56話 幻惑の手稿と…
頭が軋む。
だが、なんだか心地良かった。心に沈澱していたドス黒いなにかが綺麗さっぱり無くなって清々しい。
「それで、君の今の願いはなんだね。イチノセ。」
暗闇から尋ねられた声は、出会った時の温和なものだった。先ほどからコロコロと変わる口調に恐ろしさを感じつつ、僕は口を開く。
体は、やめたほうが良いと思っているのに僕は何でもかんでも口にできそうだった。
「………どうしても、欲しいものがある。」
「ほう。」
「曰く付きのアクセサリーだ。だけど、そのためにはクラスマッチでMVPにならないといけないんだ。」
だが、うちの学校には化け物がいる。
湊海という。彼は野球を選んでいるとは知っているために他の競技のMVPが取りにいくということができるが…。可能性があるものはあるが…サッカー、ドッチボール、バスケットボールはそれぞれの部活生へのハンデが課されない。だが、野球はハンデが課されるのだ。
そう考えると、ハンデがある野球の方がMVPを取りやすいといえばとりやすい。それに、湊が野球を選んだことで殆どの運動が出来るやつが他のスポーツに行った。
つまり、彼さえなんとかすればMVPのチャンスはある。
「気になっちゃ、いたが…。その湊ってやつは、椎名ちゃんのこと好きなのかい?」
「へ?」
「君がそんなに言うほどの子だ。みんなに好かれる彼女と親しくはないのかい?」
「それはないですよ。なんか、彼女みたいなの三人くらい居ますし椎名さんは彼のことを避けてますし。」
何を言い出すのか。むしろ逆だ。
彼女は彼のことが大嫌いだ。幼馴染だとは聞いているが、彼に嫌な思い出があるに違いない。
「ふっ、青いね…君は。」
「なんですか。」
含みのある笑みになんだか、馬鹿にされたみたいでムッとする。
「だってさ、君の言うその子は凄く慈愛に満ちた良い子なんでしょ?だったら、なんでその湊くんに激しく当たるのかなぁ。それほど、彼女にとってその子は、心を掻き乱すほどの存在ってことじゃないか。」
………言われてみれば、そうだ。
彼女は誰に対しても、優しい人だ。なぜ、湊にそこまで執着しているのか…。
「まぁ、僕はその子達に会ったことないから。なんとも言えないんだけどね。そこでだ、君の願いを叶えるためにこれを授けよう!!」
突然、彼は僕の胸に本を押し付けた。
分厚い古い本だ。
ペラペラとめくっていくが全てが真っ白。
「これがなんの役になるんですか?なんも書かれてないんですけど…。」
「あぁ、ここから書いていくんだ。まぁ、百聞は一見にしかず……だ。来なさい。」
招き猫のように手を振って、僕を外へと誘う。訳がわからないが聞くだけ聞いてやろう。これでお金が取られるとか言う話ならばさっさと帰っしまおう。
外に出ると真っ暗だった。
既に日は落ちている。
「おぉ、良いところに〜。君、あのOLの女性がいるの分かるかい?」
ちょうど、帰りの女性に指をさす。確かにいるが、だからどうしたと言うのか?
「さぁ、この本を開いて……彼女を《見て》」
言われるがままに、僕は何も書かれていないページを開いて彼女を見た。
「え?」
すると突然、本に誰かの名前と40という数字が浮かび上がった。そして、再び彼女を見ると歩いていた彼女はそこで時が止まったかのように動かなくなっていた。
「さぁ、何かさせたいことはないかい?」
「へ?」
突然、ゲイリーは僕の肩に両手を乗せた。
「なんでもいい。歩かせてみるとか…大声をあげてみる。なんなら、全裸にさせるってことなんてね。まぁ、耐性が強い子だから最後のは無理そうだけど…。これで彼女の所有権は君だ。思うがままに命じなさい。」
「歩け……。」
僕が命じるとその通りに彼女は動いた。
その瞬間、総毛立つ。
息を呑んだ。
こんなことがありうるのか?
