十三の夏 その2

「宮田さん、喜んでお貸しします。楽しくやりましょう」

「では、よろしいんですか?」

 喜色満面とはこの表情のことか、宮田は顔を上げながら叫ぶように言った。その背後にいる六人もさっきまでの暗く沈んだ不安げな顔色は消え、ほっとした表情になっている。

 相手の喜ぶ顔を見て、鮫島も嬉しくなった。

「もちろんですとも。困ったときはお互い様です」

 そんな型通りの台詞を口にした鮫島だった。


「お世話になります」

 宮田が始めた。一人ずつ、挨拶をしようということになったのだ。すでに鮫島らは自己紹介を終えている。

「宮田優一、空手教室をやっています。年齢が上ということで、みんなのリーダー格にされていますが、要は雑用係でして」

「空手教室というと、道場を持ってらっしゃる?」

 鮫島は、宮田の体格に納得しながら、そう尋ねた。

「ええ。あまりメジャーな流派じゃありませんが」

 照れ笑いのようなものを浮かべる宮田。

 ついで、先ほど宮田のすぐ近くにいたひょろっとした錦野青年が、改めて名乗る。

「錦野博樹です、**大学の経済学部三回生です。そこの空手部に入っていて、宮田さんは先輩なんです」

「じゃあ、将来は同じように?」

 人懐っこく、大沢倫が言葉を差し挟む。錦野博樹はやや戸惑ったような表情を見せたものの、すぐに笑いながら答えた。

「いや、そんな気は毛頭ありません。経済の道に進みたいと」

 宮田が渋い顔を作っていた。

 次に自己紹介を始めたのは、錦野博樹とそっくりの顔の持ち主。体格はこちらの方ががっしりしているか。

「博樹の双子の弟で、錦野安彦やすひこと言います」

 似ている、そんな声が鮫島のグループから上がる。

「兄とは違って、もう勤め人で、某商社のヒラをやってます。あ、空手の方はほんの小さい頃にやったきりで、未経験者同然ですんで猛獣が出ても助けを求めないで、兄の方に言ってください」

 面白おかしい口調で自己紹介を終えた安彦。兄弟仲は悪くはなさそうである。

寺坂友恵てらさかともえ、安彦君と同じ会社でOLやってます」

 次の小柄な女性はそう言うと、ぴょこんと頭を下げた。年齢は錦野安彦より上のようだ。きれいな造作だが、どことなくアンバランスなところがあり、それがまた魅力になっている感じがする。

 女性が続くのかと思いきや、次は四人目の男が立ち上がった。

「コンピュータ関係の仕事やってます、栗山くりやまって言います」

 薄い眼鏡をかけ、いかにも高そうな時計をしている。何本か前髪を垂らしているのはわざとなのだろう。まあ、ハンサムと言える。

「栗山君、フルネームで頼むよ」

 宮田が言った。少し面倒そうな目つきをしてから、栗山は口をゆっくりと開く。

「栗山陽介ようすけ、です」

「コンピュータ関係の仕事って、ひょっとしてプログラマーですか?」

 ルミは興味津々といった態度。ご多分に漏れず、ファミコンなんかのテレビゲームが大好きな彼女だ。

「当たり」

 面白くもないといった調子で、栗山。対照的にルミは、手を叩いて喜びを表現する。

「やっぱり! 見た目で、そうじゃないかなあって思ってたんです。栗山さんのイメージ、いかにもその手の顔だから」

「実際のプログラマーってのは、もっとむさいのが多いさ」

 そう言うと、栗山はもう疲れたとでも言いたげに、腰を下ろした。

「あ、どういうご関係ですか、宮田さん達とは」

 慌てた様子で聞いたのはアキ。栗山はこれに答えず、代わって寺坂。

「私が関係しているの。栗山さんとは深ーいお友達」

 うふふと何やら仄めかす雰囲気で笑う寺坂。子供らは首を傾げるほかない。

「最後に、このお二人さんは」

 と、宮田が残る女性二人を示した。

「登山道の入り口のところで知り合っただけなんです。で、意気投合したというか、そのまま一緒に泊まろうかということになって」

藤本利香ふじもとりか、++大学二回生、ワンダーフォーゲル部です」

「同じく二回生、ワンゲルの安川佐知代やすかわさちよです」

 相次いで二人が言った。

 藤本は背が高く、ショートカット。日焼けしているが、肌はきれいに見える。声量も大きいようで、ボーイッシュなところがあった。すらりとした足に青のジーンズがよくマッチしている。

 安川の方は背格好も外見も平均・平凡というのが第一印象。ただ、左からの横顔が、ぐっと魅力的に思えた。化粧のおかげかもしれないが、そこだけは大人の色香がたっぷりと漂っている。

