十三をさがせ その7
白木は相手の名を呼んだ。
湯川は無言で何やら作業している。ずるっ、ずるっという音から、殺したばかりの遺体を引きずっているのだろう。
「もういいですよ」
振り返った湯川の顔は、サングラスをかけたまま。『何故か』、視界良好らしい。
白木は顔から手をどけ、おびえを隠せない視線で、湯川を見上げた。
「やだな、白木さん。そんなに恐がらないでください」
斧を地面に置く湯川。着ている服は、ほとんど全面、赤く染まっていた。
「最初に言いましたよね。僕は、あなたに危害を加えるつもりは毛頭ありませんから」
「それは聞いたけれど……」
語尾を濁す白木。突如、殺人者となった仕事仲間に、どんな口を利いていいのか、その戸惑いがありありと現れている。
「白木さん、松田さん、渡部さんの三人は、関係ありませんからね。殺す理由がありません」
「どうしても……殺さなきゃいけなかったのかしら……」
相手の気持ちを推し量りながら、白木は尋ねた。
「許せないと考えていたのは間違いないですよ」
湯川はけろっとしている。
「月谷のやり方には、もううんざりでした。今度のロケも、最初から気が進まなかった。だけど、仕事だと思って……。それなのに、あいつと来たら、また馬鹿なことを。僕をジュウザの偽者に仕立てて、やらせをするなんて」
「わ、私も、いけないことだとは思っていたわよ。それでも殺そうなんて」
「僕にも不思議なんです。殺そうなんて、今日の夕方までは、考えもしなかった。でも、夜になってジュウザの格好をして、草むらに潜んでいたとき、自分がおかしくなったような気がします。錆びた鉄の棒を見つけたんですよ。細長い、建築資材か何かの余りでしょうね。その棒を握った途端、身体の中に何かが流れ込んできたような……」
じっと手の平を見つめる仕種の湯川。
「今にして思えば、そうですね、ジュウザの怨念が乗り移ったような感じでした。『あいつらを殺さなければならない!』――そんな強迫観念に執り憑かれて、僕は姿を隠しました。見守っていると、おあつらえ向きに月谷がみんなから離れると分かったので、あとを追ったんです。そして……殺しました」
湯川の告白を聞き、白川は月谷の遺体を脳裏に浮かべてしまった。強く強く、何度も頭を振った。
「僕が許せなかったのは、例の殺人事件のときから月谷と一緒に働いていた連中です。だから、そのあともチャンスを待ちました。根室、本庄、遠藤の三人がみんなから離れて一人になるのを」
「本庄君が目の前から消えたとき……驚いた」
他に言いようがない。そんな気持ちで口をつぐむ白木。
月谷の遺体を目の当たりにし、逃げるように山道を走っていた本庄と白木。先を行く本庄が突然、白木の視界から消えてしまった。立ち止まり、息を鎮めて、ようやく横手の茂みに引きずり込まれたのだと察した白木は、ジュウザが現れたのではという警戒感から、そっと覗き込んだ。
そして彼女は見た。行方不明になったはずの湯川が、本庄を襲う場面を。
本庄の抵抗に苦労したようだが、どうにか相手の喉を斧で切り裂き、仕留めることに成功した湯川。
その憑かれたような気迫に、白木は当てられてしまった。動けないでいる白木へ、本庄から声がかかる。普段仕事場で使う、控え目で優しい調子だった。
「逃げなくていいです、白木さん。あなたを殺す気はありませんから。でも、逃げて警察に知らせるとかして、僕の邪魔をするのでしたら、容赦しません」
――白木の選択は、おとなしく振る舞う、だった。
しかし、白木は迷った。湯川が次の犠牲者を求めて、切断した本庄の片腕を持って、離れて行ったときのことだ。
(この隙に通報は可能だ。月谷らのグループのやってきた行為は許されざるものだが、死に値するほどとは思えない。今の段階で湯川を止めさせるためにも、警察に行こう)。
白木は決心を固めかけていた。
だが、予想外に早く、湯川が戻って来た。ために、白木の決意は実行されないままに終わった。
「遠藤も殺しました。あとは根室だけです」
帰ってきたとき、湯川の表情は大願?の成就を前に、うれしそうだった。
……今、根室殺しが終わったところだ。
「これからどうする気なの?」
「さあ、どうしましょう」
再び斧を片手に、湯川は薄く笑った。満足そうな笑み。
「自首してもいいんですが、僕はまだやりたいことがありますもんで。やっと、月谷の影響下から逃れられるんですよ。好きな仕事ができるようになる道が開ける。まあ、可能性ですけど、あります。ですから」
歯車がかみ合っていない。調子外れなまでに丁寧に答える湯川。
「月谷達が死んだのは、ジュウザの仕業ということにしてくれませんか、白木さん?」