まるで、魔法だ。
「他者を律しさせる力を持っている。【幻惑の手稿】……お気に召したかい?」
「あぁ、すごい。でも、この数字はなんなの?」
「あぁ、それは耐性だよ。その本は誰であろうとも言うことを聞かせるわけではないんだ。その本に登録した時の体の状態でその耐性が変わる。大体、70を超えてくると流石に聞かないよ。あのOLさんは、相当疲れが溜まっていたんだろうね。普通の人で、70は常に超えているから。」
「耐性って、どう言う状況で変わるんだ?」
「眠り、疲れ、怪我……つまりは、弱っているかそうでないか…。ちなみにだけど…耐性が10を下回ると本当になんでも言うことを聞くんだよ。」
その言葉で、頭の中で押さえ込まれていた何かが飛び出したような気がした。
そうか。そうか。そうか。
熱いものが背中を駆け上る。
「でも、くれぐれもこれだけは忘れないでおくれッて……もう、行っちゃったか…。」
何か、ゲイリーが話していたような気がしたが、気にも止めずに僕は夜を駆ける。
さて、どうしたものか…。
そうだ。
まずは、仲間を確定したい。
同志達に力を貸してもらおう。練習では、彼らはそこそこ動けたが僕が操ればゲーム感覚でさらに良い守備や投球ができるはずだ。
あぁ、そうだ。
これを失念していた。
椎名天を弱らせるには、どうしたら良いだろう。
◇
「フッ。」
思った通りだ。
三者連続ホームランを放った三田が帰ってくる姿を見て笑みが漏れた。僕のもった手稿には、三田の名前が浮かんでいてその耐性は20。
全員に眠り薬を朝に飲ませて、正解だった。だが、同志諸君以外の耐性が怪しいという心配がある。全員、60とギリギリだったから焦った焦った。
それにしても、この試合もらったな。
無論、これでMVPは彼らの誰かだろう。しかも、西園寺は先ほどまで操っていたが化け物だった。とても、操縦がしやすい。
大体のやつらは、僕の命令に多少のずれが生じるのに対して彼は寸分違わず命令どうりになる。しかも、時間のずれすらない。
運動神経というのは、いかに自分の身体を自由に動かせるかだと体育の教師が言っていたことを思い出す。
もしかしたら、僕がいたら彼はとんでもないアスリートなどになっているのかもしれない。
だが、それは今どうでもいい。
もう一度、西園寺の耐性を見ると40。他の同志よりも随分と高い。そこが一点気になる。
「あ!投手変わったんでー、打席たって良いよーー。」
おや、スルメくんは逃げてしまったらしい。
全く、あの元気はどこに行ったのやら。
彼の代わりに立ったのは、知らない子だった。
あんな人、居たっけか?
それにしても、地味な生徒だ。可哀想に、押し付けられたのか。
なら、せめてこのイニングでコールドで終わらせてあげないと。
彼がボールを投げるのを待つ。どうせ、遅い真っ直ぐしか当たらないだろう。いや、スルメの後だからタイミングが難しそうだ。
投げた球は、想像よりも速かった。
「あれ…。運動できる人だったか…。」
思わず、声が漏れた。世の中、見た目で判断してはいけないな。
よし、そこで振れ。
いつも通り、ボールが次の打者のスイングスピードに合うように命令。
うん、完璧だ。これで四者連続…。
バットがボールに吸い込まれるように振り下ろされた。
だが、その時ボールが突然斜めに落ちた。
「………あれ?」
待っていたのは、空を切る音だった。
なんでだ?
なんで、ボールが動いた?
しかも、振ったタイミングで?球はそれなりに早かったはずだ。遅すぎて、落ちたなどと言うものではなかった。いや、違う。たぶん、僕が舐めてかかりすぎたんだ。そりゃ、野球部が仲間にいるんだ。変化球の投げ方も教わっているのだろう。なんなら、今のはなんちゃって変化球なのかもしれない。
そんな考えをしている間にも、彼はボールを投げる。今度は、抜けたのか三田の頭めがけて飛んできた。
避けろ!!
だが、ほぼ一直線に頭への軌道を描いていたボールは突然「つ」の字にストライクゾーンへと大きく回ってきた。
先生がストライクとのコール。
「は?」
なんだよ……今の!
再び、彼は球を投げ込む。
落ち着け、ここまで変化球しか投げていないんだ。どうせ次も、突然落ちてくるのに違いない。しかも、見えにくいが外ギリギリだ。
どうせ空振り三振でも取りたいんだろが!?
「おぉ、ストライク!!アウト!!!……ぎりぎりだ。」
ボールを見逃すと先生がおぉと感激したようにコール。
「はぁ!?入ってないだろ!!」
思わず、椅子から飛び出す。
「いや、はいっている。確かに、君がいた場所からだったら見えにくいとは思うけどね。いや、凄かった。えっと、神室くんだっけ…部活動に入っていないけど。すごい球を投げるなぁ。西園寺くんといい。なんで、野球部じゃないのだろうか…。」
先生は、そう何故か嬉しそうにしていた。
「なんなんだよ。あいつ…。」
だが、三点もあるんだ。このまま逃げ切れば、俺たちの勝ちだ。
◇
皇が三者連続で点を取られた時は、先程の準決勝のようにコールドになってしまうと思ったけど、リクが投げてくれて良かった。
もう、投げないと思っていた。
「………か、簡単に三振しちゃったわね。」
「凄いでしょ?あれがリクのピッチングだ。中学の時から変わらない。……ところで何故ここに副生徒会長がいらっしゃるんですか?」
あまりに自然にいるものだから、クラスメイトが漏らしたものかと思ってタメ口になってしまっていた。
「気になる子だからね。にしても、あの子確か名簿で見たけど帰宅部でしょ?」
どうやら、気になる子というのはリクのことだろう。流石リクだ。
副会長に目をつけられるとは…。
「ところで、カーブとストレートは分かったけど初めの突然落ちたボールの球種ってなんなの?フォーク?」
その言葉に嬉しくなった。彼の解説なら、僕が喜んで教えよう。
「違います。最初に投げたのは…。」
思い出すのは、中学の頃クラブチームでガチンコの対決をした時のことだ。
これが消える魔球というやつなのだと思った。
振るまでは、ストレートなのだ。
だが、スイングをした途端にボールの軌道が変わる。まるで、ボールに意思があるようだった。打たれてたまるかとボールが自分の意思で球速を落として落下してしまう。
「リクの最高の決め球のカットボールですよ。僕は、あれを一度も打ててません!!」
これで、この試合は僕たちが4点取ったら勝ちだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます