探偵気取りの学級担任

真摯夜紳士

探偵気取りの学級担任

 ざわめく教室を、ひときわ大きい咳払いが制した。


「こんな状況だ……取り乱すのは分かるが、どうか冷静に聞いてくれ」


 学級担任の金明かねあき先生は、溜息と共に教卓へと両手を付いた。きっちりとしたスーツを正して、誰にともなく話し出す。


「屋上から落ちたのは、智田ともだで間違いない」


 そう告げると、またぞろクラスメイトは騒ぎ始めたが、すぐさま金明先生が続けた。


「今、他クラスでも先生達が事情を話している。詳しいことは分からないが、おそらく即死だろう」


 女子の押し殺した悲鳴が聞こえた。非日常的な言葉を前に、一瞬にして皆が青ざめ、凍り付いていく。


 智田ともだ一郎いちろうは僕等B組の生徒だった。根暗で受け答えも悪く、いつも伏し目がち。誰かと親しくしている素振りも見せない。いわゆるボッチと呼ばれる男子高校生。そんな彼が、一時限目を終えた後から姿をくらまし、そして三時限目開始のチャイムと同時に――この世を去った。


 それを見た人間は少なくない。窓際に居た僕自身も、その内の一人だ。さらに駆けつけた救急車の音で、全校生徒にも知れ渡った。ここは都内の一角だ、下手をすれば近隣の住民にも。

 おそるおそる僕は手を挙げた。


「どうした小耕こやす

「……いえ、あの、普通こういうのって、隠さなくてもいいのかなって」

「どうだろうな。どうせ隠したところで噂になって広まるし、あること無いこと話されるぐらいなら、いっそ説明した方がいいだろ」


 金明先生の声色は低く穏やかだった。まるで世間話の延長みたいな台詞を選んで。僕等を混乱させまいと、必死に努めているのかもしれない。

 脇道に逸れたとばかりに、先生は視線を戻す。


「まずは、そう。お前達の青春を台無しにしてしまった。そのことを謝らせてくれ。すまなかった」


 清涼感のある短髪を深々と下げられた。呆気に取られる一方で、こういうところが女子受けする秘訣なんだろうなと思う。案の定、誰かが「先生の所為じゃないよ」と黄色い声を飛ばした。

 金明先生は顔を上げ、「すまない」と応じる。


「でもな、智田が死んだのは、どうあっても学級担任である俺の責任だ。今日にでも、教頭や校長とも話し合うんだろう」

「それって、辞めちゃうってことですか?」

「分からん。他校に異動かもしれないし、そのまま職を失うかもしれない」

「そんなぁ……」


 女子の場違いななげきも頷ける。金明先生は男女問わず人気が高い。三十代前半と若く、他の教師からも信頼が厚いのか、生徒指導主任を担っている。頭ごなしに怒鳴らない、一緒になって悩んでくれる、まともそうな先生だ。


 不憫ふびんな話だけれど、ほとんど交流の無いクラスメイトが亡くなるより、親しい担任が辞めていく方がショックな生徒も居るんだろう。


 ともあれ、現実離れした状況に頭が追い付いていかない。ニュースでは散々、学校での自殺とかが報道されていたのに。きっと、どこか無関心だった。いざ母校で起こってみても変わらない。テレビ越しに遠くから眺めているようで。多分これから、全校集会での黙祷もくとうやら校門前の取材とかで、嫌になるぐらい実感するんだろう。


「せめて後一年半、お前らの卒業まで見届けたかったが、悪い」


 なんとも言えない、空白の間が流れ。

 だからこそ――と、沈みかけた金明先生は、強くまゆを寄せた。


「智田へのつぐないと、俺の教師生命を賭けて、最後まで足掻あがかせてほしい」


 熱を帯びた担任に、生徒の皆は口をつぐんだ。既に亡くなってしまった智田くんに対して、僕達に何ができるんだろうか。冷たい言い方かもしれないけれど、この場で感傷に浸ったところで、足掻いたことになりはしない。

 首を傾げた僕は「どういうことですか?」と尋ねてしまった。


「いずれ分かることだろうが……智田が死んだ理由を、俺は知りたいんだ。日本の警察は優秀だ、隠し事があったとしても、すぐに調べ尽くされる。もし、その結果がマスコミにでも伝われば、そこで終わりだ」