「……拒否すれば、どうなるのかしらね」
ある程度、返事は予想できた。でも、敢えて尋ねる白木。
「僕を邪魔する訳ですから、死んでもらいます、多分」
「分かったわ」
湯川の落ち着き払った口調と血走った目から、白木は判断した。彼は本気なのだと、断定せざるを得なかった。
「そう、そうね。それじゃあ、あなたのその格好を何とかしなくちゃいけないわ」
考えながら、ゆっくりと、冷静な口調で喋る白木。
「返り血が着いた服はもちろん、斧とサングラスも処分ね。それに……そうだわ。事件をジュウザの仕業らしく見せるため、木林先生に証言させるのよ」
「あの人にまで、事実を明かして協力を求めるのですか?」
湯川はサングラスを外した。いつもと変わらぬ、やや小さな目が覗いた。
「違うわ。あの人の証言を引き出すのよ。あなたにとって――私達にとって都合のいいように。嫌だろうけど、最後の『演出』だと思ってやらなくちゃ。分かるでしょう?」
「……仕方ありませんね」
斧を持ったまま、肩をすくめた湯川。
「じゃあ、先に駐車場へ向かいましょう。いつまでもあの先生を一人にしておけない。いくら車を運転できないからって、安心できません。歩いて下山されたら厄介だ」
慄然。今の湯川と白木には、この言葉がぴたりと当てはまった。
「どういうことよっ、これは!」
悲鳴にも似て、白木の叫び声が響く。
痛いような沈黙の空気が流れた。
二人の前には――木林の惨殺体。月谷の遺体を目にするのを嫌って、駐車場へ少しだけ遠回りになる道の途中、木林の遺体は木に持たせかけるようにしてあった。
「知りません」
ひきつったような青白い顔で、湯川は短く答えた。一寸間の後、さらに続ける。
「僕が手をかけたのは、月谷だけです。木林先生なんて……殺す理由がない」
だが、白木は湯川と距離を置いた。
「――まさか、先生に目撃されて、口封じに殺したんじゃ」
「冗談じゃない! 僕は余計に殺しはしない!」
「し、信用できるもんですか。み、み、みな、皆殺しにする気なんでしょうが。理由なんかなしに」
「……じゃあ」
湯川は斧を捨てた。刃が石にでも当たったか、乾いた音がした。
「これでどうです?」
踏み出す湯川。
「近づかないでよ!」
「何も持ってやしません」
「ま、まだよ。男の力にかなうはずない。その気になったら、絞め殺すことだって」
「僕に手を切り落とせって言うんですか?」
「とにかく、信じられないってことよ!」
「だったら……他の二人を連れてきてください。渡部さんと松田さんとあなたの三人なら、僕一人ぐらい恐くないでしょう。斧も持って行って」
斧の柄の部分を蹴り飛ばす湯川。それはうまく転がらなかったので、改めて手で拾い上げると、白木の手前へとそうっと放り投げた。
「……」
斧を拾う白木の視線は、湯川から外れることはない。
「あなたが呼んできてください。僕はここで待っています。追っかけるような真似はしません」
白木は押し黙ったまま、きびすを返した。
足早に去る白木を見送り、湯川はため息を吐いた。
一人になって、冷静に振り返っても、自分のやったことを悔いる感情は起こらなかった。
(斧とサングラス、そしてあの鉄の棒のおかげだ)
今、そのどれもが手元にはない。棒は突き刺したままであるし、サングラスと斧は白木に渡した。
(あれがあれば、違う自分が出せるような気がする。恐い物が何もなくなって、思ったまま、好きなようにできる)
湯川は歩き始めた。目指すはすぐそこの、月谷を殺害した現場。その遺体、腰の部分から突き出た鉄の棒。
手を伸ばした。
「あ?」
右手の甲を石が直撃した。卵大のごつごつした石。湯川は手を引き、左手で右手を押さえると共に、石が飛んで来た方向を見やった。
(……僕がいる)
錯覚にとらわれた。
彼が見た先には、斧を片手にした、長身の人影があった。顔にはどうやら、メタリックなサングラスらしき物を掛けている。
一歩、相手へ近づく湯川。距離は五メートル程度か。
「……君は」
声を出した途端、反応があった。声なき反応。
影は前へ大きく踏み込むと同時に、斧を振りかぶってきた。かろうじてかわす湯川。かわしたと言うよりも、偶然、当たらなかったとする方が適切かもしれない。
「何を」
思わず、言葉が口をつく。しかし、その瞬間にはもう既に、湯川は敵の正体を悟った。
(ジュウザだ。木林先生を殺したのは、恐らく……)
考えている間にも、相手は動きを止めない。再び戻って来た斧の先端が、不用意に突き出していた湯川の左手にぶち当たった。
やばい。つばを飲み込んだ湯川。
(武器!)
