十三をさがせ その5

「どうなってんだよ、おい」

 根室は煙草を投げ捨て、それを踏みつける勢いを利して立ち上がった。いらいらした様子を隠さない。

「あの二人、どれだけ待たせるつもりだ? 帰って来んぞ」

 月谷の元へ報告に向かった白木と本庄は、一時間近く経った今も戻らない。

「ディレクターともめているのかも……」

 小さな声で松田。根室の剣幕に遠慮しているせいか、湯川がいなくなった不安のためか、はた目には分からない。

「それにしたって、ひどいぞ。放ったらかしか、俺達?」

 この場の三人の中では自分が一番上という意識でもあるのか、根室はぞんざいな口調である。

「飯もまだですしねえ」

 渡部が言った。マイペースを崩すことの少ない彼も、空腹はこたえるらしい。

「何時だ?」

「七時前です。六時五十七分」

 左手の手首を返し、答える松田。

「ゴールデンタイムだな。一家団欒、楽しいひととき」

 何の皮肉か、根室がつぶやく。次に断を下した。

「じれったい。こっちから行くぞ」

「でも、湯川さんが」

 そう唱えたのは、やはり松田。肌寒くなってきたようで、自分の二の腕を抱いている。

「遠藤君もどこかに行ったままですし」

「あいつのことだ、勝手に一人で引き上げちまったんじゃないかな」

 渡部が半ば、決めつけるように言った。

「どちらにしても、湯川さんのことがありますから、誰かが残らないと」

「そんなに言うのなら、君一人で残るかい?」

 意地悪げに笑う渡部。根室の方は、どうでもいいとばかりに、片足でかたかたと音を立てている。

「私一人、ですか……?」

 顔を曇らせると、松田は不安で一杯の視線を渡部に向けた。

「むろさん、一人で行けますか?」

「お、何だ? ナイト気取りかい、べーさん?」

「だって、置いて行けんでしょう、この子だけを。とりあえず、むろさんだけ行ってください。形だけでいいから湯川のことを報告して、月谷大先生の許可をもらってくださいよ。それを伝えに、誰かをよこしてくれれば、納得するでしょう。なあ、松田さん?」

「え? あ、はい」

 松田が戸惑ったような返事をしたのを機に、根室は足を一歩、進める。

「べーさん、妙な気を起こすんじゃないぜ!」

「ご冗談を」

 渡部のシニカルな笑いに送られ、根室は夜の山道を下り始めた。


 松田貴恵は、渡部が急に茂みへ向かい始めたのを見て慌てた。

「どこへ行くんですか?」

 渡部からは「小便だ」と、大儀そうな返事。

「あんたも来るか?」

「い、いえ。遠慮します」

 赤面して下を向く松田。暗いから、顔色の変化は相手に見えなかっただろう。

「早く戻ってください」

「分かってる」

 後ろ向きのまま手を振ると、渡部は完全に見えなくなった。彼を見送りながら、松田は思った。

(向いてなかったかも)

 ため息が出る。

(仕事は楽しいけれど、この特有の乗りみたいなのが、肌に合わない感じ……)

 思考が途切れた。背後で音がしたのだ。

「? 渡部さんですか」

 方向が違うのを訝しみながら、松田は振り返った。反応はない。

「まさか……湯川さん?」

 他にも、この場にいないスタッフの名前が浮かぶ。

 その直後、物音を立てた主が正体を現した。それは、松田が想像していたどれでもなかった。

「――」

 声を出す前に、松田は強い力で地面に叩きつけられた。骨がどうにかなったと思える、びりびりした痛みが全身に走る。

「ひ」

 極短い叫びを上げて、松田は痛む身体をねじって、襲撃者の姿を確認しようと試みる。とにかく大きな人影が見えた。それだけで充分だった。

「誰か! 助けて!」

 甲高い声が響く。その間にも、影は迫っていた。

「誰か……渡部さん!」

「どうしたあっ!」

 渡部の声が、松田の叫びと重なった。

「熊か?」

 どこか遠いところからのもののように聞こえる。

「ち、違います」

 仰向けの状態で、必死に後ずさる松田。影の動きは止まっていた。渡部の声を耳にし、戸惑いを覚えているように見受けられる。

「さ、殺人鬼です! ジュウザ!」

「何だって」

 やっと姿を見せた渡部。彼のいる位置は、松田の左斜め後方といったところか。開けた光景に、今までいなかった不気味な影が存在していることに、驚きを隠せない様子。

「こいつは……」

 言ったきり、きょろきょろと忙しげに首を巡らす渡部。すぐさま彼は、手近の木の枝を乱暴に折り取った。が、そのしなり具合を確かめたかと思うと、あっさりとそれを捨てる。そして次には、かぼちゃ大の大きな石を取り上げた。