「いきなり、一緒に泊まることに?」

 信じられないといった声を上げたのは、鮫島夫人。

「元々、私達、寝泊まりするつもりだったんです」

 何ともないように、藤本が答える。

「寝袋を持って来ましたけど、それより小屋で寝られる方がいいかなと思って」

 慌ただしく挨拶は終わった。慌ただしいのも道理、これからすぐに夕飯の仕度にかからなければならない。


 幸い、天気は崩れることはなかった。雲が少し浮いているのと、自然のまっただ中にある山という訳でもないのとで、満点の星空とはいかなかったが、それでも街にいるときよりはずっと星の数が多い。その星空の下、お定まりのキャンプファイヤーと相成った。

 場は、それまで縁のなかった二組(正確には三組)が一緒になったにしては、盛り上がったと言えよう。鮫島夫人はまだ取っつきにくそうにしているが、他は会話もかなり弾む。

「へえ、部長さん。そうなんですか、銀行の」

 鮫島の話を聞いていた宮田は、赤ら顔で何度かうなずく。

「お堅い商売だから、性格の方もそうだと思われがちなんですか、やっぱり?」

「ええ、まあ」

 曖昧に笑う鮫島。こちらの方も顔が赤くなっている。それは無論、キャンプファイヤーの炎のせいばかりでなく、アルコールが入ったためだ。

「実際、時間の自由がきかんのです。こうして休みが人並みに八月にとれただけでも儲けものでした。こうして家族サービスの真似事ができる……」

 鮫島の視線は、少し離れたところにいる妻や娘らに向いた。

「ここでこんな話もなんですが、私、バツイチってやつでして」

「ほう、再婚でしたか」

 紙コップにビールを移しながら宮田。軽く酔いが回って、上機嫌の様子がありありと窺える。

「いえ、離婚したんじゃあないんです。前の妻とは死別しまして」

「ははあ……」

 笑みを保っていた宮田だったが、これにはさすがに何と反応していいやら困った様子だ。

「私、落ち込みましてねえ……。小さな娘と二人で、どうしようかと思いました。で、そのとき現れて、力になってくれたのが今の妻って訳です」

 ということは、あのアキちゃんって子は連れ子なんだなと理解する宮田。

「だから、せめて年に一度はこうして楽しませてやりたいんです。……あ、申し訳ない。何だかつまらん話をしてしまって」

「いえいえ。初めて会った私に、そういう話をしてもらえて、こちらとしても気分がいいもんです」

「どうも」

 鮫島は軽くうなずき、再度、妻や娘の方へ目をやった。

 その鮫島の妻は、娘のことが心配だというように、アキの側につきっきりであった。アキはルミや倫、そして寺坂と共に、栗山の話に聞き入っている。

 栗山陽介は、自己紹介のときこそ不愛想にしていたが、酒が入ると陽気になるたちらしい。自分の仕事ぶりを面白おかしく話して聞かせていた。

「それでさ、また新しいアイディアをひねり出さなきゃならないんだけど、簡単には出てこない。人から聞いたアイディア捻出法を試してみることにした。広辞苑でも何でもいいから分厚い辞書を用意して、でたらめに二箇所、単語を選ぶ。それを無理矢理結びつけることで、新たな発想が生まれるというんだ。サイコロを振ってやってみたら、ザウァークラウトとちょろけんときた、何のことだか分かる?」

 みんな首を横に振る。

「素直な反応でよろしい。ザウァークラウトは確か、キャベツの塩漬けを発酵させたドイツの漬け物。ちょろけんは説明が難しいんだけど、ちんどん屋みたいなもので、大きな篭状の物に顔を書き、それを人が被って往来を歩いたらしい。『ちょろが参じました』と叫びながらね」

「それで、どんなアイディアになったんです?」

 興味深そうに倫。炎の熱を避けるために、両手を頬にあてている。

「とても無理! 漬け物とちんどん屋じゃね。でも、そこから出発して、ちんどん屋を主人公に世界各国を回るゲームを考えて、会社の方に提出した」

「結果は?」

「結果? 当然、あっさりと却下されたよ。これはまあ、僕が作った中で最低の部類に入るんだけどね。とにかくまあ、こんな風に苦労してるんだよ。君らみたいな世代はどんなゲームを望んでるのか、教えてくれたらありがたいねえ」