影の動きに注意しつつ、目を素早く左右に走らせる。見つからない。じりじり後ずさり。あった。湯川が最初の殺人に用いた鉄の棒。力任せに引き抜いた。月谷の首なし死体が、がくりと崩れ落ちる。
間合いを詰めた影が、斧による再度の攻撃。
その瞬間、湯川は棒で応戦。金属同士がぶつかり、火花が散る。ほんのわずか遅れて、激しい音。
(な、何て力だ)
手がしびれる。湯川は棒をがっちりと持ち直し、相手に向けて、まっすぐにかまえる。二メートルほどある鉄の棒により、斧を持った殺人鬼も否応なく間を取らざるを得ない。
(人並みに止まってくれたか。さっきの馬鹿力で来られたら、こんな棒、弾かれる。何とかしないと……。このまま突き刺そうにも、体格は向こうに分がある。せめて、あいつを何かに押し当てないと。だが、岩壁まで持って行くのは難しい)
難しいと思いながらも、彼は行動を起こした。今、岩の壁は湯川の左側にある。湯川が円を描くように右へ動けば、もしかすると、影は右――湯川から見れば左――に移動するかもしれない。
が、影は動じなかった。勝手に動くなとばかり、乱暴に斧を振るう。棒先に触れ、二度目の金属音がした。
(だめだ。先手しかない。そして)
棒の先を敵の顎に定め、湯川は身体ごと突進した。
斧で棒を払う影。
(今だ!)
棒を右手に保持したまま、全力でタックル。このまま相手を組み伏し、大地に押しつけたところを串刺しにする。それが湯川の考えた作戦だった。
しかし――。
「?」
大木にぶち当たった手応えに似ていた。
(う、動かない)
焦りが生じた。このままの態勢では、上から首か頭を狙われるのは必至。
「うわぁっ」
叫びながら鉄の棒を頭の上に持って行き、さらに相手の身体から急いで離れようとする。
離れられない。ベルトを左手で掴まれた。相撲の上手回しのような格好だ。
湯川の判断は早かった。ベルトの留め金を外すと、掴まれているのとは反対方向へ身体を預ける。
ベルトはするりとジーンズを抜け、影の手元に残された。幸運だった。
だが、まだ何も終わっていない。
捕らえた獲物に逃げられたためだろう、影が隙を見せた。
そこを突き、湯川は両手で握り直した棒をフルスイング。風の鳴る音。狙ったのは、右足の向こう臑だ。
手応え、あった。しかし、影は声一つ上げない。
「臑が鍛えられるはずない!」
悲鳴を上げたのは湯川の方だった。あ然としている内に、棒を掴まれてしまう。
影はやおら、棒を振り回そうとし始めた。片手なのに、両手の湯川が体勢を崩された。その格好のまま、引きずられるように振り回される。
背を地面にこすられるが、湯川は棒を手放そうとしない。
(こいつがないと、確実にやられる。逆にこれさえあれば、何とかなるんだ)
信じ込んでいるのだ。
だが、その思いは簡単に断ち切られた。両手首から先の感覚がなくなり、湯川はぶざまに転がされた。
「あっあっあー」
絶望の声。そして、両手を失った痛みが湯川を襲う。
そう、業を煮やした影は、斧を使ってしがみつく湯川の手を切り落としたのである。砂まみれで転がる両手首は、まだ何かを握りしめるような形を取っている。
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