「勝てるとは思えんな」

 自嘲気味に笑う渡部。

 不幸中の幸いか、影は、どちらに的を絞ろうか、まだ思案しているようだ。

「松田貴恵!」

「はい!」

 フルネームで呼ばれ、松田は素早く反応した。

「動けるか? 俺がこいつを引き付ける間、車のところまで行け! いいな!」

「や、やってみます」

 思い切り手を突っ張り、身体を起こす。影の方を振り向かず、そのまま走り出そうとした。だが、腰砕けになってしまった。膝がひりひりするのは、すりむいたのかもしれない。

 影も動いた。逃げようとする松田に狙いを定めたか、大股で迫り始めた。

「しっかりしろ!」

 渡部は叫びながら、石を投げつけた。先ほど拾った物ではなく、つぶて程度の大きさだ。ぱらぱらっと音を立て、影の背中に当たった。

 影はつぶてに気づいたのか無視したのか、渡部には目もくれない。

「これぐらいじゃあ、だめか」

 自分を落ち着かせるような物言い。

 そして渡部は、Y字型の武器を取り出した。いつの間に準備したのか、それはパチンコだった。木の枝と機材補修用のゴムテープとで急ごしらえした物だ。

「リハーサルなし、ぶっつけ本番、か」

 己に冷静さを強いているような、渡部の声。彼でなくとも、若手のアナウンサーなんか放っておいて、逃げ出したいところが本音だろう。

 さすがにゴムを引く時点で、渡部は押し黙った。石をあてがったゴムをぴんと引き、狙いを定める格好で腕を前方へ突き出した。

 発射。鋭い音がすると共に、影が渡部へと向き直った。肩口を押さえている。予想以上に、手製のパチンコの威力は強いらしい。

 影が渡部に向かった隙に、松田は起き上がり、声も出さずに道を下り始めた。


「やっとこさ、当初の目的は達した訳か。さて、俺の方は」

 影との間合いを計る渡部。

「ま、セオリーに倣えば目玉を狙うところだが……」

 渡部は敵の頭部を見上げた。暗くて判然としないが、噂の通り、メタル系のサングラス状の物で目を覆っているのは確かなようだ。

「あそこを撃って、効くかねえ」

 相変わらず、喋り続ける渡部。そうでもしていないと、精神的に追い込まれかねないからだ。

「まずは顔を拝ませてもらうか」

 サングラスを飛ばさんと、石を放った。

「あ……あーあ」

 命中はしたが、弾き飛ばせなかった。後頭部の方で固定されているのかもしれない。

 やばいな――もはや声にならなかった。渡部はじりっと後ずさり。

(一撃食らわしといて、逃げるっきゃねえか)

 息が荒くなっている自分に気づく。吹っ切るために強く頭を振って、最初に見つけておいた大きな石を持ち上げた。

「ほらよ!」

 渡部はフェイントをかけた。斧で弾かれることを警戒し、そのまま投げずに、アンダースローで影の向こうずねを狙う。

 かぼちゃほどの大石は見事、狙い通りに命中した。

 が、渡部はその成果を見届けず、一目散にその場を離れた。とても道とは呼べないような薮中を、かき分けかき分け、泳ぐように進む。

 最初こそ勢いもよかったが、すぐに疲れが来た。がくんとひざが折れ、動きを止めたときには、汗まみれになっていた。

「て、ててて」

 両手が傷だらけになっていた。首や頬の辺りもちりちりする。葉っぱで切ったのだろう。

「見えねえ」

 これまで来た道を見通す渡部。あの襲撃者――恐らく殺人鬼のジュウザ――が追って来る気配は感じられない。

「松田のお嬢ちゃんとは逆方向に逃げたのに……おびき寄せられなかったか?」

 不安になる。松田が捕まってしまえば、助けを求める手だてが断たれる。

(俺が月谷のところに知らせに行こうにも……ここはどこだ?)

 渡部は、自分が今いる位置が分からないでいた。無我夢中で逃げたため、正確な場所はおろか、先ほどまでいたかつての事件跡よりも高地なのか低地なのかさえも不明だ。

「街の灯が見えるってのに、馬鹿げてる」

 唾を吐き捨てる。何だかじゃりじゃりと、砂でも混じった感覚があった。

「死ぬかもな」

 パチンコ片手に、自嘲気味に笑った。腰を下ろした周りには、小石は少なかった。土くればかりだ。

(長い鉄パイプでもあればなあ)

 武器がないのは痛い。動く勇気を出しにくくなっている。

(パチンコの他は……鍵、予備のバッテリー、煙草、ライター。ん? 露出計がねえな。どっかで落としたか。まあ、あんな物はどうでもいいが。山火事でも起こせば、下の人間も気づくかもな。その前に、俺自身も火に巻かれちまう可能性大だが。……松明でも作ってみるか。くそっ、油があれば一発で倒せるだろうにな!)