 重々しく語る金明先生は、一人ひとりの顔を見透かすようにして、何かを探していた。


「人の噂も七十五日と教えたが、あれは嘘だ。今の時代、ネットに新聞と必ず形が残ってしまう。友人や家族が巻き込まれ、住む所を変えたとしても永遠に付きまとわれるだろう。だが今ならまだ間に合う。一人で悩まず、先生に打ち明けて欲しい。手遅れになる前に。大人の意見を交えて、お前らを守りたいんだ」


 さっきから一体、何を。

 まさか、この人は。


「智田くんは、自殺じゃないんですか?」


 震わせた僕の声に、先生は首を横に振った。その仕草は、肯定でもなければ否定でもない。


「分からない。ただ、そういう可能性も捨てきれないだけだ。あり得ない話だと、頭から切り離すのは簡単かもな。だが俺は後悔なんてしたくない。救えるはずだった生徒を守らないで、何が先生だ。智田の二の舞いなんて、させてたまるか」


 独り言のように地面へ吐き出し、ゆっくりと顔を上げる。


「智田について、知っていることがあれば教えて欲しい。どんな些細なことでも構わない。俺は今日中に、できれば警察が来る前に、と思っている」


 こうして学級担任は、核心へと迫る台詞を、とうとう口にした。



△▼△▼



 三時限目のチャイムと共に、智田くんは身を投げた。しばらくして教師陣だけ集まるよう、校内放送が流れる。もちろん生徒には外出を禁じて、各教員は自習を課した。室内に居ながら、残された者は食い入るように窓の外を見るしかない。取り乱すクラスメイトを落ち着かせるのに、僕は苦労した。


 L字のように建てられた校舎は、教室棟と特別教室棟に分けられる。智田くんが落ちたのは特別棟だ。普通科の授業をしていた僕達の教室からは、ちょうど対角線上に位置する。


 遠目からでは不格好に倒れた黒髪男子と、そこに血溜まりができていたことしか分からない。数分か十分足らずで救急車が到着し、教頭が連れ立って運ばれていく。金明先生が教室へと戻って来たのは、三時限目も終わろうという時間だった。


 そして四時限目から始まった、臨時のロングホームルーム。その始業ベルを、僕達は静かに迎えた。


「……気分が悪くなったら、すぐ俺に言ってくれ」


 こんな時でも、こんな状況だからこそ、金明先生は気遣いを忘れたりしない。教室を見渡し、生徒の顔色を推し量っている。

 なんだか頭が切れそうだというのは、第一印象から変わらなかった。文武両道で、他者への思いやりもある。おまけに親しみ易い。非の打ち所が無い教師とは、先生のような人格者を指すのだろう。


「今のところは平気だな。それじゃあ誰か、智田のことを教えてくれないか」


 そう訊かれても、一人として喋ろうとはしなかった。

 無理もない。僕と同じで、皆なるべく関わりたくないんだと思う。先生は智田くんが飛び降りたのは、事件かもしれないと告げた。だったら尚更、自分に火の粉が飛んでくるのは避けたい。


 たとえ、この教室内の誰かが、犯人だったとしても。

 余計な恨みなんて、買わない方が利口だ。


 静まり返るクラスメイトを余所に、先生は目つきを鋭くして、よれたネクタイを緩めた。


「少し、社会勉強をしようか。これは実際にあった話だ。当時、お前らと同じ高校二年生だった俺の学校でも、生徒の自殺事件が起きた。智田のように屋上からのダイブ。時間は真夜中だったらしい。死んだのは俺の同級生で、思えば友達と言える奴だったよ」


 唐突に始まった昔語りだけれど、僕達には他人事に聞こえなかった。重々しい空気のまま、金明先生だけが口を開く。


「朝練で早くに登校した生徒が目撃し、騒ぎになった。俺が来た頃には後始末の最中で、何が起きたのかまでは分からなかった。当然その日の授業は全て中止だ。今日みたいにな。担任から事件を聞いた直後は、けたたましいサイレンの音が耳を離れなかった」


