十三をさがせ その3

 斜面の真下まで来た彼は、何歩か坂を駆け上がると、

「ほれっ!」

 と言いながら、車の鍵を投げてよこした。

 受け止め損なった松田は、鍵を地面から拾い上げると、小走りで月谷へ届けに向かう。

「どうぞ」

「遅かったな」

「す、すみません……」

 首をすくめる松田。

「まあいい。これ、バスの方のキーだな? 湯川が見つかったら、おまえ達も来いよ。それとも……君も来るかね?」

 月谷の意外な言葉とそのにやりと笑っている表情に、松田は声を短く上げた。

「え?」

「男二人ってのも、寂しいもんだからねえ」

「こ、困ります」

「何が困る?」

「その……私も、こちらのお手伝いをしないと」

「ふーん。ま、しょうがないか。じゃあ、湯川が見つかったら、すぐに来いよ。あんまり待たせるようだと、俺と木林先生だけで、先に下のコテージに行くかもしれんぞ」

 一方的にそう言って、月谷は、木林を先導するように、さっさと歩き始めた。

 松田の方はしばし二人を見送ってから、大きく息を吐くと、おもむろにきびすを返した。


 車に乗り込み、エンジンをかけ、すぐに暖房を入れた。秋口とは言え、夜になると段々と冷え込んでくるようだ。

 しばらく、木林と雑談していた月谷だったが、不意に尿意を催した。

「ちょっと失礼」

 ドアを開け、また閉める。大した人間が車内にいなければ、開け放して行くところだろうが、今はそうもいかない。月谷にとって、木林は大切なお客様だ。

 マイクロバスから離れ、ちょっと歩いた。山の窪みで、岩肌の露出している場所があった。岩壁を前に立つと、月谷は生理現象の処理をそそくさと始めた。

「湯川の奴、本当に馬鹿野郎なんだからな」

 そんなことをぶつぶつ言いながら、月谷は空を見上げた。

「ぐ?」

 突然、腰に痛みが走った。バランスを崩し、前のめりに倒れそうになるところをどうにか踏ん張るが、痛みは止まらない。逆に、嘔吐感さえ覚え始めた。腹の中をかき回されるような……。

 月谷はシャツのボタンを外し、自分の腹を見た。

「お、お、お」

 へその下辺りが、丸く盛り上がっている。同時に、第二の激痛が起こった。

「げ」

 次の瞬間、月谷は自分が見た物が信じられなかった。腹を破り、細長い物が突き出てきたのだ。無論、血も溢れ出る。最初、染み出る程度だったのが、だぼだぼだぼと、破れた袋から液体がこぼれるような勢いへと変わる。