 そこまで考えていた渡部だったが、次の瞬間、背中を強大な力で押された。

「え?」

 何がと思う間もなく、前のめりに突き倒される。押された背骨の辺りが、まるで火が着いたかのように熱く、痛い。

(ジュウザ? いつの間に?)

 どうにか体勢を立て直そうと、肩越しに後ろを見た。そこには、先ほどの敵よりもさらに大きな影が立ち尽くしていた。

「げ」

 渡部は自分の運のなさを呪った。

 その間にも、巨大な影は右手――いや、右の前足を振りかざし、人間へ攻撃を加えようとする。

 ふーっ、ふーっと、いかにも獣らしい荒い息をしている。殺人鬼に気を取られ過ぎて、不覚にも渡部は聞き逃していた。

 己の身体の下敷きになった両腕を引っぱり出し、パチンコで応戦しようとする。しかし、背骨が既にいかれてしまったか、思うように身体が動かない。

「畜生っ」

 うめきながら、土を蹴る渡部。熊相手に抵抗しようとしたのではない。斜面を転がり、少しでも離れようとしているのだ。

 茂みの中だったが、幸いにも大きな木はない。背骨に加え、全身に痛みが生じたが、二メートル近く転がれた。

 仰向けになって止まる。これでパチンコを撃つことができるが……。

「手が……しびれてるぜ……」

 あきらめにも似たつぶやき。今の渡部に、石を拾うことはできない。たとえ拾えたとしても、撃てないだろう。さらに言えば、正確に撃てたとしても、熊を撃退するのに一発では足りまい。

 熊との距離が、再び狭まった。

(ライターも取れん、か。……終わりだな)

 渡部は、徐々に近づいてくる熊に、笑みを投げた。

「……死んだふりなんか、できやしねえぞ」

 それが渡部の最後の言葉となった。

 鋭い爪は人の肉を切り裂き、太い牙は骨を砕いた。


 松田は今、目にした光景を信じられないでいた。そしてそれ以外、何の思考すらできない。

 ――ばらばらになりそうなほど痛む身体にむち打って、必死の思いでたどり着いた駐車場。そこには誰の姿もなかった。それだけでも狼狽するのに充分であった。

「月谷ディレクター! どこにいるんですか? 木林先生も……」

 必死に声を張り上げても、応える声はなし。

「白木さん、本庄さん! いるんでしょう? 大変なんです! ジュウザが出たんです!」

 道すがら、白木と本庄の二人に会うこともなかった。さらに不思議なことに、根室にも出会っていない。

(必死だったから、知らない内に追い越した? まさか)

 とにかく皆に知らせないと。そんな使命感で、彼女は動いた。そこらを探すため、裸足のまま歩く。靴なんか、とっくの昔に脱げ落ちていた。ストッキングもぼろぼろだ。

 髪が顔の前に来て、視界が極端に悪い。そのため、彼女はそれを発見したときも、すぐには何も感じなかった。両手で髪をなで上げ、目をしっかり見開く。

 それは信じられない光景だった――。

 松田は、赤に塗りたくられた岩肌の前で、ぺたりと座り込んだ。その喉の辺りの筋肉が、ひくひくひくと、痙攣を繰り返している。

 ざざっ。遠慮の感じられない――あるはずもない――耳障りな音と共に、奴が姿を現した。

 だが、松田貴恵は顔をそちらへ向けただけで、他に何もできなかった。

 ワンテンポ遅れて、思考の回路が開通した。

(こんな風に殺されるんだわ。はは、はは)

 心中の笑いが、声にも出る。やがて彼女は抑揚に乏しい調子で、「はは、はは」と笑い始めた。

 わずかな間、影は動きを止めた。女が急に笑い出したのを見て、警戒したのだろう。罠かもしれない、と。

 不可思議な空間であった。

 血塗られた岩壁には、串刺しの首なし死体。その足下には砕けた頭部。

 死体の手前にへたり込む女は髪は乱れ、目もうつろ。口を開けて、淡々と笑い続けている。

 それらを見据えるは、斧を携えた巨大な人影。殺人鬼。

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