第5話


 ピピピピピピピピ  ピピピピピピピピ  六時です  ピピピピピピピ  ピピピピ


「おはよう松下さん。アラーム止めて」


 ピピ


 カーテンを開けると、朝を迎えて明るくなった霧の街の光が、部屋をしっかり満たす。本田は掃き出し窓を開けようとするが、錆びてもいないのに、砂を噛んでいるかのようにガタついて開いた。この部屋は霧前に建てられたもので、リフォームもされていないから窓は羽目殺しではなく、ベランダも付いている。

 欄干に角灰皿を置いて、何も見えない景色を眺めながら、本田は優雅に一服を楽しんだ。本当はそれほど悠長にしていられるほど時間はないのだが、こうでもして落ち着かなければ、学校に行く気力も出ないので仕方なかった。

「ねえ、松下さん。今日の天気は?」


 NHAラジオ放送 によれば、今日の天気は 曇り のち 雨 です。午後の降水確率 は 七十パーセント です。


 『ハウスマート 松下』は家庭用設置型のオフラインAIスピーカーで、設定によってはラジオで語られた音声データを文字起こしして、スマホに転送させることもできる。月に一度メンテナンスとして、内蔵されているICチップを駅などに持って行ってWi-Fi接続させるだけでいいので、便利な代物として重宝する家庭も多いらしい。就職が決まったとき、自分へのご褒美として買ったものだった。

 本田はいつも以上にしっかりと朝食をとり、しばらくぶりにひげをそって身支度を整えた。すべての準備を手早く終えて、時間通りに家を出た。忘れずにビニール傘も持っている。久しぶりに履いた靴は窮屈で、ソールが薄くなったのかと思うほど、地面の堅さがじかに伝わってくる。その違和感は電車に乗っている間も薄れなかった。大宮駅で乗り換える際、周りを見渡したが他の先生も、生徒もいなかった。

 一人歩く通学路、霧も今日は一段と深いのか、いつも以上に足取りが不安定に感じる。下ばかり見て歩くと、頭の重さで一回転してしまえそうだ。本田は車道に出てみた。車は通らないため、どこを歩いてもいいのだが、これまでは何を意識することも無く歩道を歩いていた。車道を歩いてみても気分は晴れなく、本田のささやかな当ては外れた。いっそのこと、霧に足をとられて迷ってしまえれば、学校に行かなくてもよさそうだが、二年通っている道を、今更迷うことはできない。


 チャイムの鳴る一分前に職員室を出て、ほぼチャイムと同時に教室に入る。

「日直」

「起立、気を付け、礼」

「おはようございます」

「おはようございます。みなさん、あけましておめでとう」

 いつも通りの学校、いつも通りの生徒、いつも通りの自分、いつも通りの一日。

 本田は、いつもと変わらない「いつも通り」を見て、生徒の中には、表に出さない悩みを持っている子もいるんじゃないのか、と考える視点を初めて持った。

 自分はこんなにも平然と「いつも通り」を演じ続けられている。職員室に入るまでは、佐藤や花音の顔を見て動揺してしまうんじゃないのか、態度に出てしまわないか、と自分から表出されるものに自信が持てず、試験に臨む前の様な心持でいた。

 が、そんな本田の不安は杞憂だった。自分がこんなに嘘が上手いなんて、知らなかった。今後は特技と言っていいのかもしれない。思わぬ平静さに、こんなことを考える余裕さえ生まれている。

 嘘が上手いのは本田だけではなかった。

 本田が職員室に入ると、他の先生方と何か話をしていた花音がしれっと、その場の誰にも怪しまれることなく、本田の入って来たドアとは別のドアから出て行った。職員室内の噂によると、花音は佐藤とは何もないと言っているらしく、佐藤は佐藤で、忘年会の場でふざけてあんなことを言った、と言っているらしかった。本田は、他人から聞かされたその噂を、信じることはしなかった。