 このときになって、月谷はようやく気がついた。背中の方向から誰かに襲われているのだ、と。月谷は苦労して首をねじ曲げ、後ろを見た。

 声が出なかった。彼の背後には、巨大な影がいた。その太い腕には、建築資材か何かの鉄の棒が、しっかりと握られている。そしてその先が、月谷の腰の中へと消えているのだ。

 意識をなくしそうになる月谷。それにかまわず、棒がさらに押し込まれた。

「ぎぎ」

 勝手に声が出た。本当は、やめてくれ!と叫びたいのだが、嘔吐感と激痛とで、意思通りにならない。

 影は、鉄の棒を持った手を、円運動させた。

 腰の方に開いた傷口が、その直径を広げていく。腹から飛び出した先は、勢いの弱くなった独楽の軸のように、ぐらぐらと回転していた。

 月谷は力を振り絞って、全身を前に進めようとした。自分を串刺しにしている棒から、身体を引き抜こうと試みる。

 できなかった。

 後方から加わる力が増す。岩肌に押しつけられてしまった。岩は夜の冷気にひんやりとしていたが、月谷にその感覚はなかった。血液を大量に失い、顔に赤みがない。

 影が棒を一層押し込むと、棒の先は岩の中を進み、やがて止まった。

 月谷を固定してから、影は鉄の棒を手放した。そして、どこに隠し持っていたのか、銀色に輝く巨大な扇ようの物を取り出した。斧だった。

 影は斧を持っていない方の手を伸ばし、月谷の首へと触れた。まだ息があることを確かめるように、うなじを二度、さすった。

 触られたという感触にショックを受け、月谷は最後の声を絞り出せた。

「助けてくれ!」

 月谷には、視界の端で、影がうなずいたように見えた。

 それは錯覚ではなかった。確かに、影はうなずいていた。その動作が意味するところは、まるで違っていても。

 影は一点に狙いを定めるように、斧を横にかまえた。

 月谷が影の次の行動を知ったときには、すでに遅かった。

 何かの明かりを短く反射し、大ぶりな刃がまっすぐ、月谷の延髄を直撃した。

 返り血を浴びながら、影は同じ動作をそれから三度、繰り返した。最後の一撃で、正しく首の皮一枚つながっていた月谷の頭部も、真っ赤に染まったまま、地面に転がった。

 さながら昆虫採集の標本のごとく、一本の棒で岩壁に固定された月谷の首なし遺体。その切り口――かつて頭部を載せていた――からは、まだ激しく血が溢れ出していた。用足しの形跡は、完全に塗りつぶされた。

 首のない男がズボンのチャックを下ろし、立ち小便の格好で血をばらまいたように見えた。そして足下には、男の頭部。

 影はそれに足を置くと、一気に踏み潰した。スイカでも地面に叩きつけたような音に混じって、ぱりんという、眼鏡のレンズがくだける音がかすかにした。


 半日、ロケーションという慣れない体験をしたせいか、木林はうとうとしていた。テレビ出演は何度かあっても、現地撮影に同行したのは初めてだった。

 そんな彼の意識がはっきりしたのは、物音が耳に届いたから。叫び声のようだった。

「月谷さん……か?」

 身を起こすと、木林はフロントガラスに額を着け、外へと目を凝らした。が、何も確認できない。今いるのがこんな山の中である上に、曇り空だ。ほぼ真っ暗と言っていい。ほぼと記したのは、山小屋の側に外灯が一本、申し訳のようにあるためだ。その程度の明かりでは、状況はつかめない。

「しょうがないな」

 胸騒ぎを覚え、木林は車外に出た。山の冷気に触れ、肌寒さを感じる。

「どうした、月谷さん。どこだ?」

 夜の空間から、反応は返って来なかった。

 音がないのを強く意識したためか、耳鳴りがしているかのように、木林は耳が痛くなるのを感じた。小指の先で、耳の穴をいじる。落ち着くどころか、逆に、言い知れぬ焦燥感が増した。

 頭を振る木林が、おもむろに表情を固くした。短かったが、叫声が聞こえたのだ。今度のは間違いなく、月谷のもの。

 木林は一瞬、躊躇したものの、勇を奮って、声のした方へ向かう。

 しばらく歩いてみたが、月谷がどこへ行ったのか分からない。

 その頃になってようやく、知らず、黙り込んでいる自分に気づいた木林は、唇を湿してから、

「月谷さん!」

 と、大声を出した。その効果があった訳でもないだろうが、すぐに木林は月谷と対面することとなった。

「あれは……何だ」

 岩の壁に押しつけられた、奇妙なひとがた。頭の部分がなくなっているが、服装は間違いなく、月谷の物だ。木林にとって、明かりが乏しくてよかったのかもしれない。

(まさか)

 遠くから眺めたまま、月谷の遺体に近づきもしない木林。それどころか、どんどん遠ざかって行く。彼の頭の中は恐慌のため、思考がまとまらずにぐるぐると回っている。

 息が荒くなり、立ち止まる。月谷の遺体が見えない位置まで来たが、駐車場まではまだ少しある。

 自分自身の呼吸音の合間に、別の物音を耳にして、木林は振り返った。動悸が収まらない。

「――?」

 振り返った一瞬、視界の隅を何かが通り過ぎたような気配を、木林は感じた。

(変だな……鳥か?)

 目をこする。左右とも目をつぶった瞬間、何も見えない時間が訪れた。そこへ――。

「てっ!」

 急に痛みが走る。左手の小指の辺りだ。

 目を開ける。何か液体が、目に飛び込んできた。温かいそれが、左目の視界を奪う。左の視界は、赤く染まった。顔面にも液体が飛散したと分かった。

(血、か……? そ、それじゃ、左手の痛みは……)

 すでに激痛を伴う左手の状態を、右目で確認する。

(げっ! ……小指が……ちぎれかけてやがる!)

