第41話 11

 ……勘九郎は、一度スタジオに戻って中身を確認していた。全編を通して見返しても、作り上げた時と全く同じ映像であった。一ノ瀬は、本気で勘九郎と正々堂々の勝負をしようとしていたのだ。



 「マズイな」



 時計を見ると、既に開会式が始まってしまっている。急いでディスクをケースに仕舞うと、鞄に入れて立ち上がった。



 「……そうだ」



 勘九郎は、突如として思い立つと、鍵の束から一つを選んで金庫を開けた。中にはやはり、大量の白いディスク。全てが誰かの物語で、これまで勘九郎を支え続けてきたアイデアたちだ。だが。



 「今まで、ありがとう」



 勘九郎は、もう一人ではない。自分の知らない事は、他の誰かが教えてくれる。それを知ったからこそ、彼の孤独の象徴ともいえるこのディスクは、最早不要なモノだ。

 それに、本当はエリーが昔の話をしてくれた時に、全て捨てるべきだったのだ。もう、知らない事を知る術は、すぐ近くにあったのだから。



 ビニール袋に詰めて、校舎裏の水道で水を掛け、そして足で踏んで全てを消去した。袋の中には、もう再生出来るディスクは一つもない。



 ……さぁ、行こう。



 観客が、映画を待っている。それ以上に、仲間たちが待ちわびている。だから、一刻も早く辿り着く為に、勘九郎は中庭へ走った。



 × × ×



 「それでは、我々妄想ディレクションの勝利を祝って、乾杯だ!」



 現在は二日目の夜。彼らは、文化祭の後の祭りの真っ最中だ。

 彼らは映研どころか全ての部活動に圧倒的な大差をつける観客動員数を叩き出した。中庭にはとんでもない数の人が押し寄せて、エンターテイメントどころか学園内のトラフィックを完全にジャックしてしまう異常事態を発生させたのだ。



 彼らはジュースの入ったグラスを片手に、スタジオでこれまでの苦労を称え合った。決して楽な道ではなかったが、それを楽しかったと笑っている。勝利は、結果にしか過ぎない。本当に大切なモノは、やりきったという絆だった。



 「そう言えば、勝った方が何でも言う事聞かせられるって言ってなかった?カントクは、映研に何を命令するのさ」



 ウォズが聞く。



 「そうだな。……カメラの一台でも進呈してもらおうか。二つあれば、より良い映像が取れるぞ」



 聞いて、やはりそんな事かとメンバーたちは笑った。



 「ほんと、ブレないですね」



 「でも、それがいいんじゃないかな」



 納得したように、全員は頷く。すると、少しの沈黙。さっきまでの盛り上がりとは対照的な空気が訪れた。



 「……俺、みんなと映画撮れてよかったよ。本当、楽しかった」



 噛みしめ、僅かに目を潤わせたミゲルが小さく言った。

 彼は、この映画を最後に妄想ディレクションを抜ける。センター試験まであと二ヶ月を切っているのだから、演劇部を抜けたアディショナルタイムにしてはむしろ長すぎたくらいだ。



 「カントク、来年はもっと凄いのを見せてよ。文化祭、絶対に遊びに来るからさ」



 本当は、全員が引き留めたかった。しかし、もっと強い想いでここに残りたいはずのミゲルが言ったのだから、それだけは口に出してはいけないと固く誓っていたのだ。



 「当然だ。それに、また必ずお前を迎えに行く」



 何よりも勘九郎らしい言葉。聞いて、ミゲルは込み上げる感情を抑えるのに必死だ。



 「……ありがとう。俺、大学でも役者続けるよ」



 言って、彼は精いっぱいにに笑って見せた。メンバーは、その表情に胸を打たれて再び沈黙に陥ってしまったが。



 「ほら、寂しいのはこれくらいにしましょ。カントク、また乾杯してよ」



 雰囲気を打開するように、ミアが立ち上がって言った。



 「……そうだな!それでは、勝利とミゲルの門出を祝って、乾杯!」



 「かんぱーい!」



 中身が飛び散る程に強くグラスを当て、再び彼らは笑った。しかし、ミゲルはどうしても涙をこらえきることが出来なかった。隠す事も出来ない、ただ笑顔に光る切ない涙を見ると、勘九郎とウォズは頷いて、両側から肩を抱き合ったのだった。