 朝のホームルーム、始業式、帰りのホームルームとあっけなく一日目が終わり、この日、花音と言葉を交わすことは無かった。避け合っているのではなく、担当している学年が違うことから普段も職員室で会話をすることは無かった。だから話さないのもまた、いつも通りだった。

 受け持っている顧問としての活動が終わると、溜まっている仕事もないため、さっさと帰ることにした。足の早い冬の日もまだ残っているらしく、外は薄明るい。

 大宮駅東口に残る地上の繁華街、南銀通り、そこの何度か足を運んだことのある串焼き屋に入った。最後に来たのは、花音と付き合う前だったから、二年前の冬か秋だったか、少なくとも一年以上は前になる。

 本田は学生のころから一人で飲むのには慣れており、むしろ一人で飲む方が気楽で好きだった。でも、もう、あの頃どうやって時間を潰して飲んでいたのか分からなかった。一口飲むとすぐに口がさみしくなり、また飲む。一本一本焼いて出される串では間に合わず、大鍋からよそえばすぐに出せるもつ煮も頼んだが、どんぶりが空になると、またさみしくなった。

 ジョッキを二杯空けるとそれ以上は居られなくなり、会計を済まして暖簾をくぐる。歩き出すと酔いが回って来たが、気分は盛り上がるどころか却って塞ぎ込んでくる。久しぶりにつまらない酔い方をした。学生のころは、こんな酔い方をすると、決まってお金を無駄にしたと、後悔の思いがさらにのしかかってきたが、今はお金には余裕がある分、その手の後悔はない。似た感覚なのに原因は異なっている。こころの異変を正しく言語化できず、自分を正しく理解できない、という思いがさらにのしかかった。

 ――fenêtreバーで飲み直そうかな。

 あそこに行けば高いお金と引き換えに、必ずいい気分になって帰れる。近くの地下入り口から下って、六番街を素通りして一番街に入った。ブランドが並ぶ明るい一番街を酔った様子で歩いては目立つと思い、精一杯背筋を伸ばしてエレベーターに乗った。吹き抜けを落ちていくエレベーターはガラス張りになっており、店先に並ぶモデルの写真が、視界の中を下から上へと流れていく様はカメラロールのようだった。


 チン


 地下十三階七番街、このエレベーターは七番街の第一層までしか届いていない。フロアの様子は、上とは様変わりして居酒屋チェーン店が並び、通路の幅も天井も狭苦しい。fenêtreはこの下の階だ。

 隣の階段から降りようと三段進んだところで本田は足を止めた。乗って来たエレベーターに戻って、駅の改札階を押す。再びガラス越しに現れた華やかな一番街は、今の本田の目にはどんなようにも写らず、情報の持たない霧と同じだった。

 作り物の「いつも通り」を纏って最寄り駅まで戻って来た。予報は外れたのか雨は降っておらず、霧は溜め込まれたままだ。本田が改札を出ていつも通りの道を帰ろうとした時、まっすぐに背中を打つ声に呼び止められた。

「こんばんは。あ、傘。使ってくれているんですね」

「え?」

 本田はあの晩傘を渡してくれた女性の顔を覚えていなかったが、他に傘を貰った記憶も無かったので、あの時の人だと合点がいった。

「ああ、はい。あの時はありがとうございました」

「あのあと、大丈夫でした? 風邪、引きませんでした?」

「ええ、まあ大丈夫です。すこし引きましたけど」

「ああ、そうでしたか。すいません、私がもうすこし早く気づいていれば。一応、一度声は掛けたんですよ。でも、気づかれなくって」

「いえいえ、そんな、あな。えっと、すみません、お名前伺ってもいいですか?」

 本田は、あなたのせいではないです、と言いかけたが、あなたと人を呼びつけることを躊躇い、口ごもってしまった。

れいです。近藤玲、と言います」

「近藤さんですか。ほんと、近藤さんのせいではないので、お気になさらないでください」

「そう、ですよね。それに、傘もあげましたし」

 近藤は本田の持つ傘を指さして、いたずらっぽく笑いかけてきた。こういうところも、テンポ早く次々と口が回るところも花音とどこか似ている気がする。似ている分、本田は緊張した。