「あああああ!」

 途端に叫び出す木林。痛みはどうにかこらえていたが、付け根からぱっくりと傷口が開き、取れかけている左手小指を見てしまっては、一気にパニックに陥っても仕方がない。

「あわ、わわ」

 口がわななく。木林は、右手で左手小指を元の形に戻そうとした。が、溢れ出てくる血がぬるぬると邪魔をして、うまくいかない。逆に、変な風に右手に力が入ってしまって、いよいよ小指はちぎれてしまいそうになってきた。

「ひっ!」

 その叫び声と同時に、木林の左手から、小指はぽとりと落ちた。指は地面を少しだけ転がり、止まった。

 木林は、意味不明の言葉を小さくうめきながら、慌ててしゃがみ込んだ。そして、これも慌てて、小指を拾う。

「こ、氷か塩……」

 両膝を地面に突いたまま、がたがた震える木林。その上半身に、大きな影が被さった。

「だ誰だっ」

 答はない。

 木林は見上げた。もしかしたら、この人が助けてくれるかもしれない……。

 影は、斧を手にしていた。

「――おまえは――」

 それが、木林が発音できた、最後の言葉となった。

 木林の正面に仁王立ちしていた影は、手にした斧を胸の高さまで持ち上げると、刃を外に返した。かと思うとすぐに、胸元から弾かれるようにして、斧は木林の顔面めがけて飛び出してきた。

 木林の鼻の下に、横向きにヒットする刃。衝撃で、木林の眼鏡が吹き飛ぶ。乾いた音がした。

 斧は止まることなく、掘削機のように顔面奥へ突き進み、尾骨と上顎部分との間に、大きな亀裂を作った。喉仏を前にして、刃は方向を転じ、真下に向かった。影がスナップを利かせた結果だろう。

 斧はそのままの方向を維持し、一気に振り抜かれた。

 木林はもはや、我が身に何が起こっているのか、全く把握できないでいた。

 ただ、彼の目――視界が利くのは右目だ――は、地面に転がった、入れ歯のような物を確認し得た。真っ赤なそれは、ついさっきまで、木林の顔についていた物。つまるところ、彼の上顎と下顎だった。

 長い時間をかけて、ようやくそれだけを認識した木林は、大声で叫ぼうとした。が、上顎と下顎、それに舌を失った彼に、どうして声を発せられようか。特別な訓練を受けない限り、発声することは不可能だ。もちろん、木林は普通の発声法しか身につけていなかった。

 それでも、まだ生きる執念はあった。血を止めようと、顔にできた大きな大きな傷口に、両手をあてがう。だが、指の隙間――左小指を失ったために一つ少なくなった隙間からは、絶え間なく血が滴り落ちる。

 そして、木林のその空しい努力も、影によって中止させられることになる。影は斧を持っていない方の手一つで、木林の両手を、万力のようなじわじわと締め上げる力で固定した。ぼきぼきぼきと音がしたのは、指や手の甲の骨が折れた音だろう。

 そんな些事にはかまっていられないという素振りで、影は木林の両手を傷口から引き剥がした。木林の手に、もう力は入らなかった。ただ、だらんと垂れ下がるまま。手の甲から白い物が飛び出し、そこが徐々に赤く染まる。

 再び現れた、顔面にできた丸い穴。影は斧を持った方の手で木林の髪を鷲掴みにすると、何を考えたのか、もう片方の手で地面から小振りな石を拾い集め始めた。必要な分量は、すぐに揃ったらしい。

 それからいきなり、影は木林の顔面の「補修」に取りかかった。かつて口だったところにできた丸い穴に、小石を詰め込み始めたのだ。

 一杯に詰め込んだところで、影は右手で拳を作ると、大きなモーションから、石が詰まった穴めがけ、一気に殴りつけた。

 ぷしゅ。

 奇妙な音が、小さく起こった。木林の後頭部、延髄の辺りから、数え切れない量のつぶてが飛び出す。血にまみれたそれらは、木林の背後に立つ大木の肌にぶつかると、次々に赤い斑点を描いていった。

 しばらくして、木林の――死を迎えたばかりの――身体そのものもゆっくりと、木にもたれかかった。それはすぐに、ずるずると沈んでいき、ただただ、血溜まりを地面に広げつつある。

 木林の頭部は、もはやほとんど残っていないと言ってよかった。しかし、影は、首を切断することに執着があるらしい。倒れた木林の遺体を左手でまさぐり、首の位置を触って確認すると、改めて両手で斧をかまえた。

 ざく。

 あまり手応えがなかったような音だった。それでも、影は木林のべとべとの髪を乱暴に掴むと、無造作に引っ張った。さながら、草むしりでもするかのように。さらに、手にした首を退屈そうに何度か振り回し、これもまた無造作に、正面の大木に叩きつけた。

 トマトが潰れたような音がした。頭の大きさを平常の半分程度にされていたためか、木の皮にできた染みも、トマトでも潰した跡に似ていなくもない。

 『スイカ』に続いて『トマト』が潰れた。


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