第10話 くらえ、百人一首の選者の暗号!
めくれ上がった夜具の中に腕を入れて抱き寄せた。
「これが最後だ。少しだけ許せ……」
背から腰にかけてのすべすべの肌を撫でさすった。匂いを肺の深くまで吸い込む。
あのひとがハルヒの歳の頃に出会えていたら、オレたちの歳がもう少し近かったら、オレたちの恋路は違っていたろうか?
いや、あの19歳の正月、「疫神に奪われなくてよかった」と言ってくれた日、御簾を蹴破っていれば。
それができなかったのだから。
あの言葉に込められたあのひとの深い想いを汲めなかったのはオレだ。
「生きていてくれてよかった。見た目が変わったとしてもそんなの問題じゃない」
そういう意味だったはずだ、オレの結婚に泣くほど傷ついてくれたのなら。
薦められるままに任官に有利な女と結婚してしまった、オレの……不甲斐なさだ。
「百人一首、オレは97番。曲がりなりにも選者だからな。オレの歌の下の句、やくや藻塩の身もこがれつつ……句頭の『やく』はもちろん『焼く』なんだが、込めた思いは『89』、『89番のひとよ』って意味だ。オレが身を焦がしながら待っているのは、オレより8つ前にいる89番目の人……、いつまでたっても手の届かない、『玉の緒よ たえなばたえね 永らへば 忍ぶる事の よわりもぞする』と詠んだ人だ」
ハルヒの頬に手を置いて口づけした。「それがおまえなんだよ」との思いを込めて。
820年経っても届かないこのオレは、砂塵となってこの天界もろともどろどろの海に落ちていく。
オレのハルヒ、オレのイザナミ、オレの……式子、頼む、最後の願いだ。
「もう忍ばなくていい。秘めなくていいんだ。誰にバレたっていい。大声で叫んでくれ。おまえが恋したのはオレだって……たった一度で……いいから。嘘でも……いいから……」
何も言ってくれないひとに、キスを続けながら想いをぶちまけた。
「おまえに恋したからあんなに歌が詠めた。藤原定家が名を成せたのも、この言霊の幸はふ国に詩歌が満ち溢れるのもみな、おまえのおかげだ。ハルヒであり式子である、オレの愛しい女……」
オレの胸に顔を伏せてしまったと思ったら、細い声が上がってきた。
「もう……隠さなくて……いい?」
「ああ、いい。隠せないなら死んだほうがましって、そりゃないだろ?」
「元斎院でも内親王でも?」
「もう関係ないだろ、立場なんて」
式子が目覚めたのか?
「ショタコン少年愛でも?」
ぶはっと吹き出す。これはハルヒっぽい。
「ヘテロだし、いいんじゃね?」
「私が20歳から52歳で死ぬまでって、しつこ過ぎてキモくない?」
「ないな。嬉しい」
「年増で肌の色つやも落ちて出家して病気になって見るに堪えなくなっても?」
「オレの態度変わってたか? 死ぬ瞬間まで傍にいただろ? それとも御簾の中に入って抱っこしていてほしかったか?」
「ほしかった……」
「それは悪かった。また選択ミスだな。だが呼び入れてもくれなかっただろう?」
「だって、もし病気がうつったらいけないと思って……」
「そうか、そうだったな、おまえはいつもオレのことばかり思いやって……、そういう女だった。あ、そうか、もしかして、隠し通せないなら死んだほうがましってあの歌、オレのため?」
女はオレの胸に手をついて伸びあがり、いたずらっぽい笑顔を見せた。
「今さらなの? 定家が歌の意味取れないなんて……。斎院辞した後の私の評判なんてどうでもいいでしょ。そっちは妻帯者なんだから、私のこと想ってるなんてバレたら家庭崩壊でしょう?」
目の前の細い首筋に顔を埋めて唸ってしまった。
「オレのため……か、オレはてっきり雲の上の存在である内親王様がオレみたいな一介の公務員に惚れて恥ずかしいんだとばかり……」
「バカ。死んで760年も暇だったんでしょ、気付かなかったの? いったい何してたのよ」
姫様にバカ呼ばわりされるのはなかなか快感だ。
「おまえ見てた」
「どの転生先も?」
「情念だけだとおまえが探せなかった。頭ができてからだ。魂に乗っかってた記憶が全部脳に移って鮮明になった。頭が情報処理してくれるようになって、しらみつぶしにおまえの転生先を見つけることができた。でもそれからが辛かった。あれはやめたほうがいい。白い部屋で映像見ながら嫉妬するばかりで気が狂う。他の男がハルヒの身体触れるくらいなら殺してやろうと決心した」
「普通は相手を殺すもんでしょ、なんで私を殺すのよ」
あ、これはハルヒだ。
「一緒になりたかったから……」
魔王とは思えない弱っちい声が出て行った。
「ハルヒ、まだ怒ってる?」
「怒りようがないでしょ、なんか新しい記憶の箱が開いて、自分がのりこさんだってわかっちゃったんだから」
「いつ気付いた?」
「もう忍ばなくていいってあなたが言った時」
「あ、それが封印解除のキーワードだったか……、ま、おまえも大概頑固者だ、歌に呪い込めて『忍ぶんだ』と自分に言い聞かせたら800年も忍びやがった」
「うーんと、初めてさだくん可愛いなと思ったのは830年前だったかなぁー♡」
ハルヒがキャラキャラ笑いながらオレの腕の中にいる。もぞもぞしてこそばゆくて、愛しくてどうしようもない。
「なあ、オレの余ってるとこで、おまえの足らないとこ塞いでい?」
ハルヒは目をまあるくしてから、真っ赤になってオレの胸に庇護を求めたが、それは全くの逆効果だった。
―了―
めちゃくちゃハズい死に方したのにイケメンにプロポーズされて800年も好きだったって、それどゆこと? 陸 なるみ @narumioka
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