「ほんと、ありがとうございました。あのお代は?」

「いやだなあ。そんなつもりで言ってませんよ。あの、お名前は?」

「あ、すいません。本田和明と言います」

「本田さんですね。本田さん、もしかして酔ってます?」

「ええ、はい。すいません」

「いいですねー。まだ」

 と言って近藤は左腕にはめた時計を覗き込むと、そのまま腕をひねって文字盤を本田に見せた。

「七時前ですよ?」

 本田はこの女性に、どん底にみすぼらしい面を見られている。その上、こんな言い方で早い時間から酔っていることを指摘されると弱ってしまい、この場から逃げ出したくなった。先生に恥ずかしいことをしているところを見られて、説教を受けている気分に近かった。

「ちょっと飲みに付き合って下さいよ。近くにいい店知ってるんで」

「え、いやあ。今日はちょっと」

「傘のお礼だと思って。ほら」

 二年近く毎日のように通っていた道も、一本通りを隔てれば何も知らない道だった。前を進む近藤の背と、ぼんやりと照らす街灯だけを頼りについて行く。スマホにダウンロードしてある地図では、このあたりに呑み屋があるとは載っていなかった気がしたが、最近できた店なのだろうか。

「ここです」

 本田が案内されたのは、住宅街の中に佇む、一軒の呑み屋だった。地上に店を出すほとんどの店がでかでかとした電飾看板を掲げる中、この店は赤提灯を灯す古いスタンスを守っている。ひさしはところどころ薄汚れて、小さく破れているところさえあったが、年季が入っているように見える暖簾は清潔そうだ。新しい店ではないようだ。

「くじら屋」

 本田は看板に書かれた文字を覚えておこうと思って音読した。

「あ、知ってます?」

「いいや、知らないです」

 店内は狭く、厨房から上がる湯気で湿気ていて、いい匂いが充満している。L字のカウンターが九席、壁際に並ぶ向かい合わせの二人席が三つあり、彼女は常連の様子で壁際の席へ、案内されることも無く勝手に座った。カウンターには三組の客がいて、大将となにやら楽しそうにおしゃべりしている。

「ここ煮込みが美味しいんです。ビールでいいですか?」

「ええ、はい」

 本田は先ほどもつ煮を食べたばかりであったが、それを口に出すことも無く従った。

「かんぱーい。くー、今年初酒。おいしいい」

 確かにおいしかった。さき程の居酒屋のもつ煮よりも、こちらの牛すじ煮込みの方が、ずっとおいしい。

「おいしい」と思わず声に出た。

 どんぶりに並々と盛られた煮込みを、二人しててきぱきと突く。餅つきをしているみたいに、あちらが食べればこちらが食べる、こちらが食べればあちらも食べる、といった感じだった。

「これは味噌味?」

「そうです。西の方じゃ土手煮っていうんですよ。私名古屋出身なんで懐かしくって」

「そうなんですか」

「本田さんはどちらの出身なんですか?」

 本田は頬張った厚切りの大根を急ぎ気味に咀嚼してから応じる。

「福島です」

「ふーん。福島。と言えば会津若松ですね」

「ですね。あと磐梯山とか」

「白虎隊の?」

「いえ、白虎隊は磐梯山ではなく飯盛山です」

「へー、違うんですか。お詳しいですね」

「小学校で習わされるので」

「なるほど、それはそれは。いい学校ですね」

「はあ」

 いい学校と呼ばれるのは不思議だった。福島では普通のことだと思っていたが、他の地域では郷土史を教わらないのだろうか。

「愛知の方こそ郷土の歴史を教わりそうですけど、そうじゃないんですか?」

「教わりますけど。愛知の場合は郷土史というより日本史になるので。ちょっと意味合いは違うかもしれませんね」

 土手煮、アジフライ、カレイの煮つけと味玉、それら茶色い食べ物ばかりをビールの当てにして、一時間ほど飲むとすっかり腹は膨れ、合わせて気も大きくなっていった。本田は近藤が聞いてくることに、なぜ聞くのかと、相手の思惑を考えることなく、すらすらと答えていく。

