第1話 日常とエンカウント 改訂版
ある日の朝。
けたたましい電子音が神室陸の鼓膜に直接鳴り響かせていた。
問答無用で叩き起こそうとするそれは、自らセッティングしたものであるのだが、なんだが、怒りを誰かに向けたく酷く不快に感じさせる。
ショッピングモールで両親に世界一煩いデジタル時計と銘打ったものは大体当たり外れが激しいがこれはガチモノであった。
一拍おいてソファーベッドの上で毛布からのっそりと腕が出て、荒々しく停止のスイッチを押した。
音が消えて今度は静寂が響く。
この静寂の渦に再び帰属したくなる気持ちを抑え、だるく重い体をゆっくりとベッドの上で布団を蹴り飛ばしながら寝間着用のジャージ姿という格好で起きた。
頰に触れるように温かな日光が大窓の閉まりきっていなかったカーテンの隙間から押し出すように陽光が漏れ出している。
ふらふらとおぼつかない足取りで向かう先は、洗面台である。
ふと、壁にかけられた時計を見ると時刻は六時半。まだ、太陽が東から覗かせて直ぐの時間。
これが陸がいつも起きる時間だった。
心地いい冷たさの水をたっぷりと浴び一瞬で眠気を吹き飛ばし、タオルで拭うと飼っている熱帯魚へ餌を与えて、そのままキッチンへと向かった。いつも通り、ラップに包まれた目玉焼きとソーセージを電子レンジで温めて、食パンをトースターで焦げ目がつくまで焼く。
家には彼を除いて誰一人としていない。
別に家族が居ないと言うわけではない。両親共に朝早くから働くことも多く中学生からは週末や親の休暇以外ずっと独りきりだ。
寂しいとはじめのことは思っていたが、人間とは慣れるものだ。
「いただきます」
手を合わせて、朝食に手を伸ばした。マーガリンを食パンに塗りながらテレビをつけて朝のニュースを眺めた。
内容は昨日の夕べと同じだった。
この町で工場付近にて、10人がガス漏れによって搬送されたというものだ。幸いなことに死者が出なかった。
「最近、これといい先週の通り魔といいこの町はいつ修羅の町になったのかね?」
誰もいない部屋でそんなことを呟くとバターでテッカテカになったパンを口元へ運んだ。
そこで、ぞっとしたように身震いした。
人と話さなすぎてついに独り言が出てしまったのだ。
由々しき事態である。
独り言が多いと鬱状態であるらしい。
自分は、比較的健康だと思っていたがひ弱なのかもしれない。
しかし、鬱病ってやつは治るのだろうか。それとも病院とか行った方が良いのだろうかと何故かリクは深く考えているとテーブルに置いてあったスマホを掴み、『鬱病 独り言 治療』と入力してサーフィンを始め、色々と渡り歩いてみる。
「ふーむ。『何かに囚われていたりストレスになっていることのサイン。対処として、今まで関わりがなかった。また、関わらなかった人物などとコミュニケーションを率先して、試してみましょう』…か。」
その結果、とある質問箱とその回答のページに辿り着いた。
別段、その回答主が本当に精神科のお医者様なのかすら分からない。しかも、ソースもない根拠もないものだったが、最後の言葉に妙に引っかかってしまった。
「関われなかった人か。」
◇
「母さん、いってきまーす!!」
「ん?」
朝食を食べ終えて、学校の支度をして玄関を開ける。
家の立地的に朝日が目の前にあるものだからまぶしさで目を細め憎き太陽に一瞥する。
すると、海の声が隣で聞こえた。
右を向くと爽やかな笑顔を見せるイケメンの姿。
軽薄そうな茶色に近い髪なのに、その顔は凜としていて、自信に満ちあふれていた。
「あ、リク!おはよー。」
爽やかな笑顔を向けてきて、朝日と同じくらいにその眩しさに思わず陸は目を細め太陽によって屑となって消え散っていく吸血鬼よろしく仰反る。
(なんだこのご来光並みの輝きはッッ……あれ?)
