③ 『遅い夕食』

 もう夕食を食べてしまった家庭が多かったが、あのバルネアの料理ということもあり、近所付き合いのある家は、誰もがお裾分けを喜んで受け取ってくれた。


 けれど、メルエーナと二人で、各家庭に料理を取り分けて配り終えた頃には、もう夕食時というにはすっかり遅くなってしまった。

 ジェノも空腹を覚えたが、それよりも先にやらなければいけないことがある。


 すっかり片付いた、厨房に一番近いテーブルに座るバルネアとルーシアに、ジェノは歩み寄った。


「……バルネアさん。旧友と再会して盛り上がるのは結構ですが、少しは加減をして下さい」

 しゅんと、申し訳無さそうに顔をうつむけるバルネアに、ジェノは心を鬼にしてお説教をする。


「ううっ。ごめんなさい、ジェノちゃん……」

 バルネアが反省しているようなので、そして、お客様の前ということもあり、ジェノもそれ以上は何も言わないことにした。


「あっ、あのバルネアが反省している……」

 黙ってジェノとバルネアのやり取りを聞いていたルーシアが、目を大きく見開いて驚きの表情でそんな感想を漏らした。


「申し訳ありません。挨拶が遅くなりました。私は、ジェノと申します」

 ジェノはルーシアに今更ながらに頭を下げ、自己紹介をする。


「これはご丁寧にありがとう。私はルーシア。<銀の旋律>という店の料理長をしているわ。そして、このバルネアとは、腐れ縁のライバルなの」

 ルーシアは静かに席を立ち、年下のジェノにも丁寧に挨拶を返してくれた。


「腐れ縁なんてひどいわ。私達は大親友じゃあなかったの?」

「私は、あんたのことを友達なんて思っていないわよ!」

 涙目で縋り付いてくるバルネアを、煩わしそうに引き離そうとするルーシア。


 だが、言葉とは裏腹に、ルーシアも心からバルネアを嫌っているわけではないことは明らかだ。

 ジェノの目には、じゃれ合っているようにしか見えない。


「ジェノさん、洗い物が終わりました」

 メルエーナがエプロンを外して、ジェノの横の席に座る。

 ジェノと膨大な料理を個別に取り分けるのを手伝ってくれた後、彼女は一人で大量の皿を洗い続けてくれていたのだ。


 バルネア、そしてお客様であるルーシアまで、流石に悪いと思ったのかメルエーナの手伝いを申し出てくれたのだが、そこで再び料理対決の流れになりそうだったので、ジェノが二人には客席でじっとしているように言い、現在に至るわけである。


「すまなかった、メルエーナ。だが、助かった。礼を言う」

「いえ。私こそ、ジェノさんが帰ってきてくれて助かりました」

 メルエーナはそう言って苦笑する。


「ですが、ジェノさんの夕食が遅くなってしまいました。簡単な物でも作りましょうか?」

「いや、それくらい自分で……」

 ジェノは自分で料理を作るつもりだったが、そこでルーシアが口を挟んできた。


「待ちなさい。私が作るわ。迷惑をかけてしまったお詫びに、美味しいものを作るから」

 ルーシアはそう言って席を立つ。


「それなら、私も!」

「バルネアさん」

 ジェノの低い声に、バルネアはシュンとして、「はい。おとなしく待っています」と心底残念そうに言う。


「あははははっ。いいわ、いいわよ、ジェノ。しっかりその天然バカを抑えておいてね」

 ルーシアは心底楽しそうに笑い、厨房に足を進めていった。


「ううっ、ルーシアったらひどいわ」

 頬を膨らませて怒るバルネアに、ジェノは小さく嘆息する。


 バルネアのことを、ジェノは心から尊敬している。だが、この人の天真爛漫さというか、全く予想のつかない言動や行動には、流石に疲れる時がある。


 そんなバルネアと、昔からの付き合いのあるらしいルーシアの苦労を考えると、少々同情したくなってしまう。


 メルエーナが、拗ねるバルネアにフォローを入れてくれたおかげで、バルネアの機嫌は瞬く間に良くなった。そして、「ルーシア。私もお腹空いてきたから、私とメルちゃんの分もお願いね」と、厨房に声をかける。


「やかましい! 心配しなくても初めからそのつもりだから、大人しく待ってなさいよ!」

 そんな怒声が厨房から返ってきた。


「メルエーナ。食べられそうか?」

「あっ、その、はい。少しだけなら……」

 メルエーナは恥ずかしそうに言う。


「ふふっ。相変わらず仲がいいわね、ジェノちゃんとメルちゃん」

 バルネアが不意にそんな事を言い、柔らかく微笑む。

 その笑顔を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってしまうとジェノは思う。


 そして、しばらくすると、ルーシアが料理を運んできた。


「お腹が空いているでしょうから、まずはこれを食べておいて。あっ、バルネア。パイ生地を一枚使わせてもらったからね」

 ルーシアはそう言い、ジェノ達の前に料理を置く。


 ジェノはその料理に驚いた。

 眼前の料理は、ほうれん草とベーコンのシンプルなキッシュ。だが、素晴らしく香りがいい。自分が作ってもこのような香りを出せる気がしない。


「ああっ、いい香りね」

「本当に。とても美味しそうです」

 バルネアとメルエーナもその香りを楽しみ、相好を崩す。


「さぁ、熱いうちにどうぞ。私はメインディッシュを作っているから、残りは適当に分けてね」

 個別の皿の他に、大皿に残りのキッシュを配膳し、ルーシアは再び厨房に戻っていった。


「それじゃあ、頂きましょう」

 バルネアに言われ、ジェノは食事前の祈りを口にする。


 やがて食前の祈りを終えたジェノは、他の二人と一緒にキッシュを口に運ぶ。

 そして、ジェノは言葉を失うのであった。

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