十三と黄金郷 その2


             *           *


 拭っても拭っても、汗が出て来た。夏にさしかかった上、スーツを着込んでいては当然だろう。

「山のこと、誰も触れたがらないようですぜ」

 髭をなでた蝶野。汗で湿っている。さっきから麓の町で、山のどこに洞穴があるのかを尋ねて回っているのだが、芳しい返答は得られていないのだ。

 サングラスの男は小さくうなずいた。

「それはそうだろうな」

竜崎りゅうざき兄ぃは何か知ってるんですかい?」

 竜崎は人差し指と中指の先で、サングラスのずれを直した。彼の顔に、汗はほとんど浮いていない。

「緋野山は殺人鬼の住処だからな、無理もない」

「殺人鬼? 何ですか、そりゃ」

「知らなければ知らないで、いいんだがな」

「気になる言い方だなあ。教えてくださいよ」

 焦れる蝶野は、兄貴分に頼んだ。

「『13日の金曜日』って映画、知ってるか?」

「ああ、知ってます。ホッケーのお面を被った殺人鬼が出て来る……」

「緋野山には、ああいう感じのがいると思ってくれりゃいい」

「へぇ? まじですか?」

 口元を歪める蝶野。髭も歪んだ。

「さあな。噂じゃそう言うことになってる」

 竜崎は笑みを浮かべ、首を振った。

「びびってるのか? だから、話したくなかったんだよ」

「とんでもない! びびってなんかいませんよ。そんな奴、いるはずない。もしも“出た”としたって、こいつさえあれば」

 左脇の下に手をやり、手触りを確かめようとする蝶野。指の爪が固い物に当たった。

「見せびらかすもんじゃない」

 竜崎の声が響いた。

「いざというときにだけ、使うんだ」

「分かってますって。へへ」

 蝶野はスーツの前をしっかりと閉ざした。

 冷たい感触が、右手の指先に残っていた。


             *           *


 蝉の声が川のせせらぎをかき消していた。

「緋野山と朱寿山、ここが境目」

 鱶島ら探険部はワゴンを操り、橋を渡る。

 橋の下には、きれいな川がある。流れの勢いはさほどないが、渦巻きが散見される。深い箇所が点在するようだ。

「魚が見える。――あ、もう、もっとゆっくり行ってよ」

 窓越しに川を覗こうとしていた千馬が、文句を言った。

「へえ、君にそういう面があるとは知らなかった」

「どういう意味よ」

 運転手の軽口に、抗議する千馬。

「もっと現実的なのかと思ってた」

「……そんな通り一遍で人を見ているようじゃ、手ひどい目に遭うかもしれなくてよ。お気をつけあそばせ」

 わざとらしい言葉遣いになった千馬に、今度は遊亀が絡む。

「裏表のある、二重人格ってことだよねぇ」

「りえ、あなたの口出しはフォローになってないっ」

「別にフォローするつもりなんか、ないもんねえ」

「あー、腹立つ!」

 他の三人から笑いが起こる。

 こんな感じで、車は渦巻くように山を登っていき、二合目付近に到達した。

「うわぉ、ログハウスっ」

 意味不明な驚嘆の声を上げたのは、遊亀。

 正面には、本物の木で作られたとおぼしき小屋がある。

 いえいえ、小屋と言っては失礼かもしれない。立派な二階建ての、まさしくログハウス。

「これで金持ちじゃないなんて、よく言うぜ」

 鰐淵がふてくされている。もっとも、彼のことだから、ポーズだけかもしれない。

「さあ、最初に掃除を頼む」

 鱶島の一声で、別荘の掃除が始まった。


             *           *


 竜崎は蝶野に肩を貸してやっていた。

「すんません」

「それはもういいからよ、近くに家がないか、よく見とけよ」

 足下を注意している竜崎に、人家に注意を配る余裕はなさそうだった。

 鬱蒼と茂る木々の葉が太陽光を遮るばかりか、近くに水の湧き出し口でもあるのか、地面に転がる石はどれも苔むしている。不覚にもその一つに足を取られた蝶野は派手に斜面を転落した挙げ句に左の足首を挫いてしまい、歩行困難に陥ったのだ。

 道を見失ってしまった彼らは、谷底のような場所をさまよっている。

「あ」

 蝶野が叫んだ。

「何か建物を見つけたか?」

 足を止めると、竜崎は心持ち顔を上げた。

「い、いえ。川が見えます。あっちに」

 すり傷でぼろぼろの右手を上げ、一方向を示す蝶野。

 さして大きくないが、水量豊かな川が流れていた。

「川か。昔なら、川沿いに行けば家の一つや二つ、あると確信できるんだが……こんな山ん中じゃ、さて」

「行きましょうや。どうしても家がなけりゃ、川を下れば山を出られるもんでしょう?」

「なるほどな」

 竜崎はうなずくと、再び腕に力を入れた。


             *           *


 探険部の全員で河原に出た。

 遊びと、夕飯の足しになればとのかすかな期待も込めて、釣り糸を垂らす。

「橋の上からは見えても、釣れないもんだわね」

「すぐそこにいたって、釣れないものは釣れないさ」

 鰐淵が達観したみたいに千馬をさとす。手頃な平らな岩に腰を下ろして、のんびりとしている。

 もう一人の男、鱶島の方は釣りを始めてからずっと立ったまま。微動だにしないと言っては大げさになってしまうが、あれだけ立ちっぱなしで疲れないのかと思えてくる。

「ちょっとは休めば」

「ん」

 こちらを振り返りもせず、わずかにうなずくだけの鱶島。釣り好きだとは知らなかった。私は魚が好きだから、釣ってくれるとありがたいんだけれども。

 後方で石を蹴飛ばす音がした。案の定、釣り竿を放り出した遊亀が退屈そうにしている。

「りえ、どうしたの?」

「飽きちゃってさあ。こんなに長い間、じっとしてられないわ。――そうだ、たまお。ミィクを貸してよ」

「だめよ。遊び相手にするつもりでしょ」

「いいじゃない。いじめる訳じゃないんだから。ほんと、暇で暇で死にそう」

「何と言われたって、お断りするわ。いつかみたいに髭を蝶々結びされたら、ミィクだって嫌がるわ。ねえ」

「……その猫、ほんとに鳴かないわねえ。しつけすぎと違う?」

「鳴いたら鳴いたで、みんな、嫌がるくせに」

 付き合いきれなくなり、私は場所を移動した。

 石ころの多い河原を、下流方向に進む。

 そのとき、突然、前方の茂みが揺らめき、音を立てた。

「お」

 人だ。男の人が二人、笹をかき分けて現れたのだ。髭の男の方は怪我を負ってるらしく、もう一人のサングラスの男に肩を借りている。

 私はびっくりしてしまい、声が出ないでいた。

「やっと助かりそうだぜ」

 多少粗野な言葉遣いで、サングラスをかけた方が言った。

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