第9話 800年も片恋したら殺人も犯すんだよ!
朝の光よりも早く、腕の中で抵抗する力に目覚めた。暴れるから夜具があちこちはだけている。ホールドが外れないように魔法をかけておいてよかったと思った。
「知ってたんだから。ダンが好きなのは私じゃないって、誰か遠くの綺麗な人で、階段で転んで死ぬような私じゃないって……」
魔法でなく自分の力で抱き締めるとハルヒの目に涙が滲みだす。
「オレの名はダンじゃない……」
「ダン・ナサーマって名前だって言った。それも嘘?」
「おまえに『旦那様』って呼ばれてみたかっただけだ」
「ひどい、嘘つき、やっぱり魔王!」
胸をどんどんと殴られても解放するわけにはいかない。
「分からないのか、オレの名前……」
「分かるわけないじゃない!」
「そうか……。やっぱり無理だったんだろうな、オレには」
「何が?」
「両想いになること……」
「自分が誰なのか隠して恋が実るわけないじゃん!」
「そうだな……」
こんな言葉の端にあのひとの片鱗が窺えてしまう。
ハルヒのクリアな感性。
あのひとの背中を流れる長い黒髪のように理路整然として、そのうえで情感溢れる、あのひとの歌そのもののような。
「あのね、傷ついてるのはこっち、私のほうなの。なんであなたが落ち込むの?」
「悪い。全てはオレがしでかしたことだ。申し訳ない。オレは理知的なように見えて頑固で激情家で、親も周囲も好きな人も困らしてばかりでな。何も治ってないってことだ。ハルヒと居れば少しはいい人間になれるかと思ったが、それも自己都合だな」
「どういうこと?」
「おまえを殺したのはオレだ……おかしいだろ、階段で足踏み外して死ぬなんて。たんこぶできるくらいが相場だ。あの白い部屋に、魔王の特権として一人だけ、寿命でない者を召喚できるボタンがあったんだ。オレはそれを押して、おまえを呼んだ。おまえが死んだのはそのせいだ」
「ひどい……、そんなの……ない……。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも苦しんでるのに。芽衣だって、田中君だって気に病んで、あの
「すまない」
「足が早く欲しかったから? 下半身が欲しかったからなの?」
「それは、違う。おまえに会いたかったからだ」
ハルヒは信じられないと首を細かく横に振っている。
「償うと言いたいが、第16天界、おまえのいた現世に戻してやることはできない。だが、去年死んだお祖母ちゃんがいるって言ったな? そこへ行くか? 夜が明けたら探し出しておまえを送ってやるから……」
「ここは……どうなるの?」
「第89天界はもとのどろどろのエントロピー海に戻る」
「あなたは?」
「オレのことなどどうでもいいだろう? 殺人犯だぜ」
「やだ」
「やだって何が嫌なんだ? ここはなくなる。祖母ちゃんのとこへ行け」
「全然理解できない。私あなたに殺されたのよね? なんでこんな格好であなたの腕の中にいて離れたくないなんて思ってんの?」
「知るかよ、おまえの気持ちなんて」
離れたくないと言ってもらえてほんの少しだけ希望が湧いた。
「新しい天界を創れと言われたとき、オレはじゃあ第89天にしますって言った。おまえはもう89も死後の世界があるのかって聞いたけど、なんで89だったんだと思う?」
「わかんないよ、そんなこと!」
「気付いてほしかったからだ。89番目の人に」
「あ、それがのりこさん? そうだね、私追い出してのりこさん待ったらいいね」
嫌味っぽく顔を歪めて笑って見せようとしてハルヒの目から涙が落ちた。
「ここはなくなるんだ。ハルヒがいなくなると同時に。それが条件だから。召喚ボタンを押した相手が伴侶になってくれなかったら、オレはその場で消え失せる。おまえはオレに下半身全部と表情と感情をくれて、その上『うん』と頷いてくれた。だから第89天作りを始められた。おまえがいなくなったらそれまでのこと……」
「じゃあのりこさんって誰よ!」
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに やくや藻塩の 身もこがれつつ……」
「百人一首? その人女じゃないよ。確か後ろのほうでなんかクラい歌に囲まれてる」
「少しは知ってるんだな。歌の中の来ぬ人が式子だ」
「じゃ、待ってるんだ。ほんと片想いなんだね、可哀そうに」
棒読みしやがった。
「オレを可哀そうにしてるのはおまえなんだが?」
図らずも、オレの目から涙が零れそうになった。
恋しくて恋しくて、でもまたオレの指の間をすり抜けていく女。
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