第3話 ハザマの愛人



『最近どう?』



ひと月に1回、多くて2回のペースで連絡を寄越す愛人は、付き合いが長いせいかすぐに返事をしなくても文句を言わない。



『相変わらずだな』

『私もだわ〜。近いうちに会えない?』

『平日なら』

『土曜出の代休使えるから休み取れるよ』



夜勤明けで平日の昼間に時間が取れる日をいくつか挙げると、調整するから待って欲しいと返事が来たのを確認してLINEを閉じる。

気心が知れた仲ってのは面倒さがなくて楽な分、気遣いってのをしなくなる。






大学入学当初。ファンだったバンドへの憧れと軽い気持ちで軽音サークルに入った。

軽音サークル、なんてのは名ばかりで、実態はただの飲みサークルでしかなく、サークルメンバーも楽器が弾けないのはまだいいとして好きなアーティストがいる訳でもない、ただ入っただけのヤツが八割だと聞かされた時は自分の事を棚に上げて「こんなものなのか」と少し落胆した。


「今日は新入生歓迎会で飲み会!1年は全員参加!」


やる事はないと聞かされたが仮にも先輩達の手前帰るに帰れず、他の1年と一緒になって壁際に集まってた俺に、正確には1年に向けてか。サークルの中心メンバーらしい集団の中からリーダー格らしい男が言い放った言葉を理解したと同時に口から小さな恨み言が溢れた。


正直に言うと歓迎会は最悪だった。

居酒屋に移動すると貸切だからと大声で騒ぎ出す歳と学年ばかりの先輩には嫌気がさしたし、乾杯の後にリーダー格らしい男が「1年の一発芸大会」なんてバカ丸見えの大声で勝手に盛り上がられて鬱陶しかった。

主催なんて言われても俺も含めて1年は何も聞かされてないから芸なんて出来ないだろうに。それを分かった上で「持ちネタもなく歓迎会に来るとか有り得ない」だ何だと言った挙句男には何をやっても「つまんねーからやり直し」を繰り返して、女には下ネタを強要するか「脱げ」のゴリ押し。

こっちが言われた通りに動けば「ネタだったのに」と責任転嫁して笑い飛ばすまでがお決まりのパターンらしい。


「つまんなくてごめんね」


長い卓の端を陣取ってた俺にケラケラと笑いながら声を掛けてきたのは、必ずリーダー格の男の近くに居たはずの女の先輩だった。


「アイツあんな感じだしノリもちょっと変わってるって言うかさー。でも悪気がある訳じゃなくて盛り上げたいだけだから!誤解しないであげて」


悪気はなくても悪意はあるだろ、とは言えなかった。彼女は本当にあの男を気遣って気にしてる様に見えたから。

彼女が醸し出す行き過ぎるオトコに振り回される可哀想な女ってイメージが、喉まで出かかった苦言を無理矢理飲み込ませた。


「今日の会費は1年は一人5000円な!」


酒が入って更に煩くなったリーダー格の男の声が卓の向こう側から聞こえて来た。どうせこれも言われた通り5000円を出せば「冗談だった」とか言いながら全額持っていくんだろう。


流石に高いと1年の何人かがリーダー格の男に文句を言ってるのが見えたけど、ああいうタイプはオトコもオンナも話を聞かない。むしろ文句言われた事自体を面白がって増長するだけだろ。言うだけ無駄だってのに会費について聞かされてなかった連中は収まりが効かないらしい。


「ねぇ。バックレちゃおうか」


質問でも何でもなく。すぐ横から出された提案は少し意外だった。

会費払わなくていいのかとか。彼氏がいるのに他の男誘っていいのかとか。

聞かなきゃいけない事はあったんだと思う。ただ、その時の俺は自分でも自覚してなかった大学生になった高揚感と酒の浮遊感に酔ってて。

「酔っちゃったから」なんて決まり文句にまんまと釣られたって訳だ。






そんな切っ掛けから10年以上経った今。



「あっ、直人ぉ…」



土木作業員として働き始めてから数年。作業中に怪我をして現場に出られなくなった俺はこれまで避けてたIT系の仕事に転職した。

元々独学とは言えスキルがあったのが幸いして実力主義の今の会社に割とすんなり入社出来たのは有り難かった。


それから、IT系の宿命なのか日勤と夜勤があるのも有り難い。

家に帰りたくない時はそのまま夜勤に移行出来るし、日勤からの夜勤だって嘘を吐けばこうして身体だけの愛人と会う事だって簡単だ。



「ん…、あっ」



社会人になってまだ仕事を転々としてる頃も連絡を取り合ってた彼女とは、何だかんだでまだ関係が続いてる。

互いの仕事や現状をよく知ってる分、最中も甘ったるい言葉一つ発さなくて済むし終わってからもダラダラと甘えられなくていいからとにかく楽だ。

実際は俺も彼女も一時的な欲の捌け口が欲しい時にたまたま近くに居た相手を選んだだけのつもりだったが、楽過ぎて思いの外長く続いただけだけど。


仕事も、家の事も。面倒事も引き摺ってる事も何もかも忘れて欲に没頭出来る相手ってのはいいもんだ。

例えそれが、普段は旦那って立場のオトコとこういう事してる人妻だとしても。


彼女が人妻だって知ったのは俺が大学を卒業してからも関係が途切れず、気付けば恋人でも何でもないままお互いの捌け口に呼び出し合うのが習慣づいてからだった。


「私ね、結婚してるんだ」


終わった後。いつも通り煙草を吹かしてたら突然告白されたから、知ったと言うよりは強制的に知らされたようなものだった。


「だから直人は愛人だねー」とケラケラ笑う姿に大学時代、彼氏がいるのに俺を誘い出して「直人は間男になるのかなー」と冗談めいた口調で言ってたのを思い出した。


「忙しい人だから中々家に帰って来ないんだよね」


そんな理由で、俺は彼女の欲の捌け口になった。


「相手が居ないから溜まる」


そんな理由で、彼女は俺の欲の捌け口になった。

切っ掛けも軽ければ続いた理由も軽いもんだ。






「奥さんは相変わらず?」

「まあ」



俺の結婚生活に愛だの恋だの好いた惚れただのがひと欠片も無いと知ってるこの愛人は、終わった後に決まって家庭話を振ってくる。

現実を突き付けられてる様な気がして、でも動揺してるとは知られたくなくて煙草を吹かす。終わった後の煙草癖は彼女が切っ掛けだったか。



「例の子は?」

「…まあ」



聞かないで欲しい事しか聞いてこない。この愛人のこういう部分だけはどうしても受け入れられない。

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硲直人(ハザマ ナオト)の恋 緒環 兆 @odamaki0714

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