④ 『絶品』
驚いていた。
普段はあまり表情を顔に出さないジェノが、目を大きく見開いて。
けれど、それも仕方のないことだろう。
メルエーナも、こんなに美味しいキッシュは食べたことがない。
敬愛する、元料理人の自分の母も素晴らしい料理を作るが、ほうれん草とベーコンが主のシンプルなこのキッシュに限れば、ここまでの味は出せないのではないかと思う。
このキッシュは、ベーコンとほうれん草とキノコを食べやすい大きさに切ってそれらを炒めてから粗熱を取り、卵と生クリームを混ぜ合わせ、型に広げたパイ生地の上に流し込んで焼くという過程を経て完成する料理である。
普段料理をしない人ならば分からないが、少し料理経験があれば、それほど難しい料理ではない。
だがそれは、それなりの味で作る場合の話だ。
シンプルなこの料理を、ここまで美味しいと感じさせるために、どのような工夫をしているのか想像もつかない。
そして、きっとそれはジェノも同じだろうと、メルエーナは思う。
「やっぱり、ルーシアの料理は美味しいわねぇ」
驚愕するメルエーナ達とは異なり、バルネアはとても幸せそうにキッシュを味わっていたが、「ああ、なるほどね。流石はルーシアだわ」と呟く。
そして、子供が親に何かをねだる時のような目を、驚いているジェノに向ける。
「ねぇ、ジェノちゃ……」
「駄目です」
ルーシアの料理に驚愕していたジェノだったが、バルネアが何かを口にする前に、ばっさりと切り捨てた。
「ううっ。ジェノちゃん、お願いよ。あと一品。一品だけでいいから、私にも料理を作らせて! こんな工夫を見せられたら、私、もうじっとしていられないわ!」
「そうやって、また料理を山のように作るつもりですか? 今回は大人しく、ルーシアさんの厚意に甘えましょう。それに、考えてみれば、明日の仕込みと先程の料理で、もう食材はあまり残っていないはずですし」
ジェノは嘆息混じりに言うが、バルネアは諦めない。
「大丈夫よ。まだ、じゃがいもと牛ひき肉が残っているから! それだけあれば問題ないわ」
「ですから、作れるかどうかの話ではなくてですね……」
ジェノは今にも厨房に駆け出しそうなバルネアを窘める。もちろん、それにメルエーナも加勢する。
「バルネアさん。ジェノさんの言うとおりですよ。ルーシアさんがせっかく私達のために作ってくださっているんですから」
「……ううっ、だけど……」
普段は、ここまで言えば納得してくれるはずなのだが、今日はなかなか折れてくれない。
それほど、バルネアにとって、ルーシアは特別な存在なのだろう。
何とかジェノと一緒に説得を続け、未練そうにはしながらも、バルネアも大人しくキッシュを食べるのを再開してくれた。
「こんなに敵愾心を顕にするバルネアさんは、初めてです」
小声でジェノに言うと、「俺も初めてみた」と言葉が返ってきた。
普段はのんびりと、そしておっとりしているバルネアさんの見たことのない姿に、メルエーナは驚いた。けれど、普段はあまり見せない感情を素直に自分達に見せてくれたことが喜ばしい。
ジェノだけでなく、自分も、『お客さん』ではなく、『家族』の一員として考えてくれている。そのことが、とても嬉しかった。
「二人共、よくぞそいつを押さえつけておいてくれたわね。おかげで、美味しい料理ができあがったわ」
そんな声とともに、ルーシアは丸い大きなグラタン皿を敷板ごと持ってテーブルまでやってきた。
「ふっふっふっ。バルネア。あんたの最後の希望だった、じゃがいもとひき肉も使い切ってやったわ」
「……うううっ。いいわよ。二人には、私が明日、もっと美味しい料理を作って食べてもらうから」
「ふっ、負け惜しみね。そんなセリフは、これを食べてからにしてもらいましょうか!」
ルーシアがテーブルに置いたのは、茶色い焼き目が美しく、先程のキッシュ以上に香り高い料理だった。
「特製のアッシ パルマンティエ。私のこういった家庭料理は、うちの店でもまかないでしか出さないの。それを食べられるとは、運がいいわよ、あなた達」
得意げにそう言い、ルーシアは笑みを浮かべる。
アッシ パルマンティエ。
炒めたひき肉にマッシュポテトを重ねて焼くグラタン料理。どこの家庭でもおなじみの料理だが、やはりルーシアが作ったものはその香りが段違いに素晴らしい。
ただでさえ、焼けたチーズの香ばしい香りが食欲を誘う料理なのに、これはたまらない。
食べてから少し時間を置いたとはいえ、先程のキッシュで、かなりお腹がキツくなってしまっていたメルエーナも、その香りと見た目に、思わず、ゴクッとつばを飲み込んでしまった。
「さぁ、召し上がれ」
ルーシアが個別に取り分けてくれて、みんなで魅惑の料理を口に運ぶ。
そして、再びメルエーナとジェノは言葉を失った。
焼けたチーズとじゃがいもの相性は、それだけでも最高だ。それなのにこの料理には、更に牛肉の旨味まで加わるのだ。
はふはふと、口を火傷しないようにしなければいけないほど熱いのだが、スプーンが止まらない。
横目で確認すると、バルネアだけでなく、ジェノまで自分と同じようにスプーンを忙しなく動かしている。
美味しい。けれど、そう口にする時間が勿体ないほど、次々と食べたくなってしまう。
「ふふん、どう、バルネア。私の料理の味は?」
ルーシアは、ニヤニヤとした笑顔をバルネアに向ける。
「うっ、うううっ……。……おかわりを頂戴、ルーシア……」
悔しげなバルネアのその言葉に、ルーシアは満面の笑みを浮かべる。
そして、それを見て微笑むメルエーナとジェノ。
「ほらっ、あなた達もおかわりが必要でしょう?」
ルーシアの上機嫌な声での問いかけに、メルエーナ達は、瞬く間に皿を綺麗にしてしまったお互いを見て、苦笑交じりにその申し出を受けることにするのだった。
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