なんて、ふざけていると違和感を感じた。
今の時間は7時を過ぎていた。
もう、彼が所属している野球部の朝練が始まっている頃だった。
なのにどうして彼がここにいるのか。
「お、おはよう。朝練今日はないの?珍しいこともあるもんだな。」
通っている高校の野球部は甲子園には出場したことはないが公立の割に大会でそれなりの成績を出しており、練習が多いことで有名だ。
真面目な彼がさぼりをすることは幼なじみの陸には考えられなかった。
頭の中になにか体調を崩したのではないかと挨拶に応じるつもりはなかったが応じて確認したかった。
いや、単純に今まで関わりがなかった人との対話がしたかっただけなのかも知れない。
陸が挨拶を返すのに始め、湊は豆鉄砲を食らった鳩のように目を点にしていた。
挨拶を返したことが意外だったのだろう。
実際、陸は二人と話さなくなった時以来から、二人と距離をとるために話すら若干、無視気味になっていた。
そのため、数年ぶりの挨拶の返しにに海は戸惑って声が少しうわずった。
「あぇ…あー、実は寝坊しちゃってね。」
「え?」
(……ほんとに珍しいことがあるもんだ。)
今度は、陸が目を丸くした。かれの知る限り、海が寝坊するところを見たことがなかったのだ。
「そんな、目を点にして驚くこともないだろう?寝坊したことがない人なんて世界で何人いるんだ。」
「あ、あぁ、それも…そうだな。んじゃ、またな…。」
たしかに、完璧超人って言っても所詮は同じく人である。
間違いや、失敗をすることはあるだろう。それが例え、今まで一度も失敗したことのない海だとしてもだ。なんて、納得している陸をよそに海は、夢のような心地に浸っていた。
(今日は、どうしたんだろうリクは…今まで全然会話をしてくれなかったのに、僕がらしくないことをしただけで…。もしかして、リクは僕のことを嫌っていたという訳ではなかったのか?それとも、何か…別の………)
陸は知るよしもないのだが、海は彼に親友以上の感情を抱いていた。
小学校の頃から少年野球でダブルエースで張っていて、いつだって一緒で相棒といえる存在だった。
だが、陸はある時を境に突然よそよそしくなり、自分と距離を置き始めたのだ。
もしかしたら、これは最初で最後かもしれないと思った海はさっさと学校へと向かおうとしていた彼を引き留めようと彼の前に出た。
「ま、まって。せ、せっかくだし、久々に一緒に学校行かない…「ガチャっ」……」
湊が誘おうとした瞬間に左の家の玄関から勢いよく扉から黒髪ロングを翻して少女が飛び出してきた。その勢いは、爆音を伴っており、もし、ドアに鍵がかけられていたら、無理矢理なでもこじ開けるために文字道理、吹き飛ばしていただろう。
現れたのは、椎名天だった。
急いで飛び出してきたのか髪が所々はねていて全力ダッシュできたということがうかがえる。
「あ、お、おはよ。」
異様に疲れているのか息を荒げている。どうしたんだろうか、体調不良なのかと心配になって陸は再び柄にもなく声をかけた。
「だ、大丈夫か…その……椎名?」
「う、うん。平気、その、あの、寝坊したから」
視線を彼方此方へと泳いで説明をする天は普段の氷の女王の姿からかけ離れていた。
相当、焦っていたのだろう。
すると、わざわざ海が陸と天の間に割り込んできた。
「今から行っても授業の30分前には着くのにかい?随分とせっかちだね。」
つんと人差し指で彼女の額を叩く。その様子に陸がジト目で見つめた。
(これが数々の女子生徒を口説いてきた仕草かッ顔が良くて良かったな。ちくしょうめ。)
なんだか、格の違いを見せつけられたような気がした陸は思わず眉をしかめた。
ここは、自分がいて良い場所ではなかったと海に誘われてはいたが断ってさっさと学校へいこうと彼らに背を向けた。
そっと、彼らとの距離を広げていく。
「………予習に間に合わないの。馬鹿な貴方と違ってッ」
触れられたことにお怒りなのだろか、天は普段のような氷の雰囲気を取り戻して不適に笑みを溢した。・・・情緒不安定なのかと陸は心配になる。でも、逃げる足を止めることはない。
「それは、仕方ないね。」
なんか、二人が笑顔のメンチ切り始めた。
(……なんなんだ。痴話喧嘩か?)
