第40話 10
「酷い……。こんなの、あんまりだよ……」
文化祭当日、上映の準備をする予定で集まった彼らは、わざとらしく開けっ放しになっていたノートパソコンのディスクドライブを見て絶望していた。
犯人は、疑う余地もなく映研だ。しかし、その証拠はなく、仮に見つかったとしても本家に足の着くような真似を山口という男はしない。
「う、ウォズさん、バックアップはあるんですか?」
「三日前の物になるよ。ずっと徹夜だったし、昨日も出来上がってすぐにここに持って来たからね」
答えを聞いて、その場に崩れ落ちる女子四人。ミゲルとウォズも、俯いて強く歯を食いしばっている。やがて耐えきれなくなったのか、ウォズは積んであった机を思い切り蹴飛ばした。未完成のままでは、到底勝つ事など出来ないと分かっているからだ。
「映研の奴ら、ここまでやるって言うの?絶対に、絶対に許せない……ッ!」
「こうなったら、連中の弱みを公開してやろう。目には目を、歯には歯をだ」
クロエに呼応するように、ミゲルが怒りの声を上げた。頭に血が上ってしまって他に何も考えられない彼らは、ミゲルの後に着いて宿直室へ向かおうとした。
「待て!」
そんな混乱の最中、勘九郎は声を張って彼らを止めた。静かにドライブを閉じて、ノートパソコンとプロジェクターを分ける。
「……役者組は、予定通り中庭にこいつを設置しに行ってくれ」
「何言ってんだよカントク!最初の上映まで、三時間もないんだぞ!?そんなことしたって、もう映画は……」
その言葉を、首を横に振って遮った。
「観客は、エンターテイメントを待っているんだろ?なら、俺たちは最後まで出来る事をやるんだ」
言って、ノートパソコンをミゲルに手渡す。そして、大きく息を吸い込むと、全員を見据えて言い放った。
「俺は、お前たちを頼った。だから、ここは俺を頼ってくれ」
「何を、する気なんですか?」
「映研に行く」
その言葉を聞いて、立ち上がったメンバーは無茶だと反対をした。当然だ。これは確実に罠。役者組の暗躍から始まり、街で手伝いをしてくれたエキストラまで。映画を見に来ると約束した人数だけで軽く文化ホールのキャパシティを超えてしまっている。全校を巻き込んで行った撮影も、全てが今日の為に綿密に積み上げた計画だ。だからこそ、映研は最後の手段に出たのだ。
しかし、座ってその言葉を聞いていた者が一人。
「……わかったよ」
そう呟いたのは、エリーだった。
「行ってらっしゃい、カントク。私、信じてるよ」
「信じてるって、あんた前にあった事忘れたの!?」
「それでも、信じてる。大丈夫だよ、ミア」
信じている。それを口にしたエリーがあまりにも気高くて、だから誰も彼女を否定する事は出来なかった。
「さ、準備して中庭に行こう」
言って、エリーは迷いなくコードをまとめ始めた。勘九郎はそれを見ると、立ち尽くす彼らに「任せろ」と呟き、強く目を閉じてからスタジオの外へ出て行った。
向かう先は、文化ホール。設営の為に入口を往ったり来たりする映研のメンバーたちは、入口に立つ勘九郎を見ると目を
「山口はいるか?話がある」
訊くと、その生徒は無言で扉の向こうを指さした。
「ありがとう」
言って、単身で中へ入っていく勘九郎。受付を越えて奥へ進んでいくと、両開きの赤い扉に行き当たった。勘九郎は意を決して中へ踏み込むと、そこにはスクリーンのある壇上に座る山口千の姿があった。
「……余興はもういいだろう。俺たちの映画を返せ」
「はて、何の事やら。変な言いがかりは止めてもらいたい」
悪い笑みを浮かべて、見下す山口。しかし、勘九郎が何も言わずに真っすぐと見据えていると。
「ふん、つまらないな。もっと無様に踊るんじゃないかと思ったんだが」
そいう言って、胸元のポケットからディスクを取り出した。
「こいつが、正真正銘のマスターテープだ。中を見たよ、いやはや、実に素晴らしい出来だった。座頭市学園の歴史上でも、ここまでの傑作は存在しないだろう」