 これは、本田が近藤に対してこころを開いているから、という訳では決してなく、むしろその逆で、近藤に対して一切の情も関心ないからだった。目の前に座って、次々に質問をしたり、自分の話をしたりする女性を、本田はまるで話す絵かのように、自分とはどこか関係のない、遠いもののように考えているから、相手の内側にまで興味を持っていなかった。適度に離れた距離のある他人が、今の本田には一番心地いい相手だった。そんな本田の様子を観察する近藤には、酔った景色が欠片もない。

「ねえ、本田さん。あの日、公園で何してたんですか?」

 本田の表情からわずかに遊びの色が失せたが、これでも近藤のことを絵のように思っているので、軽くあしらおうとする。

「酒を飲んで、煙草吸ってたんですよ。家、賃貸で吸えないので、たまにああしているんです」

「雨の中を?」

「ええ。雨が降ると霧が晴れるのが好きなんです」

「風邪を引いてもですか?」

「まさか風邪を引くとは思いませんでした。お恥ずかしい限りです」

「ダウト」

 本田は人差し指を顔の前に突き出されたことにぎょっとして、口へと運ぶ箸の手を止めた。顔を上げると近藤の真剣な眼差しが在った。

「本田さん、嘘、下手ですね」

「ははは。下手ですか」

 面白くもないのに笑えて来る。

「ええ。下手です。それも珍しいくらいに」

「そうですか。なら良かった。いや良くないのかな」

 下手だと言うのなら、今日一日の動きが全く不自然に見えていたということになってしまう。にも拘わらず、下手だと言われ、どこか嬉しかった。それ以上に、なぜか安堵した。近藤は、不自然に笑って見せる本田を不愉快に感じたようで眉間にしわが寄る。

「何を言っているんですか?」

「近藤さんの方こそ。どうしてそこまで聞いてくるんですか?正直、初対面で踏み込むラインではないと思いますが」

 瞬間に、緩んでいた本田の口元に覇気が宿って近藤を問い詰める。近藤はその変化の意味を正しく察して、居直り目を合わた。。

「すいません、不躾でした。実はわたし、小説家なんです。といってもまだまだ駆け出しのペーペーですが。なので、こうしていろんな人の話を聞きたくて」

「だったらなおさら話したくありません。小説のネタにされるなんて」

 近藤には、そう撥ね除けられる予感はあったが、本人の話したくない話こそ、近藤の聞きたい話であるから、

「傘のお礼」

 と顔を伏せて上目使いにささやき、申し訳なさを含む様子をつくろいながら、つい食らいついてしまった。本田の方では、その裏に隠れた好奇心を感じ取るなり、怒りが込み上げるも、怒りに不慣れなために困惑しながら言い返すので精いっぱいだった。

「それは。それは、飲みに付き合うって話だったじゃないですか」

「そんなこと言ってません。付き合って下さい、って言っただけで、それで全部チャラだとは」

 あまりの近藤の言い分に、本田は考えるよりも先に、怒鳴り声で、「だったら返します。傘のお金も払うので言ってください」と言うと、席を立って後ろのポケットから財布を抜いて、近藤の顔の前に差し出した。

「ああ、嘘です。ごめんなさい。傘は付き合って頂けたことでチャラにします。なので、座ってください」

 本田は自分の差し出した財布の先で、早口になって謝る近藤の姿を見て、なんてことをしているのか、と我に返った。怒りは収まらないが、申し訳なさから、促されるままに座り直す。

「すみませんでした。失礼なことを言いました。あの、飲み直しましょう。お詫びも兼ねてここは私が払います」

「いえ、あの、こちらこそ申し訳なかった。大人げなかったですね。私もそこまで怒っているわけでは無いんです。ただ、話したくなくてあんな態度になってしまいました。私も悪かったので、私にも払わせてください」

