十三をさがせ その2
彼女の問いかけに答えたのは、遠藤だった。彼も面白そうに応じる。
「さあて。熊に襲われて、死んだふりした奴が、助かったなんて聞いたことがない。さっさと逃げる方がいいんじゃないの」
「ちょっとお」
「くだらないこと、言わないの」
つまらなさそうに白木。
「松田さんも、みんなの言うこと、真に受けなくていいのに。この業界、そろそろ慣れたでしょう」
「でも」
「白木さん、あまり松田を自分の色に染めたらだめよ」
今一人、本庄がふざけ半分に加わる。
「こんないい子があなたみたいになったら、悲しいからね」
「私はかわいくないと。そりゃどうも」
そんなやり取りに呆れたかのように、後方、湯川の手前で、渡部カメラマンが呟いた。
「ジュウザに出くわしたら、死んだふりをするか……」
惨事の形跡は、今でも完全に消え去ってはいなかった。
緋野山の殺人鬼による最初の事件の現場周辺を、東洋テレビのスタッフらはぞろぞろと歩いている。
小屋の内、火を出した方は解体され、更地になっていた。だが、その跡地の土は他と比べて黒が濃い。焼け焦げた跡である。
「これはすげえな」
本庄が地面を蹴っ飛ばした。いくらかの土と共に、木くずが飛んだ。
「血の色を含んでいるような気さえ、してきますね」
アナウンサーの松田の声は若干、震え気味だ。
彼女の言葉に反応したのは、月谷。
「おっ、それ、いいね」
「何がですか?」
「さっきのフレーズ。血の色を含んでいるっていうやつ。使える」
「使えるって」
おおよそ想像できた顔をしながらも、松田は重ねて尋ねる。
「番組に使うんだ。そうだな。『事件の際の火事で焼け焦げた土です。……心なしか、血の色さえ含んでいるような気がしてきます』――てな感じでどうだ」
「いいですねえ」
松田に代わって、根室が調子を合わせた。
「さて、とりあえず、残っている小屋の方、収めておこう」
月谷の声に、各人が動く。
焼けずに済んだもう一つの小屋は、公共の施設であるにも関わらず、荒れ放題だ。事件後、誰もこの小屋を利用しなくなり、少し下に新しい小屋が完成したせいもあって、こちらは管理されなくなったという。
その小屋の前で、台本通り、決められた言葉を喋る松田。
「――まだまだ記憶に新しいこの事件の犯人とされるジュウザ。一体、どこへ消えたのでしょうか……」
感情を込めた口調。しばらくの余韻の後、OKの声。
「よし、よかった。さ、次だ」
続いて、放置されたままの小屋の内部を見て回る段取りとなっている。
「入る許可は取ってるんですか?」
月谷の背中に問い掛けたのは湯川。
「取る訳ないだろうが。こんな管理されてない小屋、いちいち許可なんかいらないさ。おまえさんはそんな心配よりも、重たいバッテリーを担いで頑張ってくれてたら、それでいいんだよ」
「それはそうですが……」
「湯川君、ちょっと」
カメラマンの渡部が呼んだ。
「何ですか? 何か不手際、やりましたっけ?」
「そうじゃない」
声を低める渡部。
「ただな、ディレクターのやり方に口出ししていても、始まらないぜ」
「……」
「おたく、月谷『大先生』との付き合い、長いんだろ?」
「はあ、まあ」
「だったら、彼のやり方なんて、もう分かってることだ。俺だって腹立たしく思うときはある。けどな、そんなこと、いちいち口に出して抗議していたら、仕事が進まなくなるの」
「そんなもんですか」
「そう。スケジュール内で仕事を終える。それが俺達の役目。できれば、早いとこ終わって、うまい酒にありつきたいのが本音だな」
湯川は黙って下を向いた。
「まあ、気に入らないことがあったら、独り言で済ませるのがいい。俺はいつもそうしている」
にやっと笑うと、渡部は湯川の肩を強く叩いた。
暗くなってきて、そろそろ小屋に引き上げようという雰囲気が漂い始め、やがてスタッフのほぼ全員を支配していった。
「待った。やることがあったぞ」
月谷が突然、言い出した。
「何でしょう」
不満そうに口を尖らせる白木。
「ここらでジュウザに、ちらとでもその姿を拝ませてもらわないとな」
「何を言うんです? そんな都合よく、ジュウザが姿を見せるなんて」
「演出するんだよ。決まってるだろうが」