 いささか空虚な笑い方をする栗山。話の内容は興味深くても、その酔い方についていけなくなる頃合のようだ。

 結局、鮫島夫人が子供はそろそろ寝ましょうと言い出したことで、ルミ、アキ、倫の三人は小屋に戻ることになった。当然のごとく、鮫島夫人も一緒。

「火の始末には注意してね」

「ああ、山火事になってはたまらん」

 戻りかけの夫人の言葉に、鮫島はさしたる考えもなしにそう答えた。が、夫人はいい顔をしなかった。

「冗談じゃありませんからね。酔っていても、本当にきちんと火を消してください。あの、宮田さんにもお願いしておきますわ」

 やや口調を変えて宮田にも忠告してから、鮫島夫人は子供達に続いて小屋に入っていった。

「いやあ、しっかりした奥さんですね」

「とんでもない、口うるさいばかりで」

 宮田と鮫島の話は、まだ終わりを迎えそうもなかった。

 子供のお守りを終えた栗山と寺坂は、その表情を一変させていた。どうやら、栗山は酔いが回ってきたふりをしていただけらしい。

 二人は身体を寄せ合うように立ち上がると、鮫島らからさらに離れていった。

「もう。ずっと、中坊や高校生の相手してるのかと思った」

「馬鹿だな、そんなもったいないことできるか」

 そんな会話を交わしながら。


 錦野兄弟と飛び入り組の女子学生コンビ・藤本利香と安川佐知代は、まるでダブルデートのような格好になっていた。

 すっかり日も落ちて、空はロマンチックな語らいをするにはもってこいの絵を描いている。

 藤本と安川はそもそも、錦野兄弟に関心を持って、彼らのグループに合流したようなところがあった。だから、こういう展開になっても、何も怖じ気付いてはいない。

「何度も言うけど、本当にきれいな星空だよなあ」

 いささか空々しいのは、双子の弟である安彦の方。話題が少ない訳ではないのだが、四人でいることに息苦しさを感じているといったところか。

 兄の博樹も、どうでもいいような景色を眺めている。

 そんな雰囲気を察した二人の女性は、お互いに目配せをした。場所はちょうど道の分岐点に来ている。そして藤本。

「ねえ、そろそろ二人ずつに分かれましょうよ」

「え?」

 同時に同じ声を上げたのは、双子である所以か。錦野兄弟もまた、顔を見合わせる。

「そうよ、いつまでもこうしていたって不毛だよ」

 安川も調子よく言う。

「そういうことなら」

 博樹が、やや声をうわずらせながら言った。

「問題はどういうペアになるかってことだ」

 さすがに社会人と言っていいものか、安彦は具体的なことを口にする。

「私達の方は、こう言ったら身も蓋もないかもしれないけど、お二人のどちらでもいいの」

 藤本のあっけらかんとした言葉に、双子の男は何とも言えぬ表情になる。

「だって、顔が同じ上に、まだ知り合ったばかりで、あなた達がどう違うのか分からないしさ。だから、とりあえず、両方ともつき合ってみたいなって。そういう感じ」

「なるほど、そういう感じ、ね」

 藤本の言葉を理解して、男共はにやりとした。

「くじ引きでもいいんだが……。やっぱり、第一印象を大切にしよう。安彦は藤本さんと安川さん、どちらが好みだ?」

 博樹の問いに、安彦は少し迷った素振りを見せてから、

「安川さんの方かな」

 と答えた。

 安川は素直に喜びを表し、藤本はちょっとむくれてやる。

「まさか、私を一人にするんじゃないでしょうね」

「いや、ちょうどよかった。俺は藤本さんが好みなんだ」

 安彦は、どうも調子のいいことを言う。藤本は疑って問い詰める。

「本当に?」

「もちろん、嘘じゃないさ。俺、空手をやってるからかな、かわいいかわいいってだけの女性よりも、大柄なのに引かれる訳」

「あら、それはよかったですこと」

 茶化したような安川。とにかく、ペアは決定した。

「じゃ、まあ、右と左に分かれるか」

 と、安彦の組が右に行った。自然、博樹と藤本は左を選ぶこととなる。

 この選択は、少しばかり彼らの運命を変えた。ほんのわずかな違いではあったが。


 小屋に入ったと言っても、すぐに眠るはずもない。アキらは鮫島夫人の注意も半ば無視して、カードゲームのUNOをしながらお喋りに花を咲かせている。

「そうだよ、だいたいさ――」

 アキはルミの話に相づちを打とうとして、言葉を途切れさせた。

「どうしたの、惚けちゃって?」

 ルミと倫がおかしそうに、それでいて気になったように言った。

 アキは正面にある窓を指差した。

「窓の外、誰かいたみたい」

「え?」

 振り返るルミ。窓の外は、ただ暗いだけだ。

「何にもないじゃない」

「さっき、影みたいなのが通ったのよ。一瞬だったけど」

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