揶揄した。名前は鰐淵だったか。

「他の四人は貧乏学生ですよ」

「なるほどね」

 竜崎は笑っていた。

「ところで、ここは緋野山かね? 君達の話を聞く限り、違うようだが」

「緋野山の隣、朱寿山というところです。ほとんどつながっているようなものですが、川を隔てて区別されてるんです」

「ふん……。緋野山へ戻るには遠いのかな」

「歩くとなると、かなり……。僕達は車で来たんです」

「そうか」

 竜崎は蝶野を見下ろしてきた。

 蝶野としては、怪我を負っていることだし、兄貴分の彼に従うしかない。

「すまないが、送ってもらえないだろうか? 面倒なら、朱寿山を下りるだけでもいい。彼がこの調子なものでね」

「……」

 どうする?という風な視線が、学生達の間を飛び交う。

 ごねるようなら、少し脅してやればいい。蝶野はそう考えていた。

「自分達も行くつもりなんだから、緋野山まで一緒に行っていいんじゃないの」

 黒猫を抱いた娘が小さな声で言った。名字が猫田と言うから、強面の蝶野にしても笑えてしまう。

「でも、予定では明日だからなあ。いくら何でも泊める訳にはいかないだろ?」

 鱶島の囁き声。

 竜崎にもその声は届いたらしく、彼はゆっくりと振り返った。そして窓の外を腕で示しながら、

「あのワゴンの屋根を貸してもらえんもんですかね?」

 と、態度は控え目だが、押しの強い口調を駆使する。

「私達なら車の中でも眠れます。厚かましいとは承知しています。ですが、明日、君達が緋野山に行くのであれば、ぜひとも」

 学生の間を、戸惑いの空気が再び漂う。

「嫌らしくなるかもしれませんが」

 竜崎は懐に手を突っ込むと、分厚く膨らんだ財布を取り出した。その中から万札を十何枚、無造作に摘み取ると端を揃え、テーブルの隅に静かに置いた。

「よろしかったら、取っておいてください。もちろん、泊めていただけなくても、差し上げます」

「そ、それはちょっと」

 意外にも、鱶島が慌てたような反応を見せた。家は金持ちでも、彼自身が自由にできる金は、バイトでもしなければ微々たるものなのだろう。

「いいじゃなーい。車でいいってのなら、そうしてもらいましょ。ね、ね?」

 遊亀の方は、実にあっけらかんとしていた。鱶島の腕にすがりついて、決心させようとしている。

「と、と、とにかく、全員の意見を聞かないと」

「悪い話じゃないんじゃない?」

 千馬の返事はあっさりしていた。

「竜崎さん達が車でかまわないという条件なら、私は賛成よ。――ごめんなさいね。疑う訳じゃないんですけど」

 千馬は蝶野達に頭を下げてきた。

 疑ってるからこそ、そんなことを言うんだろうが。蝶野は腹の中で毒づいた。だが、表情は笑って、

「いえいえ。それが当然で」

 と応じておく。うまく行きそうな流れを自らぶち壊すこともない。

「猫田さんは?」

「みんなが言うんなら、別にいいよ。でも、ご飯とかは?」

「これだけ『材料費』をもらったんだから、こっちが出すのが筋だろうな」

 テーブル上の札を指さしながら、鰐淵が調子よく言った。この男は端から賛成らしい。

「結論が出たようだね」

 竜崎は口元に笑みを浮かべた。


             *           *


 おかしなことになってきたわ。あんな二人、泊めるなんて。

「たまお、ボウル、もう一個なーい?」

「こっちにはないみたい。鱶島君に聞けば?」

「あ、そうか」

 遊亀理恵は、どこか抜けている。

 あれ? 竜崎が……。

「手伝いましょうか」

「そんな」

「味付けは無理ですが、野菜を切るぐらいなら私にもできますよ」

 そう言うと、竜崎は勝手に包丁を手に取り、手近のピーマン一個をまな板の上に置いた。

「これを輪切りに?」

「は、はあ……」

 たたたたたた――小気味よい音が響く。瞬く間に、ピーマンは輪切りにされていた。

「これでどうです?」

「……お上手なんですね」

「独り者なので、この程度は自分でできないと困るもので」

 よく分からない人だ。昼間、初めて会った際にみんなと挨拶を交わしたのだが、職業を尋ねても曖昧にしか答えなかった。蝶野の方も同様。

「さすがに猫は手放しているんですね」

「え? あ、ミィクは食堂の床に寝転がってます。猫、お嫌いですか?」

「好きでも嫌いでもない。私の相棒――蝶野の方は、動物自体、あまり好きじゃないみたいなんだがねえ。こうしてお世話になるのだから、我慢しているのかもしれない」

 蝶野はまだ横になっていた。時折、ひょこひょこと足を引きずりながら歩くが、動きはのろい。

 そうこうする内に、夕食ができあがった。

 五人プラス一匹プラス二人分が、テーブルと床に並べられた。

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