 今も遠くから、パトカーの警報が鳴っている。それは学校へ向かっているように近づいていた。


「そいつの自殺は明らかだった。屋上には遺書が残されていたそうだし、理由もはっきりしていたからだ。いじめ――結論から言えば、いじめに遭っていた。じゃなきゃ、わざわざ学校で自殺なんてしないだろう。しかし遺書に加害者の名前が無かったのが、さらに問題を大きくした」


 教室中の視線が金明先生に集まる。無粋な横槍なんて入らない。その教訓は、これから僕等に待つ定めかもしれないから。


「学校側は、いじめの事実を否定したんだ。最悪なことに、生徒個人の家庭環境や精神状態を疑った。人付き合いが薄いという点じゃ、智田と同じだったしな。誤魔化せると思ったんだろうよ」


「それで、どうなったんですか?」と女子の一人が先を促す。


「……ああ、そいつの両親は猛反発。弁護士を雇い裁判沙汰になって、警察の捜査も進み、学校側は非を認めざるを得なかった。校長、教頭は責任を取って辞任。教師の何人かも訓戒処分の後、解雇に追い込まれた。いやまあ、そんなことは別に気にすることじゃない」


 大事なのは――と先生は語気を強める。


「その学校に通わなくちゃいけない生徒だ。皆が皆、転校できるわけじゃないからな。ある奴は警察の取り調べで他人が信じられなくなり、またはマスコミの執拗な取材で病んでいった。問題を長期化させた学校側の所為で……一番傷ついたのは、残された遺族と、お前らだ」


 そういうことか。先生は同情心で昔話をしたわけじゃない。智田くんの死を長引かせない為に、僕達に言って聞かせてるんだ。


「自殺なら自殺でいい。そうじゃないなら、他の生徒を巻き込む前に、もう一度だけ考えてくれ。完璧に隠したつもりでも、必ず警察には突き止められる。小さな手がかりなんてのは、誰かが見て、そして知っているものだ。自首せず重い罪で警察に捕まるのか、それとも刑を軽くして生きるのか。俺を信じてくれとは言わない。だが悪いようには絶対にさせない。だから皆、知っていることだけでも、話してくれないか?」



△▼△▼



「あの……私、一限目の後、智田くんが階段を上がっていくの、見ました」


 おずおずとうつむきがちに喋ったのは、確か。


浅見あさみ、よく話してくれた。ありがとう」


 そう、浅見さんだ。肩まで伸びる黒髪で目元まで隠した女子生徒。普段から物静かなのか、授業中も消極的に参加している。影の薄いクラスメイトは、どうにも覚えられない。


「あっ、それ、俺も!」と口をついたのはムードメーカーの杉下すぎしたくん。「なんか一人だけ教室戻る方向違っててさ。おっかしいなと思って見てたんだよ」

「一限目…‥授業は、音楽だったな?」

「そうっす。んで、二時限目は英語」

「その時から智田は欠席してたんだな? 他に見た奴は居るか?」


 何故か先生と目が合った気がして、僕は「見ていません」と応えた。正確には分かりません、だけれども。

 金明先生は教卓から手を離し、片方を顎先あごさきえた。スーツ姿も相まって、どこか刑事のようだ。


「杉下、音楽室は特別棟の何階だ?」

「えーと、三階っすね」

「四階にある教室は?」

「へ、え、ぁえーと……」

「生活教室と視聴覚室だった気がします。四階の上は屋上ですね」僕は詰まった杉下くんの代わりに答えた。

「ありがとう、小耕。誰か、時間割表を見せてくれないか?」

「あ、はい、ちょっと待ってください」


 いち早く動いたのは、学級委員である湯川ゆかわさん。銀縁のメガネが似合う、七三分けの小柄な女子。

 彼女は鞄からクリアファイルを取り出して、そのまま先生に渡す。皆の視線からは慣れているけれど、重々しい空気なのが嫌そうだった。


 先生は時間割表に目を通して、そっと机の上に置く。


「このクラスでは音楽と家庭科が続く曜日は無い。つまり智田は、時間割を間違えて行動したわけじゃないってことだ。あと考えられるのは、二つ」


 くるりと背を向け、先生はチョークを手に取る。カツカツと小気味の良い音が響いた。


「誰かに呼ばれたか――もしくは、自主的に行ったのか」


 黒板に書かれた二行に、皆が息を呑む。

 先生は振り返り、後手で前者に拳を当てた。


「ここ最近、いや今朝でもいい、智田と話した奴は居るか? 話をしているところを見た者でも構わない」


 クラスメイトは視線を交える。だけれど名乗り出る者は現れない。


 僕が記憶している限りでも、智田くんの声なんて授業でないと聞きすらしない。クラス内で浮いてるという点でシンパシーを感じていたけれど、そんな僕からしても彼は人付き合いが苦手だった。


