第8話



 終業式、当日。


 クラス最後のホームルーム、俺にとって最後のホームルームを終える。


 一人残った職員室で、自分の荷物を段ボールに詰め、用務員さんに挨拶をして帰る。


 自分の身勝手で辞めるんだ。当然、送別会なんてものはない。花音の送別会も企画されていないんじゃないかな? 少なくとも呼ばれてはいない。今日がそうだったら、どうしよう? 花音はそっちに行くのかな?

 

 自宅に戻ってシャワーを浴びて、デート用の服装に着替える。少し早いが家を出た。着ているのは、花音に貰ったウールのコートだ。

 

 時間に余裕があったから、大宮駅地下一番街に寄った。これなんか渡したら喜ぶかな? と、買おうとして手に取ったときに思い出す。そうだ、今日で最後なんだった。貰っても迷惑だね。でも、また会えることを嬉しいと思っているのが、俺だけじゃなかったらいいな。

 

 六時。店に着く。天井の高い、モダンなフレンチレストラン。花音との最初のデートで来た店だ。天井でプロペラが回っている。あの日は、クリスマスの特別メニューを頼んだから、同じものは今日はない。

 

 席についてスマホを見る。あれから着信はない。電源を落とした。

 

 待った。窓の外を見たって、なにも見えないのは分かっていても、つい目をやってしまう。扉が開けば、音が鳴るのは分かっているから、鳴ってもいない音が聴こえて振り向いてしまう。

 

 待った。もう七時を過ぎているのかもしれない。でも待った。

 

 来た。花音も着替えている。髪はアイロンをあてられ跳ねている。白いコートは店の明りを受けて輝いていた。足取りは重たいみたい。笑った顔がぎこちない。俺もかな? ぎこちなくても笑えているなら、それでもいい。

 

 コートの中に着ていたのは、俺があげたワンピースじゃなかった。それも仕方ない。あれは春夏用だったもんな。

 

 コース料理を注文して、オードブルに合う白ワインを頼んだ。俺があの学校に赴任したばかりの頃の話をする。

 

 次いでスープ、そしてリゾットが出された。フレンチでリゾットは珍しいんだね。俺は知らなかった。次はお魚料理と聞いて、白ワインをお替りする。


 付き合いたての頃の話をした。告白されたのはやっぱり驚いたと話した。俺が花音のことを好きなのは、とっくに気づかれていたらしい。二人で行った水族館、二人で見た映画、どのデートも楽しかったよ。初めて食べた花音の手料理もおいしかった。

 

 お肉料理が出される。赤ワインに変えた。富士五都に行った話が出たので、スマホに残っている霧海をバッグに撮った、ツーショットを見せる。なんとなくだけど、たぶん花音のスマホにはこの写真はもう残っていないんだろうな。


 デザートが出される。最後の料理だ。暖かい紅茶のいい香りでも、手の震えが治まらない。花音の前で緊張するなんていつ以来だろう。


 お会計は花音が持つと言った。去年のクリスマスデートの約束を守るって。でも、店を決めて予約したのは俺だけどね。


「ごちそうさまです」と店員さんに伝えて、店を出る。いつも以上に霧が濃い気がした。


「ここから駅までの道わかる?」

「うん」


 残酷なことを聞いた。花音にも意味が分かったんだろう。答える声に元気がない。


「じゃあ、ここでお別れだ。見送るよ。先帰って」

「わかった。カズ、じゃあね」

「うん」


 花音の背中が霧に包まれ薄くなっていき、すぐに見えなくなった。


「さようなら」


 めいっぱいの大声で霧の中に叫ぶ。届いたかな? 返答は聞こえなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る