十三をさがせ その8(終)
(ああ)
声をなくした湯川は、仰向けのまま、両腕で突っ張って後退しようとした。しかし、流れる血がぬるぬるして、うまく下がれない。滑って、したたか背中を地面に打ちつけてしまうのがおちだった。
影は斧を左手で持ち直すと、空いた右手には奪ったばかりの鉄の棒を置いた。
逃がさないという風に、影は大きな足で湯川の右足首を踏みつけてきた。
「ぐが」
骨がきしみそうな重たさに、声を上げてしまう。
その上に覆い被さるかのように仁王立ちする影は、右手を振りかざした。
(や、やられる。あの棒で、僕は)
湯川の想像は、数秒後に現実のものとなった。
鉄の棒が、湯川の胸板を貫いていた。
口に血がやって来た。息苦しくて、気持ち悪くて、血を吐き出す。
「ミイラとり」
不意に思い浮かんだ言葉が、湯川の口から漏れ聞こえた。
(ミイラとりがミイラになる……。昆虫採集気取りだった自分も、所詮は虫けらだった、か……)
痛みはもう感じなくなっていた。麻痺しているのではない。自分が今夜やったことを思えば、どうでもよかった。
「殺せ、ジュウザ。何人、殺した、知らない。が、この僕、殺す、だけは、正義、かもな」
湯川がジュウザという語を発したとき、影はほんの一瞬、戸惑いの素振りを見せたかもしれなかった。だが、すぐに元通りになり、影は斧を両手でかまえた。
「偽ジュウザの最期」
満足げな笑みを敢えて作り、湯川は斧が振り下ろされてくるのをじっと見ていた。
斧は正確に湯川の喉を直撃した。骨に当たる音が響く。勢いを増す血流。
影は斧を二、三度、左右に動かした。
湯川の頭部は胴から切り離された。
左手で湯川の頭を持ち上げる。そして影は、湯川の肉体を貫通する棒の先端に、その切断面を勢いよく押し当てた。ぐじゅぐじゅっという音が起こり、湯川の首はそのまま固定された。
血の筋が、鉄の棒を巻きながら、下へ向かっていく。
白木は、自分の頭はおかしくなったのだと信じたかった。
(あいつはやっぱり、ただの殺人鬼だわ。ジュウザの怨念に乗り移られて、気が触れたに間違いない)
湯川に背を向け、松田ら二人を呼びに行った白木は、気が急いていた。だから、彼女が行く道には、月谷の遺体があることを失念していたのだ。
だが、白木が目にしたのは、遺体一つだけではなかった。滅茶苦茶――正しく滅茶苦茶に破壊されたその惨殺体は、松田貴恵のようだった。
(冗談じゃないわよ!)
とても信じられるかと、白木は逃げることだけを考え始める。
渡部は無事だろうか? まずはそれを思った。
(彼が無事なら、合流して協力しよう。ああ、もうっ! 駐車場に湯川を残してきたのは失敗だったな。車を押さえられた私達は、山を歩いて下るしかない。一人より二人だわ)
斧を握る手に力がこもる。この斧がスタッフ殺害の凶器になったと思うと、決して気持ちいい物ではない。武器がこれしかないから、持っているだけだ。
「渡部さん! 渡部さん!」
短く区切って声を張り上げる白木。
(探す相手の名前を呼ぶだけなら、湯川の奴に聞こえても、不審に思わないはず……)
そういう計算があっての行動だが、「渡部さーん!」などと伸ばした声にすると、震えが出てしまいそうでできない。意識して短く言い切る分には、どうにかごまかせる。
渡部の名を連呼しながら、白木は撮影現場に戻った。
「いないじゃない……」
愕然としてしまう。松田がやられているのを見た折り、渡部もやられているのではという予感が頭をよぎったが、それが現実だったのか――。白木は全身から力が抜けそうになるのを、辛うじてこらえていた。
「渡部! べーさん! カメラ! どこよ、どこにいるのよ!」
からからに渇いた喉から、声を振り絞る。勝手に、喉がひーひーと言った。
茂みの葉が、かさかさかさ、がさがさっと音を続けた。風はそよとも吹いていない。
「誰? 渡部さん?」
期待して、そちらを向く白木。
だが、彼女の期待は裏切られた。茂みから覗いたのは、湯川の顔。
息が止まりそうになる白木。しゃっくりにでもなったみたいに、大きく胸を上下させながら、逃げようとした。
でも、少しだけ残っていた冷静な部分が、違和感を白木の脳に伝えた。足を止め、じっと目を凝らす。
「……湯川……」
他に言葉はなかった。
茂みから覗いたのは、湯川の頭そのものであったのだから。本来、首、そして胴へとつながっているはずの箇所に、細長い棒が続いている。
「そ、そんな、そ」
口がわななく。獅子舞の顎でもあるまいが、白木の上下の歯がかちかちと鳴っていた。頬がひきつるのが気味悪く、白木は手を顔に強く当てた。
(……じゃあ。じゃあ、あの棒の端っこを持っているのは、誰なのよ!)
