第39話 9

 「……つ、次の映画の練習?」



 「違う」



 「えっと、あの実はあのガムの事でした~、的な」



 「違う」



 「えっと、えっと。じゃあ……」



 「お前が看病してくれたあの日から、俺はずっと姉崎絵凛が好きだったんだ」



 突然の言葉に、上手く喋る事が出来ない。思うように、息が出来ない。



 「みんなに言われたんだ。エリーの気持ちを考えろ、と。だから、凄く真面目に考えたんだ。……今のは、そのアンサーだ」



 すると、彼女は一度息を吸い込んだ。しかし、手放しで喜ぶ事をあの出来事が許さず、フラッシュバックするのは血を吐く勘九郎の姿。少しずつ漏れていく空気を抑える様に俯くと。



 「だ、だったら……」



 呟き、涙を流した。



 「だったら、なんでキスしろなんていうのよ……ぉ!わたし、本当に……!」



 その声色を、何に例えようか。喜ぶようで、心配するようで、怒るようで、甘えるようで。全てが絡み合って、何かを探すように震えていた。だから、勘九郎はエリーの元へ跪くと、抱き寄せて頭を撫でた。



 「……悪かった」



 「ひっ……。なんで、一番に言ってくれないのよ……ぉ。なんで、あんな心配させるのよ……ぉ。ひっ……。本当に辛かったんだから……ぁ、本当に悲しかったんだから……ぁ!」



 勘九郎のシャツを濡らし、静かに泣き続けるエリー。しゃくりあげると背中を優しく叩かれて、だからその度に強く体を寄せた。一人よりも寂しい事があると知ったから、勘九郎に奪われた体温を、勘九郎から欲しがったのだ。



 「わ、わたし、カントクなんて大っ嫌い……。ひっ。絶対に、許してあげないんだから……ぁ。だい、きら……」



 しかし、二度目は言葉にならなかった。その理由だけは、勘九郎にも分かったようだ。



 だから、彼女の唇にキスを落とした。は種も仕掛けもない、本物のキスだ。



 × × ×



 テストが終わり、数日後の宿直。勘九郎はやはり作業をしていて、その隣にはエリーが座っていた。メンバーの集まる前、彼女は本棚にある資料を手にとっては勘九郎に寄りかかり、それがどんな映画なのかを訊く。そんな事ををずっと繰り返していた



 彼らは恋人同士ではない。しかし、もう同じ映画を作っているだけの仲間ではないのも確かだ。ただ、何以上で何未満なのかは、本人たちにも分からない。そんな関係が、彼らには心地よかった。

 エリーは、勘九郎の真剣な横顔が好きだ。その癖に、ずっと見ていると自分だけが心を奪われてしまう気がするから、こうして彼の集中力を乱す。もちろん、映画はほとんどが完成しているのを、エリーも理解している。



 やがて、チームメイトが全員集まると、全員で最後の作業に取り掛かった。映像とポスター。それぞれに班を分けて進めていくと、先に仕上がったのはポスター班であった。



 「制作、完了しました!そっちはどうですか?」



 「そろそろだよ。後は、細かい修正をしていくだけ」



 「よくやった!当然、一番いい紙に印刷してくれ!もちろん加工もするんだぞ!部数は10……。いや、20部だ!」



 「そんなに印刷して何処に貼るのよ」



 言われ、「じゃあ5部にしよう」と下方修正を行う。そんな会話がおかしくて、だから部屋の中には笑い声が響いた。



 それから一時間後、遂に作品は完成した。妄想ディレクションの全てを詰め込んだ、まごうこと無き最高傑作。



 「試写会だ!スタジオで見よう!」



 言って、階段を駆け上がって行ったのは勘九郎とミアとサラ。他のメンバーはやれやれと頭を振ると、互いを称え合いながら階段を登った。



 スタジオに入ると、既にプロジェクターを開き、スクリーンを立て、窓と入り口にカーテンを引いて上映の準備を済ませていた。信じられない手際の良さには、尊敬を通り越して逆に呆れが浮かんでくる。



 「3回は見るぞ」



 「事情によってはもっと見るわ」



 「パンフレット書けるまで見ます」



 映画が大好きな三人は、横に椅子を並べ、そこに背筋を伸ばして座った。残りの四人はゆっくりと後ろに椅子を置き、どうせならと持ってきたポップコーンの袋を開けた。



 「ちょっと落ち着きなよ。再生は一先ず置いて、まずは乾杯でも……」



 「いいや!限界です!押します!」



 ミゲルの言葉を遮り、サラはプレイボタンを押した。暗がりの中、浮かぶように映像が映し出されると、彼らは口をつぐんで上半身を前のめりにした。さながら、スポイトで餌を貰うひな鳥のようだ。



 彼らがその姿勢で固まること75分。あっという間に上映は終了。外はすでに真っ暗になっていた。



 「ねえ、カントク」



 「なんだ」



 「これ持って、ドルビー・シアターに殴り込みましょうよ。オスカー受賞者も、きっと裸足で逃げ出すわ」



 ドルビー・シアターとは、ロサンゼルスにあるアカデミー賞(オスカー賞とも言う)の授賞式が行われる場所だ。



 「いいな。そしたら月に映画館を建てよう。月面のスクリーンで、地球に住む全員に見せてやるんだ」



 「いいですね。砂漠からも海からも、妄想ディレクションの映画が見られます」



 蕩けたように余韻に浸る彼らは、訳の分からない空想を語っていた。しかし、その姿を見守る四人も、今だけは絵空事にツッコミを入れる事はせず、パチパチと称賛の拍手を送ったのだった。



 さしものミアとは言え、やはり恋愛に関する演技はエリーに譲る他ないと考える。自分の知らない感情に本気になれる彼女が、ミアには無性に羨ましかった。



 「きっとすぐだよ、大丈夫」



 言って慰めたのは、やはり彼の兄だった。その声に一度だけ振り返ると、「そうね」とだけ呟いて再び前を向いた。



 視聴回数は、勘九郎の言う通り本当に三度に及んだ。何度も自分の頬を赤らめる表情を見られるエリーだったが、前のように照れた様子はない。何故なら、あの顔を向けた相手が、他でもない勘九郎だったからだ。



 彼女は、自分の恋に誇りを持っているのだ。



 ようやく照明をつけてワイワイと感想を語っていると、灯りに気が付いた警備員がやって来た。



 「もう、早く帰りなさい」



 言われ、彼らは浮ついた気持ちのままに校舎の外へ出て行った。校門を出ても興奮を冷めず、ひたすらに互いを褒めたたえていたのだ。



 ……そんな彼らが、ディスクをスタジオに忘れて行った事を、一体誰が責められるだろうか。翌日の朝、破壊された柵を見付けたのは、誰よりも早く訪

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る