説明するのも面倒臭いとばかり、月谷は台本の冊子を丸め、手のひらを叩いて音を立てる。
そんなディレクターに対し、露骨に反対の意志表示をしているのは、白木ただ一人。ほとんどの者が、ああ、来たかという感じで受け止めているらしい。若い松田アナぐらいは、ただ従うしかないという風に立ち尽くしてる。
「この場の夜の映像は、今夜しか撮れないんだ。やろう」
根室が最後の一押し。趨勢は決した。
「あの……月谷さん」
嫌そうに、湯川が口を開いた。
「やはり、自分がやるんでしょうか」
「おお、そうだ。昼間、言っただろ。さあ早く。斧を出せ、斧を」
急かされ、渋々と行動に移るのが、傍目からでもありありと窺える。
湯川は斧を片手にすると、肩に担いだ。気乗りしないところを少しでも表そうとしたか、その姿は、鍬を背負った百姓のようなたたずまいだ。
「おい、その格好、もうちょっと何とかならんのか」
「そうですねえ。このままじゃ、ジュウザと言うより、せいぜい、木こりの与作ってとこ」
本庄が同調。
「専門のメイクがいないからなあ。とりあえず、グラサン、かけさせてみようや」
使い古しの業界用語を駆使する月谷。その横をすり抜けて、白木がサングラスを持ってきた。
「湯川君も大変ね」
呆れたような、軽蔑したような、そんな台詞とともにメタリックなサングラスを湯川よこす白木。
受け取った湯川は、慣れぬ手つきでかける。
「ほう、何とか見れるぞ」
月谷が言った。続いて、冷やかしの声。
「似合ってる、似合ってる」
「格好いい!」
それらに対して、湯川はうろたえたように応じる。
「あの……ほとんど何も見えません」
夜、サングラスをかけると何も見えなくなる。当たり前のことであったが、他のスタッフやゲストの木林らは、大笑いを始めた。
「わ、笑いごとじゃないっす。これじゃあ、演技しようにもできませんよ」
真剣な口調の湯川。実際、空には雲があって、月明かりさえもない。
「そ、そうだったな。しっかし、ジュウザの奴は、何で見えていたんだろ? 木林先生、ジュウザはメタル系のサングラスをしていたんでしたよね、確か」
「ええ、例の唯一の生き残りの証言ですが。まあ、一瞬、目撃しただけのことだから、本当にサングラスだったかどうかは怪しいんですが」
答える木林の口元は、笑いをこらえて震えていた。
「さあ、早くやっちまおうっ。あんまり、はっきりと姿を収める訳にはいかないからな。木々の間を見え隠れする程度の映像でいいだろう」
言いながら月谷は、湯川に対して、森の方を指差した。そこに行けという意味だろう。背の高いビデオエンジニアは、素直に命令に従い、草むらに分け入っていく。足取りがおぼつかないのは、サングラスのせいかもしれない。
「適当なところまで進んだら、一旦、身を潜めるんだ。それから声で合図する。分かったな?」
ディレクターの声に、湯川は背中を向けたまま、斧を持っていない方の手を挙げて応じた。やがて、彼の姿は闇の中に消えていった。
根室がカメラマンに尋ねる。
「べーさん、スタンバイは?」
「いつでもどうぞ」
愛称で呼ばれた渡部は、表情一つ変えず、カメラをしっかりと構えている。
「よーし。音は……アフレコじゃあ、今の視聴者は見破っちまうからな。リアルタイムで入れとくか。えーっと、遠藤、おまえ、第一発見者」
「分っかりましたあ」
万事心得ているという調子で、遠藤はうなずくと、渡部カメラマンと音声係の白木とへ目で合図を送る様子。
「いつでもいいぞう」
「白木さんは?」
「右に同じ」
「では……。皆さん、調子を合わせてくださいよう。……」
照明用のライトを手に持ったまま、一つ、深呼吸をすると、遠藤はいきなり大声を張り上げた。
『あ! あれ!』
『どうした? 何だ?』
根室が応じた。こちらも切迫したような声。無論、芝居なのだが。
『い、今、何かちらっと見えました。かなりでかい、人影みたいなのが』
『カメラ!』
渡部は、いかにも、とっさの出来事で対応できませんという具合に、カメラを振り回す。
「……あれ?」
渡部が、本当に――つまり、芝居でない声を出した。
「出て来ないじゃないか、『ジュウザ』さんが……」
「全く、しょうがねえなあ」