「そうですか。本田さんが、その方が気持ちよく飲めるのなら、割り勘にしましょうか」

「はい。お願いします」

 そこからはギクシャクしながらも、歩み寄り初対面の男女がするような普通通りの会話をした。羞恥心と好奇心から始まり、互いに罪悪感を経てのぎこちなさは、なぜだかときめきから始まる男女のそれによく似ていた。

「本田さんは趣味とかあります?」

 本田は口を開いたまま、思わず口ごもる。以前ならすっと、音楽を聴くことです、と答えられていただろうが、今それを答えるのは嘘になってしまうようで怖かった。

「そうですね。趣味ですか。うーん、あ。お笑いですかね。見るようになったのは最近なんですけど、ちょいちょい観てます」

「へー、お笑いですか。例えばどんなの見るんです?」

「うーん。オースチンとか?」

「あー、オースチン! テレビよく出てましたもんね。ふーん。舞台とかでも見に行かれるんですか?」

「いや、それはまだです。いつかは行ってみたいですね」

「そうなんですねー。お笑いかー。すみません、お笑いとか疎くて。テレビも無くなっちゃうとほんとに分からないですよね。でもダメかなー。小説家としては色々勉強しなきゃですもんね」

「え、まあ。そうかもしれないですね」

 小説家という単語が因子となって、二人の空気がかくんと固くなる。沈黙が長引けば、なぜかは分からないがきっと取り返しがつかなくなる、という共通の危機意識が、さらに焦らせ、溝の広がる音が聴こえるかのように、周囲の雑音がクリアになっていく。

「あの、えっと。近藤さんは音楽とか聴きますか?」

「音楽ですか? はい、聴きますよ」

 近藤は、再び場が白けないで済むように気を遣い、執筆中に、とは言わないでおいた。

「色々聴きますよ。Jポップから洋楽とかジャズとか。でも最近の流行りはいまいちわからないんですけど。平成ポップスをよく聴くので」

「そうなんですね。僕はラジオをよく聴くので最近の曲なんかも聴く機会多いんです。でも、おじさんラジオとかだと昭和歌謡とか平成ポップスも流れるんですけど、好みとしてはそっちの方が合ってますね」

 会話が繋がったことに相手が安堵していることが互いに分かり、共通の敵と戦う同志のような連帯感が生まれ始めていた。

「平成ポップスいいですよねー。本田さんはどんなの聞かれます?」

 そうやって会話は度々滞るも、二人で息を合わせて何とか進んだ。九時を回ると、どちらともなしに会はお開きとなった。お会計はきちんと折半、細かい端数は誘った側として近藤が支払うと言い、そうなった。

 近所にいい店を見つけた、という思いとは裏腹に、ここが彼女の行きつけであるのならばもう来ないだろうな、という残念さが本田の内の底に貯まる。

 外に出ると雨が降っていた。近藤は水色の傘を開いて雨の中に飛び出して振り返ると、にっこり笑いかけて言った。

「降ってきましたねー。どうします? 傘、返しますか?」

 霧が晴れて明るくなった夜、彼女の半身を赤提灯のたおやかな光が、ぼんやり浮かび上がらせ、顔に赤い陰影をつけた。本田もビニール傘を開いて一歩前に出ると、傘を打つ音がリズムよく響く。ビニール傘も赤く照らされ、ビニールに砕けて流れる水が、きれきらと輝いた。

 彼女は、先ほどのけんかを、もう笑い話にしようとしているのだと本田は分かった。だから、粋に答えてやろうと、意趣返しのつもりで、「いえ、しばらくお借りします」と答えた。

「そうですか。では、いつか返しに来てくださいね、本田さん」

 近藤にこうも見事に一本取り返されたのには、笑うしかなかった。近藤は笑い上戸なのか、本田が笑うのにつられて、傘をくるくる回しながら、声を出して笑っていた。



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