何のつもりだと、勘九郎は訝しむ。山口は、そんな彼の思惑を切り裂くように笑い声をあげた。
「だが、無意味だ」
そして、そのディスクを両手で持つと、真っ二つに割った。
「くく……。くっはっはっはっはっは!!大人しくしておけばいい物を。これでお前は、永遠に俺に台本を提供し続ける犬となるんだ!これで、全てが俺の物だァ!」
瞳孔を開き、高らかに悪逆の宣言を口にする。しかし、舞台袖から突然、彼を否定する言葉が届いた。
「いいや、そうはならない」
それは、水面に落ちた雫の様な、静かな声。しかし、確実に山口の気を削いだその声の方向を見ると、そこには。
「……なんだって?よく聞こえなかったな、一ノ瀬」
――必ず、ホールに来てくれ。
瞬間、勘九郎は理解した。今朝のたった一言の電話が、誰からのモノであったのかを。非通知で届いたその言葉に心当たりがないわけではなかったが、今まで確信は持てなかった。
しかし、彼はそこに居る。一ノ瀬陽は、そこに居るのだ。
「そうはならないと言ったんです。部長、あんた少しやりすぎですよ」
「何を世迷言を。勝つための手段に、やりすぎるような事はないだろう」
「あんたはッ、映研の部員を誰一人として信用していないッ!」
叫び声は、静まったホールに木霊した。
「俺だって外道です。部長のやり方に、憧れた事だってありました。でも、今回は吐き気を感じましたよ。……人を信じて、それに応える為に役割をこなして、何度どん底に叩き落とされても進み続けて、その果てにようやく完成させた奴らの作品を、俺たちのような外道が壊していい訳が無いッ!」
「なんだと……」
「あんたは、一度でも俺たちの作品に目を通したのか!?」
山口は、その言葉を否定することが出来なかった。何故なら、最初から勘九郎に勝つ事など出来ないと思っていたからだ。
コンクールに向けた勘九郎の台本を自分の名前に変えたあの日、山口は自分が堕ちていくのと同時に、苦労などなく最高の力を手に入れる感覚を知った。コンクールの功績によって部長に就任してからは、総指揮の名のもとに部員から全てのシナリオを謙譲させていた。
だが、いくら新しい映画を作ろうと、勘九郎の幻影が彼の中から消える事は無かった。何を見ても、勘九郎のアイデアに勝るモノだと思う事が出来なくなってしまったからだ。
その結果、過程を全て蔑ろにして、映画に対する評価だけを欲するようになり、遂には好きだったはずの映画を見る事もなくなってしまった。
彼もまた、勘九郎に魅せられた一人であったのだ。
「でも、もう終わりです。映研は、俺が継ぐ」
一ノ瀬は、ケースに入った一枚の白いディスクを勘九郎に投げ渡した。その様子を見て、山口はうな垂れ床に膝をつく。負けを確信したような態度だったが、一ノ瀬はそれを少しも気にしなかった。
「……下っ端が献上する前に、ダビングしたんだ。そいつを持って、とっとと中庭に行きやがれ」
受け取ると、勘九郎は何も言わずに踵を返して出口へ向かう。
「篤田ァ!今回の映研の映画は、全員で力を合わせて作り上げた傑作だ!お前らに負けているだなんて、これっぽっちも思っちゃいない!」
「そうか、なら期待しておこう。上映を楽しみにしているぞ」
振り返らず手を上げ、足を止めない勘九郎がの背中が、一ノ瀬には雲の上よりも霞んで見える。どうしてそんなに強くいられるのかが気になって、彼は思わず拳を握りしめた。
「……最後に聞いていいか?」
扉に手を掛け、背中を向けたまま聞く。
「どうして、何も言わないんだ?一つくらい、言い返すのが人ってモンだろ」
すると、勘九郎は扉の向こういる者たちを見て、呟くように言った。
「俺は、映画を作る。ただ、それだけだからだ」
そして、勘九郎は出て行った。
「……待っていろ。必ず、追いついてみせる」
一ノ瀬は、割られたディスクの半分だけを手に取り、それをブレザーのポケットにしまった。今日のこの気持ちを、絶対に忘れないように。
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