呼吸を荒くしつつ、白木は考えていた。本人は逃げながら考えているつもりだが、足は止まったままだ。
(月谷ディレクター、本庄君、根室さん、木林先生、松田さんは死体をこの目で見た。遠藤君は死んだのを見た訳じゃないけど、湯川が殺したと言っていた……。残っているのは、渡部さん?)
自分の推測を確かめようと、棒の持ち手を待つ白木。
一際、葉のすれる音が大きくなった。
遂に姿を現したそれは、渡部ではなかった。
(あ、あの体格、あの格好)
白木は、今度は斧を持つ手に震えを感じて鳴らなかった。彼女は叫ばずにおられない。
「ジュウザ!」
身長およそ二メートルの影は、ご名答とでも言いたいのか、大きくうなずいたように見えた。
白木の精神状態では、影までの距離感はまるで分からなくなっていた。
影は斧を優しく抱くような手つきで右手に持ったまま、白木への接近を終了した。
「きゃああ!」
殺人鬼の姿を目前にして、白木は感情の均衡を完全になくした。
斧を両手で頭上へかまえると、彼女は闇雲に相手に叩き込もうとした。
それはならなかった。左手に持つ鉄の棒を白木へと投げつけてきた。その重み、加えて恐怖心に圧倒され、その場に倒れてしまう白木。
「う、う、う」
うめきながら、何とか逃げる体制を整えようとする。斧はもはや重いだけ。手放すしかない。
起き上がろうとして、彼女は「それ」と目を合わせてしまった。それ――湯川の死んだ目と。
「ひっ、ひい」
手で突き放すと、湯川の頭部は棒から抜け落ち、草の上をごろりと転がった。
はっと気づくと、斧が彼女の上で振りかざされていた。振り下ろされる寸前だ。白木は必死に身体をひねったものの、斧の鋭い刃から逃れ得なかった。
胸板辺りをめがけて振り下ろされた斧は、白木が身体をひねったため、右の側面から彼女の乳房を抉った。
「ぎゃ」
声にならない叫びが、白木の口からこぼれた。
斧は入った角度を維持して進み、白木の右乳房を服ごと切り落とした。黄色っぽく、ぬらぬらとした断面が現れる。
「ひ、ひ。わ、私の、私の胸」
止まらない震えも意に介さず、地面に落ちた乳房に手を伸ばす白木。触れてみると、頼りない感触。しかも、手の震えが伝染して、ぷるぷると揺れる乳房は、まるでジョーク用のプディング。
「どうしてくれるのよ!」
我を忘れ、抗議する白木。
影はうるさく感じたのか、棒を拾うと、彼女の口に押し込んできた。喉の奥に既に達しているにもかからず、押す力が弱まらない。白木の後頭部が、大地にぴたりと接した。
白木の目尻から涙が、鼻から水っ気の多い鼻汁、口からは血の混じった唾がこぼれ出した。
(やめて……つ、突き抜けちゃうじゃない!)
声に出したくても、実際には吐き気のために、げえげえと嗚咽が漏れるに過ぎない。
(あ、あ……喉と首の後ろが引っ付く――)
ぐしゅ。
嫌な音がした。嫌だと思わなかったのは、当の殺人鬼ぐらいだろう。
音の源には、後頭部から血を広げつつある女の顔があった。驚いたように、見開かれたままの目。
影はそれだけでは満足しなかったらしい。土に達している棒を、手の中で転がし始めた。かき混ぜられる白木の延髄。
その行為も終えると、影は棒は立てたまま、まず、湯川の頭を見つけてきた。そして最初にしたのと同様に、棒の先端に突き刺す。未開の原住民が戦の勝利を記念して作った槍のレプリカ。そんなつもりなのかもしれない。
影は最後の儀式に取りかかった。白木の頭のすぐ横に立ち、斧をしっかと握った。間を開けず、斧を大きく振り上げると、すぐに打ち下ろす。
白木の口から伸びる棒と並行に、斧の刃は正確に白木の喉をとらえた。振り下ろす速度も力もタイミングも、何もかも抜群だった。一撃で、白木の首は切断された。
影は己に課した儀式を終えると、しばし、動きを止めた。達成感よりも、物足りなさを覚えているように見受けられた。
最後の一人を仕留め、影は、隠れ家に向かうべく、大股で歩き始めた。が、その前に、気になる物体に目を留めた。
テレビカメラだった。
自分の姿が万一、あれに写っていてはまずい。そのようなことを考え、影はカメラの側に立った。
背を下にした斧を無造作にかざし、何の感情もない動きで、カメラに叩きつける。人間よりも手応えがなかった。
――第三部.終わり
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