いらいら声を発したのは、当然、月谷。彼は撮影を中断させると、闇に向かって叫んだ。
「おい、湯川! 手順ってもんが、まだ分かってねえのか、この馬鹿! 声に合わせて、姿を見せろってんだ。いいなっ?」
ところが、暗闇の向こうから、反応はない。
「おい! 聞いてるのか? まさか、眠っちまったんじゃねえよな!」
怒鳴り続ける月谷。それでも、湯川からの返事がない。
「妙だ、何か」
白けた雰囲気のスタッフらに代わる形で、木林が言った。
「月谷さん、何かあったのかもしれない」
「何かとは?」
顎をしゃくる月谷。
「それは分かりませんが、例えば……彼はサングラスをしていた。足下がおぼつかなくて、足を滑らしたとか」
「……おい、見てみろ」
誰でもいいから行けとばかりに、命じる月谷。
荷物を持っていない根室が、他の連中を見渡してから動いた。木林の言葉で慎重になっているのか、地面を踏みしめながら、懐中電灯を手に、湯川が消えていった闇へ向かう。
「どうだ?」
「……湯川の姿は見えません。確かに、この林の向こうは斜面になってます」
「呼んでみろ!」
「呼ぶって……ああ、湯川を」
早く皆の側に戻りたいのか、そわそわしている根室。
「湯川ぁー! いるんなら、返事しろって!」
斜面の先に向かって、根室は声を張り上げた。しばらく、耳をすます。
「……返事なし。だめですよ、これは」
根室はそう言いながら、引き返し始めた。
「かと言って、放っておける訳、ないでしょう」
戻って来た根室相手に、抗議するかのように、白木が言った。
「また面倒はごめんだぞ」
「月谷ディレクター! 探さないと。遠藤君、そのライト、あそこまで引っ張っていける?」
「あ? ああ、何とか」
「行って、斜面の向こうを照らしてみなさいよ」
「俺一人で?」
「スタッフ全員で行くわよ」
と、白木が言ったものの、月谷と木林は動かなかった。
遠藤が照明で照らす中、その他の全員で目を凝らし、声を出す。
「湯川ぁ!」
「湯川さーん」
だが、状況は変わらない。
「懐中電灯を持っている人、下に行ってみてよ」
「ええ?」
「だって、上から見えにくいところで、湯川君、意識を失って倒れているかもしれないのよ。そうやって探すしかないでしょうが」
「自分で行けばいいのに……」
本庄がぼそっと言うのへ、すぐさま怒鳴り返す白木。
「何ですってぇ?」
「分かりました。行けばいいんでしょう」
そうして、根室と本庄の二人は、斜面を滑り降りようと、腰をかがめた。やがて、ざざざっと音を立てながら、二つの丸い影が下に向かっていく。
「注意してよ!」
白木が主導権を発揮している間に、月谷ディレクターは、渡部に近づくと、どこか浮き浮きした口調で言った。
「べーさん、この様子、撮るんだ」
「――分かりましたよ」
「頼むぞ。いい絵になるはずだからな」
月谷はどうやら、湯川の姿が見えなくなっているこの状況をも、番組に取り込もうと考えたらしい。
「『ジュウザの呪いか、犠牲者の怨念か? 魔の力に闇へ引きずり込まれる撮影スタッフ!』――いいぞ。行ける」
「月谷さん」
にやにやしていた月谷へ、木林が声をかけた。
「は? 何ですか?」
「そろそろ、休みたいのだが……。私だけ、先に車のところまで戻るという訳にはいきませんかな」
「ああ、これは気がつかなくて、申し訳ない。ええ、いいでしょう。私も休みたかったところです。お供しますよ」
「ですが、この場は……」
捜索現場へ視線を向ける木林。
「かまうことありません。これぐらいのことなら、私がいなくても大丈夫でしょう。おーい! 俺と先生は先に車に行く! キーを持っている奴、よこせ!」
「あ、はい」
反応したのは、若い松田。
「えと……。そうだ、本庄さーん!」
「何だあ?」
かなり向こうで、本庄らしき人影が振り返った。その瞬間だけ、懐中電灯の明かりが揺らめく。
「月谷ディレクター、車の中で休むって! だから、鍵を渡してほしいんだけど……」
「じゃ、戻らなきゃなんねえのか。くそっ。勝手なことを言ってくれるぜ」
不平の声は徐々に小さくなり、代わりに本庄の姿が大きくなってきた。
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