 × × ×



 あれから一週間。勘九郎は一人、スタジオ内の修繕作業をしていた。今日から、クリスマスに向けた新作の撮影の準備を始めなければならない。余韻に浸る時間はもう終わりだ。



 これからはどんどん寒くなって来るから、隙間の空いた壁を塞がなければならない。だから、釘を打つ高い音が第三旧校舎内に響いていた。

 その内、暖房器具を設置しなければと、そんな事を考えながらひたすらにトンカチで叩き続ける。彼の小手先の器用さは、留まる事を知らない。



 妄想ディレクションは、とうとう学園の巨頭と呼ばれる確固たる地位を確立した。その事実は雷のように全校を駆け巡り、最早知らない者は一人もいない常識にまで上り詰めたのだ。

 しかし、その隣でもう一つ、叫ぶような産声をあげた作品があった。言うまでもない、一ノ瀬のモノだ。



 彼らの上映した映画、『ロマネスクの学園』は、勘九郎の物語をベースにしながらも、中世という全く別の舞台で繰り広げられるラブコメディであった。それは、一ノ瀬が本筋を辿る勝負と過去との決別の二つの意味を込めて書き上げた、珠玉のシナリオ。妄想ディレクションには届かなかったものの、未来の成長を期待させる素晴らしい名作であった。



 そして、これから先の座頭市学園のエンターテイメントは、妄想ディレクションと映研によって更に盛り上がるだろうと誰もが予感していた。互いに力をぶつけ合い、互いを高め合う相乗効果を思うと、期待に胸が膨らんでくる。次はまだかと待ちわびる声は、両者に与えられる事となるだろう。



 閑話休題。



 「おはよ、カントク」



 一番にやって来たのは、エリーだった。彼女は挨拶をすると、部屋の隅で作業をする勘九郎の元へ向かい、隣にしゃがんでしばらく作業を見ていた。

 修繕が完了すると、勘九郎は立ち上がりベニヤの感覚を確かめた。これなら、少なくとも風が吹き込むことはなさそうだ。



 「……ねえ、カントク?」



 終わりと共に、エリーは勘九郎に体を寄せる。



 「どうした」



 「私の事、好き?」



 「あぁ、好きだぞ」



 言われ、幸せそうに笑うエリー。腕に抱き着くと、じっと彼の表情を見た。



 「じゃあ、今日の夜ご飯作ってあげるよ。嬉しい?」



 「嬉しいが、夜は親が心配するだろう。……というか、一体これは何のやり取りだ?」



 「別に何でもないよ。こうしてると、楽しいの!」



 エリーは、少なくとも今は勘九郎を独り占めにする時ではないと知っていた。しかし、だからと言ってただずっと待っているような事はしない。これまで以上に近くで支えて、そしていつの日か、しか言えなかったあの言葉を伝えたいと思っている。



 「そうか、なら好きなだけ楽しんでくれ。ところで、次の映画なんだが」



 そう言って、鞄の中からいくつかの台本を撮り出す。どれもクリスマスらしい、雪と幻想を題材にしたファンタジックなモノだ。



 「主演はミアに任せようと思う。それに、新しく男の俳優を一人勧誘しなければならないな」



 「そうだね。絶対、素敵な映画にしようね!」



 そして、二人は笑い合った。それから間もなく、スタジオの扉が開かれた。下で合流したらしく、全員が揃っている。賑やかしいが、既に浮ついた雰囲気はない。目標に向けて気合を入れた、覚悟ある表情だ。



 「……行こう。『新しい世界』に」



 エリーを誘い、皆の元へ歩いていく。次の理想を追い求める為に。次なる戦いの為に。



 見る者すべてを、妄想へ誘う為に。

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