 さぞかし学校生活が……つまらなかったに、違いない。


「そうか。分かった、もういい。それじゃあ的を絞って推理しよう」


 振り返った先生は、まるで授業でも進めるかのように喋りだした。『自主的』という文字から伸びた白線が、複数に分離される。


「仮に智田が自主的に向かったとしよう。何かしらの用があって屋上に。一つは自殺だ。柵を乗り越え、飛び降りる。あと考えられるのは何だと思う」


 はい、と手を挙げる湯川さん。こんな時まで挙手制をなぞらなくたって良いだろうに。優等生としての条件反射だろうか。僕は冷めた目で、それを見届けた。


「サボタージュ、じゃないですか」

「なるほど、確かに。今日は晴れだし、見晴らしのいい屋上はサボるのに絶好かもしれないな」

「あー、でも先生、屋上って開いてんすか? 俺、行ったことねーから分かんないんすけど」


 鼻先のそばかすを掻きながら、杉下くんは間に割って入った。彼らしい感情を隠さない喋り方だ。


「屋上への出入りは原則禁止だ。だが鍵を掛けているわけじゃない。ここだけの話、三年の何人かは屋上で昼食をしている。それと浅見、お前は天文部だから何度か行ったことはあるな」


 びくりと肩を震わせて、浅見さんは小さく頷き、消え入るような声を出した。


「……先生の、言う通りです。鍵は、掛けてません。柵も、そんなに高くは」

「十分だ、ありがとう浅見。要するに誰でも出入りはできるということだ。時間があれば、誰でもな。そうだな、鮫島さめじま


 普段は見せない、突き刺すような目を先生が向けると――激しい物音が鼓膜こまくを叩いた。数人は身構え、何人かは驚きに目をつむり、ほとんどの生徒は彼の方へと振り返る。

 教室の一番後ろ、ドア付近。その居ても居なくても目に付かない席に。


「さっきから黙って聞いてりゃよぉ、くっだらねぇ話ばっかしやがって。結局これかよ」


 机の上に両足を乗せ、悪態をついてみせる鮫島くん。クラスで唯一、髪を茶色に染め、ラフに制服を着崩している。僕が見た中でも、彼は何度か金明先生に注意を受けていた生徒だ。朝のホームルームにも滅多に顔を出さない。智田くんとは違った意味で、悪目立ちしている。


「なあ、もう分かってんだろ。俺が二時限目、のをよぉ!」


 有り体に言って、彼は不良だった。



△▼△▼



 議論が理路整然と行われないのは、大きな理由として『他人の話を聞かない人間が居る』からだ。

 進行役や論敵の意見なんて聞く耳持たず、食い気味に言葉を重ね、自分の主張だけを押し通す。


 そう、こんな具合に。


「俺はやってねぇ」

「誰も鮫島が何かしたとは言ってないだろう。二時限目の授業中、どこに居たのかを訊いているだけだ」

「俺は、やってねぇ」


 金明先生の静やかな対応も虚しく、鮫島くんは『やってねぇ』の一点張りを続けている。繰り返しの中で変わっていくのは、彼の苛立ちが増しているということだ。まるで破裂寸前のゴム風船。誰も怖がって、張り詰めた空気を和らげることができない。


 それでも先生だけは、執拗に質問を続けた。


「屋上か? それとも別の場所なのか?」

「――俺じゃねぇってんだろ!!」


 ビリビリと鮫島くんの怒声が木霊する。彼は足を降ろし、その勢いのまま立ち上がって詰め寄った。


「なんだ」

「何が『悪いようには絶対にさせない』だ。適当なこと言いやがって。お前らもオカシイんじゃねぇか!? 人ひとりが死んでんだぞ! 普通は警察に任せるもんだろうが。素人だけで……こんな、こんな犯人探しみてぇな真似して、どうかしてるぜ」