面倒ごとを避けるように一応彼らの視界の範囲外まできたことを確認し、そこからは早歩きで二人を置いて歩き出していると、先ほどの罵り合いはどこへやら二人がいつのまにかに隣に一緒についてきた。
それも、わざわざ陸の歩幅に完全に一致していた。
(えぇ、三人で行くの?てか、ええ!?)
訳がわからない。
それ以上に、二人と陸との距離はそれなりにあったはずだった。なのにである、まるでたった一歩で追いつかれたと思わせるほどの早さで隣にいるのだ。
二人には、走った様子は見受けられず、汗一つ無い。
ゾッとしたような冷たい冷気と驚いた熱を左右から感じた。
◇
三人組の家から古宮高校までは徒歩で30分ほどの時間を要する程度だ。
だが、今日はなぜかその時間が異様に長く感じていた。
原因は主にあの二人だ。
いや、会話の種を一切切り出さずにただ進む陸の方にも多少なりにも落ち度があるのかもしれない。
しかし…だ。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
(なんで、こうなった?)
ほとんど一年ぶりくらいに一緒に登校したのは良いが一切の会話はなくまだ朝早いため聞こえる音と言えば三人の足音くらいだ。
それは、静謐というより嵐の静けさのようなものである。
天と海の雰囲気が最悪過ぎた。
勝手に仲が前のように良いと思っていた陸はこの気まずい空気の中で戸惑っていた。
非常に怖い、地雷原を恐る恐る歩くようなそんな感覚。
話題、なにか話題はないのかと頭の中をフル回転して、会話デッキを構築しようとするも下手に衝撃を加えるのもどうかと熟考する。
少なくとも、地雷処理車並みの耐久性を所持していない陸には全てを踏むような真似はしたくない。
「ん?」
ふと、話題を見出すためにあたりを見渡していると道を塞ぐように張り巡らされた黄色いテープが立ち入り禁止のテープが視界に入った。
昨日はなかったはずだった。
事件でもあったのだろうか、と思わず足を止めた。
「何かあったのかな?」
「……みたいだね。最近、ヘンな事件多いから、気をつけなくちゃ。」
「……早く行きましょう。」
陸が止まると二人は、彼を置いて二、三歩だけ進むと首だけを振り向く。変に早口で二人は陸にここから離れるよう急かした。
その様子に陸は、違和感を感じた。
だが、それを問い詰めるよりも先に二人は、せかせかと歩みをやめなかった。
「そうだな。」
最後にもう一度だけ、規制線へと向けると何もなかったはずの道に人が一人佇んでいた。
月下の如く輝くような銀色髪を靡かせて、豪奢な黒いドレスを見に纏い、こちらを一点に見ていた。
陸も彼女から視線が離れられないでいた。
美しい人だ。ハーフなのだろうか。
ただ、ぼんやりとそんなことが頭に浮かぶ。
「………た」
少女は小さな唇を震わせて何かを発しているようだった。しかし、声は届かない。
(ん、今なんて?)
「リク?」
身を乗り出して聞こうとした途端、海の声で我に返った。振り向くと心配そうにこちらを見つめる二人の姿があった。もう一度、少女の方を見ると神隠しのようにだれもいなかった。
「どうかしたの?体調悪い?」
「いや、なん、でもない。」
「そう?」
「うん」
天は少し、訝しむように顔を傾ける。
(しかし、それよりもあれはなんだったんだ。もしかして、ホラー?
……あとで塩で清めなきゃ。)
先を行く二人に追いつく。少しだけ、空気が軽くなった気がしなくもない数年ぶりの他愛もない雑談にでも興じるのも悪くはないだろう。
(うん、その方がいい……別に怖くない。うん、全然。なんなら、一人で学校に行ける。………帰りも一緒に帰ってくれないかな。)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます