十三の瞳 その2
「それならまず、俺達のことから話そう」
食べ物を口いっぱいに頬張った千田が、意外と明瞭に言った。
「俺は、達江さんと沼井との三人で、遊興室にいたんだよな。ビリヤードをして、暇つぶしさ」
千田は「暇つぶし」という言葉に、やけに力を込める。沼井の提案したビリヤードが、気に入らなかったとの意志表示ってとこかしらね。くだらない。
「つまらないお喋りもしていたよな、千田」
沼井がすかさず言い返す。まあ、二人の異性に争ってもらえるのって、悪い気分じゃない。ただ、こんなささいなことまで言い争いをされちゃあ、うるさいだけ。
私は他の三人に目を移した。まずは阿川に。
「シナリオライターさんはお仕事?」
「無粋でごめん。でも、どうしても片付けなくちゃいけない仕事があって……。もう終わったから」
縮こまる阿川。そこまで従順にされると、こちらも気が引けた。
「いいのよ。こっちも強引に誘ったんだしね。でも、明日からは働いちゃだめよ」
そう言ってから、今度は残る二人に視線をやる。
「お二人さんは、例によって一緒に出かけたみたいだけど?」
答えるのは吉村。
「そこらを散策してみたんだ。なかなかきれいなところで、いい写真が撮れたつもりだよ」
「景色じゃなくて、遥子を撮ったんじゃないのかしらね」
「それは……当たっているな」
しれっとして言う吉村。この男め、私の言葉を逆手にとって、坪内への意志表示に利用したな。
「きれいに撮れたのは、彼女がいたおかげ、なんてね」
「もう」
坪内は短い反応を示す。もちろん、嫌がっているのではない。
「明日はどうする?」
場の雰囲気に我慢できないという風に、千田が口を差し挟む。自分が退屈になると、話題を換えようとする。
「テニスぐらいしかないからね。とにかく、午前中はテニス」
私は独断的に言ってやった。誰も異論があるはずない。ほんとにテニスコートしか、屋外の施設はないんだから。あとは、少し足を延ばすと、温泉があるぐらい。こちらは帰りに汗をかいてしまっては、あまり意味がない。
「昼からは……」
阿川は億劫そうに言った。決して運動音痴じゃないのに、学生時代から運動をしたがらない性格だった。
「そのときになって、また決めればいい」
あっさりと、沼井。この辺は、案外と柔軟なんだ。
それから、各々の近況を報告し合う。
「シナリオって、今はどんなの書いているの?」
坪内が興味深そうに聞くと、阿川は顔をほころばせた。
「コメディドラマとバラエティを一つずつ。マンネリにならないように、気を遣って書くから、案外と時間かかっちゃって」
コメディにバラエティ? どちらも阿川に書けるもんじゃないと思うんだけど……見た目じゃ分からない。
その阿川が、お返しとばかり、坪内に聞く。
「そっちのOL生活はどうなの」
「最初は緊張感もあって面白かったんだけど、今はねえ。悪くすると、学生のときよりだらだらしてるかも。人間関係、うっとうしいし」
「大変だな」
と、沼井。
「僕も似たようなものだよ。期待してくれるのはいいが、上下関係の厳しさはやりにくい。体育会系の出じゃないんだし。……その点、まだ学生やってる吉村はどうだい?」
「まあ気楽と言えば気楽かな」
照れ笑いを浮かべながら、院生は答えた。
「行動心理学だっけか。今、どんな研究をしている?」
「遭難者の心理状態をちょっと。様々な事例を収集しているところで、休み前には、山での遭難を扱っていたんだ。当事者の顔写真とかも手に入れてさ。何を隠そう、その資料を持って来ているんだけど」
長くなりそうだったので、私はストップをかけることにした。
「友彦、期待されているって、どの程度?」
「企画を任され始めてるんだ。同期じゃ一番乗りさ」
「ふうん。スポーツ新聞記者はどうなの?」
沼井に聞いたあとは、千田に聞く。公平にしてあげることが、両天秤のこつかしら。
「別にエリートじゃないからなあ。今は、あっちこっちの方面に顔を覚えてもらって、脈を広げている最中で。それが将来、役立つはずなんだ」
コネクションが豊富なほど、情報も得やすい。それぐらいは理解できた。
「あなたは、達江? 相変わらず、家事手伝い?」
坪内が皮肉な調子で言ってきた。ひがむのならひがみなさい。
「花嫁修行中よ。幸か不幸か、働かなくてもいい家に生まれたもので」
やがて、あらかたお皿も片付いた。私は立ち上がって、叔父にデザートを頼みに行った。
夜もてんでばらばらにすごすことになった。しかも、やることは夕方と変わっていない。何のために、一緒に旅行してんだか。
「こんな夜に、あの二人は散歩か」
からかい気味に言ってから、沼井はファーストショットを。かこーんと音がして、色とりどりのボールが、あちらこちらへ転がる。
「そう、またね。シナリオライターさんは、時間があるのなら文章の推敲をしたいって言って、また部屋にこもるし」
沼井が三つ目を外したところで、私は台に近寄った。半身を預けるようにしないと狙えない位置。
「支えようか」
若干、下卑た笑いを漏らした千田。私は丁重に断って、三番ボールを狙う。見事、ポケットにインした。
「風呂、入れるのかな?」
しつこくないと記者なんて勤まらないのか、千田は懲りずに続ける。どうせろくでもない想像から、お風呂のことを思い付いたに違いない。
でもまあ、答えてやるか。
「叔父が準備してるはずよ」
「夕方、薪割りみたいな音がしていたけど」
思い出したように、沼井。
「ここって、薪で火を? 五右衛門風呂とか」
「まさか」
私は吹き出してしまった。狙いが外れたのは、そのせいよ。
「もう、外れちゃったじゃない。友彦が変なこと言うから」
「そりゃないぜ。こっちは真面目に聞いてるのに」
そうしてる合間に、千田がプレーに取りかかる。
「ちゃんとガスの火よ。プロパンだけど。薪割りは体力維持のためだって、昔、叔父から聞いたわ」
「ふうん。あれだけの料理を一人で作って、他にもペンションの仕事をこなして、なおかつ薪割りしてる暇があるのか」
「動いていないと、落ち着かない性分なのさ、きっと」
千田は分かったようなことを言う。
「あのおじさん、何歳だか知らないが、どうせ昔は会社勤めのサラリーマンだろう? 懸命に働いて、会社を辞めて、ぽっかりと心に空白が……お定まりのパターンだ」
「陳腐だな。その程度でスポーツ新聞の記者ができるんだ」
「何だと?」
キューを放り出し、色めき立つ千田。また始めるつもり? 面倒だな。
「まあ、待てよ」
相手をなだめにかかる沼井。それから彼は、私を見た。
「あの人、君が高校の頃から、すでにペンションをやってたんだよね」
「そうよ。本当はもっと前、私が小学生ぐらいのときからやってたはずじゃなかったかしら」
私の答を聞くと、沼井は大きくうなずき、再び千田へと向き直った。
「どうだ、千田? あの人の年齢がいくつだろうと、サラリーマンの心にできた空虚さとやらでは、説明できないだろうが」
「……ふん」
無言のまま、千田はキューを持ち、プレーを再開した。もちろん、次のショットは失敗した。
「さて、そろそろ」
沼井がキューの先端に滑り止めを塗ってから、一歩、台へと近付いたそのとき――。
地が鳴り始めた。あっと思う間もなく、最初の一波が走った。どん、と下から突き上げられる感触。地震だと理解したが、身体はなかなか反応しない。縦揺れは最初だけで、次にはペンション全体がゆさっゆさっと、横揺れし始める。
遊興室の天井からぶら下がる大きな傘付きの電灯が、激しく揺れる。ビリヤード台のボールも転がっている。壁に立てかけてあったキューが何本か倒れる。
……やがて揺れは収まった。
私達三人は、結局、ずっとその場にしゃがみ込んでいた。もし、もっと強烈な地震だったら、みんなやられちゃってたかもしれない。
「……凄かったなあ」
いの一番に声を発したのは千田。スポーツ新聞とは言え、記者が呆然としててどうすんのよ。全然、頼りにならないんだから。まあ、頼りにならないのは沼井も同じだけど。
「震度、どれぐらいだろ? 三か四ってとこか」
「三じゃないのは確かだな。見ろよ」
立ち上がって、服をはたきながら沼井は、壁の方を指差した。見れば、そこには大きなひびが走っている。ぞっとする。
「とにかく、テレビかラジオだな。幸い、停電もしていないようだ」
この部屋にはテレビもラジオもない。戻れば、各部屋にテレビが備え付けてある。
私達は部屋に向かった。このときは、叔父や外に出ていた二人のことなんか気にかけている余裕はあるはずもなかった。
* *
「何てことだ……」
うめくように、金野卓也。ペンションを取り仕切る彼は今、その玄関で立ち尽くしていた。地震が収まって、真っ先に駆けつけたのは、客の部屋ではなく、ここであった。
先ほどの地震はかなりのものだったらしく、玄関横の壁の一部がくずれていた。かけらが床に散らばっている。
「くそっ!」
一声、怒鳴ると、手に取ったかけらを叩きつける金野。
(この状況は誰にも見せられない。何かで覆ったとしたら、どうか……。いや、不自然だ。他にも崩れた壁はあるだろう。ここだけ覆うってのは、かえって疑われるんじゃないのか)
金野は頭を抱えた。
(しかし、隠さぬ訳にはいかぬ。見られてはいかんのだ)
彼の目に、下駄箱が映った。地震の揺れの影響だろう、下駄箱の戸が少し開き、木の棒が覗いていた。
金野の脳裏に、ある計画が浮かんだ。
(やるしかない)
意を決したように唇を結ぶと、彼はその棒を手に取った。
棒の先端には、鈍く光る大きな金属の塊が付いていた。斧であった。
(扱い慣れたこいつで、全員を)
そう思っている矢先、玄関の向こうでかすかな音がした。
(……忘れていた。外に出ているのがいたんだったな。玄関を通す訳にはいかない。あの二人から取りかかるか)
先手必勝とばかり、金野は玄関の扉のノブに手をかけた。
* *
吉村は、背中の坪内遥子に声をかけた。
「まだ痛む?」
「うん。だいぶ……」
弱々しい声が返ってきた。
それにしても凄い揺れだったなと、吉村は思った。
夏の夜の散策は、よい雰囲気であった。土地柄か、蒸し暑いようなことは全くなく、ときどきそよぐ風は気持ちがいい。
空に月はなく、星ばかりが輝いていた。わずかな外灯を頼りに、二人は歩いていた。
そんな情景を一変させた揺れは、街の夜景が見渡せる場所まで来て、吉村が用意してきたカメラを構えたときに起こった。
「カメラ、大丈夫……?」
坪内が耳元に囁きかけてきた。吉村は、わざと無愛想に答えてやる。
「分からない」
「ごめんなさい、私を助けてくれたせいで」
一段と声が小さくなる。
坪内の言葉も事実であった。ガードレールの上に、不安定な格好で腰かけていた彼女は、地震でバランスを崩し、危うく向こう側に転落しそうになったのである。
次の瞬間、吉村は、自分でも信じられない素早さで彼女の手を掴まえ、一気に引っ張り上げた。そのはずみに、二人は折り重なるようにして山道に倒れ込んだ。その折に、坪内は足首に怪我をし、吉村のカメラが異音を立てたという訳だ。
「別に気にしなくていいよ。命あっての物種って言うだろ」
「え? 命あっての物だねえ?」
坪内の口調に、吉村はおかしくなった。訂正しないでおこう。「命あっての物だねえ」でもあながち、間違いとは言い切れまいと思えたから。
「あ、やっと見えたぞ」
すこし息を荒くしていた吉村は、前方にペンションの光を見つけ、安堵した。元々、体力があるとは言えない上に、坪内の体重は同年代の女性の平均的それを、少しばかり上回っているらしかった。
「もう少しね。みんなは無事だったのかしら」
「さあね。とりあえず、電気が消えてないのはありがたい」
力を振り絞って、吉村は坂道を上っていく。この辺の道には、外灯がないので、慎重に歩を進めないといけない。左右に背の低い木が植えられており、そのぼんやりとした輪郭が目印になる。
「見て、あそこの木、半分に割れてる」
坪内の言った方向がどこなのか、吉村は分からなかった。でも、
「ああ、そうだね」
と、相づちを打っておく。
ペンションまで、二十メートルも残していないところで、吉村にばてが来てしまった。
「だ、だめ。ちょっと休憩」
「えー? あと少しなのに」
さっきまでのしおらしさはどこへ行ったのか、坪内は不満を漏らした。
「一人で歩けるなら、行ってくれ」
「そんな」
「だろ? だったら、少しだけ待ってくれよ。回復したら、また担いであげるから」
吉村は腰をさすった。そうしながら、カメラも気になる。フラッシュが無事なのは分かったが、あとはどうなっているのやら……。
「よし、行こうか」
吉村が背を向けると、
「ありがと」
とだけ言って、坪内は負ぶさってきた。
吉村は第一歩をふらついたものの、ゆっくりと最後の十数メートルを進み始めた。
(ん?)
前方を、何かが横切ったような気がした。俯き加減に歩く吉村には、それが何だか確かめられない。
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