 鮫島くんの訴えも正しいとは思う。けれど皆、それを承知の上で話し合いをしているんだ。事故か自殺か、それとも他殺かを、早く結論付ける為に。おそらく彼が激昂しているのは、自分だけ安全圏じゃないからだろう。

 それを証拠に、同意してくれる人も居なかった。嫌悪感を孕んだ舌打ちを鳴らし、鮫島くんは人差し指を先生へと向ける。


「言っとくがな、俺は屋上になんて入ったことすらねぇぞ。智田の奴とも話してねぇ」

「なら二時限目はどこに居たんだ。逆の立場だったら言葉だけで信じられるか? 疑いは、お前自身で晴らすしかないぞ。そうしないと味方にもなってやれない」

「ああ……ああ、そうかよっ、じゃあ言ってやる。俺は一人で校舎裏に居た。こいつを吸う為にな!」


 ポケットから取り出された何かが、教卓に叩きつけられる。金明先生は溜息を漏らし、緩やかに首を振った。


「タバコか」

「中に吸い殻も入ってる。証拠はこいつだ。まだフィルターが湿ってんぜ。俺がサボったのは二時限目だけだし、休み時間に吸うほど馬鹿でもねぇ。しかも智田が死んだのは三時限目のチャイムだろ。よぉ、これでも疑うってのか?」


 目を閉じ、先生は考え出した。そして数秒もしない内に判断したようだ。


「……難しいな。鮫島が屋上で吸っていた可能性まで否定できない。アリバイが無いのは、それだけで隙になる。その間に何かの仕掛けをしていたとしても不思議じゃない。二限目の担当教諭が俺なら、出欠確認もいじれたんだろうが」

「俺は屋上になんか――」

「だから鮫島、お前は俺と居たことにしろ」


 珍しく口調を荒げて、先生は鮫島くんの台詞を遮った。意表を突かれた鮫島くんは、その場で固まっている。


「このまま警察が調べ上げれば、お前のアリバイは無いに等しい。今みたく意固地な奴ほど勘ぐられるからな。最悪、やってもいないのに自白まで追い込まれるかもしれない。だから鮫島、お前は俺と居たことにしろ。生徒指導の名目で、タバコを証拠に挙げる」

