終章 風紋の果てに
1
姫旋が下した占の結果(というよりは姫網で決まっていた面が大きいが)は、国外追放であった。これに伴い、昭は融を剥奪されることとなる。
蓮と昭は、その翌日、それぞれ荷を纏め、姫瑳に連れられ、姫氏領を取り囲む壁にある、国内と国外を隔てる扉―東姫門へと向かった。彼等の門出に、嬴冄や娰勧は勿論、嬀健や嬀恩、そして娰瑜も立ち会うこととなる。
昭は、見知った人々が門の前に立ち並ぶ様子を見て、涙がこぼれそうになった。
彼らには、恐らく二度と会うことは敵わないだろう。しかし、彼らと過ごした輝かしい日々は、一生忘れることが出来ない。
昭の姿を見るなり、嬴冄は駆け寄って来た。
「昭!」
「良かった。無事に冠礼を乗り越えられたんだな」
後をついて、ゆっくりと娰勧も歩いてきた。彼等の腕には、成人になったことを示す「正丁」の刺青が彫られている。
「ああ、今日から正丁だ」
すると、娰勧も嬴冄の隣に並ぶ。
「全く、君には色々冷や冷やさせられたよ」
昭は、片眉を上げて娰勧を見る。
「お前にも散々冷や冷やさせられたけどな、別の意味で」
「何のこと?」
嬴冄が不思議そうな顔で、こちらを見る。
「ま。面白かったよ」
娰勧がいたずらっぽく笑みを浮かべた。あの夜の事は、二人だけにしか分からないし、これから先も、嬴冄が分かる事はないだろう。
嬴冄が言った。
「一生忘れねえ。この国に嬀昭という男がいたことを」
「ありがてえけどな。生憎、俺はそんな大した男ではない。正丁にもなれず、追放されるんだからな」
嬴冄という存在が居なくなるのは、実に心細い、と昭は感じていた。一緒に追放されるのがこの友であったなら、どんなに救われるだろう。しかし、彼に自身の出自を話しても、それでもなお受け入れてくれるのかどうかは、分からなかった。
「まあ、お前ならば何とかやっていけるだろう。俺は信じてる」
「―ありがとう」
嬴冄は、別れ際に、笹の葉でくるまれた兵糧丸を手渡した。
続いて、嬀健と嬀恩、嬀加も、昭の近くへとやって来た。
「びっくりしたろ。お前のおやっさんとおっかさんの話を聞いて! 俺もびっくらこいた」
嬀恩はがははと笑った。育ての親でありながら、相変わらず遠慮がないな、と昭は思う。しかし、昭自身も人の事は言えなかった。
それに、嬀恩が羌を憎んでいたり、偏見を持つ人間であったのならば、現在昭の命は無い。昭は、嬀恩が自身を責任を持って育ててくれたことに、感謝するようになった。
「ありがとうな、恩」
「礼には及ばんよ。俺も、お前には感謝してもしきれんからな」
嬀健は、滂沱の如く涙を流していた。
「―いかんな。どうも歳を取ると、涙脆くなる」
「健爺も、嬀加も、ありがとう。あんたらが居てくれなければ、俺の命は無かった」
すると、嬀健はより一層涙を流した。そんな嬀健の筋張った背中を、嬀健は勢い良く叩く。
「泣くな爺さん! 俺まで泣きそうになるだろうが」
周囲は笑いに包まれていたが、嬀加の目にも、涙が滲んでいた。
二人がそれぞれの大切な者に別れを告げ、戸の前に並んだのち、姫瑳は言った。惚れ惚れとするような美しい横顔が、朝日に照らされている。
「では、東姫門を開扉する」
すると、十年以上開かれることのなかった門が、重々しい音を立てて、上へと開いた。
その先には、鬱蒼とした森林があった。未だ、姫周の民の中では、姫旋しか踏み出したことのない地。昭と蓮は、これからこの先へと歩みを進めるのだ。
蓮の心の中は恐怖もあったが、同時に希望にも満ち溢れていた。
―これから、私達はどこにでも行ける。
何かの終わりは、同時に何かの始まりを意味する。これは、希望に満ちた旅の始まりだった。
姫蓮という名は、姫周の戸口から、消え去ることだろう。これから、他国で自身の居場所を見つけなければならないといった使命感が、彼女の胸には溢れていた。
昭は、自身の周囲の者が亡くなっていった、という現状を、受け入れることが出来ずにいた。姫旋の言葉により、自己同一性まで揺らいだ彼を支えていたのは、燦の思いだった。
―あいつの為にも、世界を見て回らねえとな。
姫周には、様々な陰謀や噓が渦巻いていた、という事も、昭は知ってしまった。
融軍も決して良いとは言えない環境であったが、姫氏領の王宮は更に醜い場所である、という事も。姚向と燦が、何故相討ちになってしまったのかも、今となっては、彼等の胸中を紐解かなくては分からない。
しかし、昭は信じたかった。この果てしなく広がる世界のどこかに、きっと桃源郷が存在するだろう、と。
昭と蓮がそんなことを考えていた時、姫瑳が声を発した。
「これより、出国すること」
二人は促される通りに、前へと進んだ。二人が完全に門を出、先に進んだのを確認すると、姫瑳は門を閉めた。
その後姫周の人間で、昭と蓮を目にしたものは、誰も居ない。
2
蓮は、生まれて初めて目にする国外の様子に、目を輝かせていた。彼女は男性用の衣を着、背嚢を背負い、長い髪を上の方で縛っている。
「すごいわね。外はこんなに緑が広がっていたなんて、知らなかったわ」
そんな蓮とは対照的に、昭の心は沈んでいた。
「―蓮様、これから、どうしたらいいと思いますか?」
そう蓮に声を掛けると、蓮は顔を顰める。
「様、は付けなくていいわ。これから私はただの蓮だから。言葉も対等にして頂戴」
昭は言葉を改めた。何と無く、胸がこそばゆくなる感じがする。
「じゃあ、蓮、これからどっか行くか?」
蓮は高らかに笑った。
「何か、可笑しいわね。まあ、そっちの方が、貴方らしくて、良いけど」
「うるせえな。こちとら、慣れねえ言葉遣いするのに、ずっと必死だったんだぞ!」
昭が必死に怒ったが、蓮が動じる様子はない。
「じゃあ、私は西に行きたい。奵瑛様から聴いたんだけど、姫周からずっと東に行くと、海があるんだってさ。そこから又、東に船を進めると、奴弥国っていう国が有るらしいの」
「そこは桃源郷なのか?」
「桃源郷かどうかは、分からない。でも、姫周より文明が発達して、栄えていることは明らからしいわ。行ってみたくない?」
昭は、右も左もないこの地で、どうすれば良いのか、見当もつかなかった。ここは羌や蚩属が跋扈する魔境の地であり、命を奪われないという保証は無かったからだ。しかし、この蓮とならば、やっていけるという気がした。
「―正直、行きてえな」
「じゃあ、目指しましょう。桃源郷を探しに」
蓮と昭、二人の少年少女は、東にある太陽に向かって、歩き出した。自由を手に、風紋の先にある、新しい世界を目指して。
風紋の果てに 奇咲みや子 @Xiaolin_red
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