「いや、待てよ、それじゃアンタが」

「俺は職員室で座っていたが気にするな。いちいち不在を確認してる教員なんて居やしない。それに普段から真面目さを売りにしているからな。大丈夫だ、隠し通せるさ」

「…………」


 嘘の供述。詳しくは知らないけれど、多分それは罪に問われる類のものだ。先生は分かっていて、それでも庇うつもりなのか。


「席に戻れ、鮫島」

「……ああ」


 素直に聞き入れる鮫島くん。彼も自分の無実を裏付けるには、それしかないと悟ったんだろう。

 金明先生は嘆息して、黒板消しを手に取った。


 誰もが安堵しかけた瞬間、校内スピーカーからノイズが走る。


『二年B組、金明先生。至急、職員室まで来て下さい。繰り返します――』

「警察か……タイムリミットだな」


 黒板の文字を消し終え、先生はロングホームルームが始まる時のように、教卓へと手を付いた。


「皆、話を聞かせてくれて、ありがとう。これで堂々と智田の死と向き合えるよ。他の生徒も守ってやれる。あとのことは任せてくれ」


 そう言い残し、先生は教壇を離れた。

 ゆっくりと扉へ向かう間――その背中には、クラスメイトの声援が降り注いでいた。中には、ぼそりとした鮫島くんの激励でさえ。


 ……このままで、いいんだろうか。

 ふと自分の内から問いかけられた気がして、僕は先生の後を追った。


「金明先生!」


 教室前の長廊下で、校内スターのような彼を呼び止める。折り目正しく伸びた背筋が、向き直る。


「小耕か。すまなかったな、色々と。大変だっただろう」

「いえ、まあ。先生に比べれば大したことは」

「子供を育てるっていうのは、こういうことなんだよな。純真な生徒の前でだけは、正しい大人じゃなきゃいけないんだ」

「……ですね」


 そうじゃない、こんなことが言われたかったわけじゃないんだ。

 僕は丸めていた背中を、無理矢理に起こさせる。

 怯まず、相手の目をしっかりと見て。


「先生は……この学校が好きですか?」

「当たり前だろ。生徒も学校も好きだから、教師を続けられるんだ」


 爽やかに微笑む、金明先生。

 まるで教育者の鏡。きっと先生は、その知的さと熱弁で、数多くの生徒を育ててきたんだろう。


 良かった、話が聞けて。ようやく踏ん切りがついた。

 これで、やっと――


 やっと、警察に告げられる。



△▼△▼



 僕はそのまま教室を抜け出して、学校の駐車場まで向かった。ちょうどパトカーに乗員していた警察官が居たので、ロングホームルームでの話を包み隠さず伝える。


 もちろん、自分の推察も含めて。


 そもそも金明先生は、どうして『智田くんが屋上から落ちた』と思ったのだろう。過去の回想話を引き合いに出したからって、断定するのは変だ。

 僕の疑心は、そこから始まった。


 考えてみれば、おかしなことは幾つもある。救急車は早く来たのに、遅れて来た警察。智田くんが落ちてから、速すぎる教師陣の対応。あたかも、かのようじゃないか。


 屋上の柵は低いらしいというのも、のには打って付けで。

 何よりも気になったのは――三時限目開始のチャイムと同時、というところ。


 まず普通の生徒には実行できない。何か紐のような物で時限的な仕掛けを用意しても、長く屋上に晒していないといけないし、証拠として智田くんの体にも付着してしまう。授業をサボっていた鮫島くんや、校外の部外者、それか授業そのものが無い教師にしか犯行はできないんだ。


 チャイムに紛れて落としたのは、万が一にも、顔を見られるわけにはいかないから。授業が始まってしまえば、集中しない生徒は外を見てしまう。その可能性を消したかった。


 ここ最近、鮫島くんがサボっていることは……大方、生徒指導主任として英語教師から相談を受けていたんだろう。鮫島くんも可哀相に。

 疑いが強まり、それでいて鮫島くんの無実も立証できる三時限目を狙ったのも、かなり計画的だ。

 これで恨まれることなく、タバコを理由に不良を退学まで追い詰められる。


 前々から、智田くんと鮫島くんが学校に馴染んでいなかったのは、先生から聞いていた。

 二人の授業態度や素行は明らかで。どう改善していくべきか、僕も頭を悩ませていたところだ。


 だから、きっと。

 金明先生は、学校の規律を正そうとしたんだと思う。

 学校に馴染まない生徒と、不純物たる生徒を排除して。


 一通り吐き出して、僕は最後に「金明先生のネクタイを調べて下さい」と伝えた。きっちり着たスーツに似つかわしくない、よれたネクタイ。もしかしたら、それは内気な智田くんが残した、唯一の決定打かもしれないから。


 学級担任が探偵気取りなんてするから、こうなるんだ。僕は推理しようなんて、少しも思ってなかったのに。


 子供である生徒の証言だったなら、警察は信じてはくれなかったかもしれない。大人だからといって、正しいとも限らないけれど。


 ――後日。

 あの一件以降、金明先生は学校から姿を消した。僕は何度か警察の事情聴取を受け、明らかになった事実を知った。

 先生の言っていた通り……犯人さえ捕まってしまえば、マスコミは一週間足らずで見なくなった。



△▼△▼



 いよいよ今日が最終日。僕は緊張した面持ちで、学校へと歩を進める。

 思えば長いようで、短すぎる教育実習だった。結局、臨時の副担任として受け持った生徒の名前も、半分くらいしか覚えられなかった。まさか初めの一週間で、あんな事件が起きるだなんて想像もしなかったから。


 昔は通っていた母校も、今は懐かしさより切なさが胸を締め付ける。

 革靴を履き替え、僕は皆が待つ、あの教室に向かった。

 どう生徒に話せばいいのか、そればかりを考えて。


 扉を開けると、智田くん以外の生徒は、既に揃っていた。あの鮫島くんでさえも。

 僕は朝の挨拶と騒がしいのを注意して、全員を席に座らせる。


「今日は皆さんに、大事なお話があります」


 僕は語る。大人の汚さとみにくさ、ほろ苦い青春、そして間違った正しさとは何かを。

 もっと生きたかっただろう、智田くんの分まで。

 未来を生きる若者達に、学び舎の教訓として。

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