第26話 6

 「よかったね。クロエが引き受けてくれて」



 「あぁ、だが俺には分かっていた。あいつも妄想ディレクションのメンバーだからな」



 事実、練習の際にはクロエは極力ステージで見学をしていたし、アイデアだって共に考えて来た。勘九郎に魅せられたエリーのように、彼女もまた楽しそうなエリーとミアに魅せられていたのだ。もちろん、普通ならばそれを根拠とするには少し物足りないだろう。



 台本に赤ペンでサインを付け、細かい部分を修正していく。インクが紙を擦る音が、部屋の中に響く。



 「私たちは、結構すぐに死んじゃうんだね」



 「あぁ、嫉妬した霊が主人公の周りの女を呪い殺していく訳だからな。ただ、出番自体は多いぞ。役も一つではない」



 「そっか。私も頑張るよ」



 話の後、エリーは勘九郎に寄りかかった。こうして腕に体温を感じるだけで、彼女は幸せになってしまう。何もせずに黙っている時だけは、嘘をつかずに済むのが嬉しいのだ。



 「……雨」



 突然、屋根を打つ雨音が旧校舎へ木霊する。一瞬だけ手が止まったのを、エリーは見逃さなかった。



 「大丈夫?」



 しかし、小さな声は勘九郎には届いていないようだ。板を叩くような音が、彼女の声を遮ったからだ。返事が無い事にまた寂しさを感じ、それを噛みしめる様にガムを噛む。甘さは、いつもよりも弱かった。



 やがて、勘九郎を作業を終える。凝り固まった肩をグルグルと回してほぐすと、ウトウトとするエリーを見て声を掛けた。



 「帰ろう。傘は持っているか?」



 「持ってない。でも、どうせカントクの家に行くしいいよ」



 部屋の隅には、ビニール傘が一本。予備でストックしてある物だ。



 「俺の家?なぜ」



 「ご飯作ってあげるって言ったじゃん」



 「……そう言えばそうだったな。だが気を遣うな。それに、夜遅いと親が心配するだろ」



 「ママには遅くなるって言ってあるから大丈夫。いいでしょ?」



 眠たいからか、耳元で囁くように喋るエリー。吐息を耳で感じる度に、ゾクリとした感覚に襲われる。これ以上寄られては敵わないと思うと、勘九郎は観念してその願いを呑んだ。



 一本の傘に二人で入り、電車とスーパーを経由してアパートへ。その間、会話らしい会話は無かった。彼女が作るのはハンバーグ。母親直伝の得意料理だ。



 「作るところ、撮影していいか?」



 「カントクが許可取るなんて変な感じ。別にいいよ」



 言われ、スマホでエリーの手元を撮影する勘九郎。料理をする、孤独な勘九郎にとっては、どこの家庭にもあるこの行為が特別に感じられた。



 「『シェフ』、と言う映画を知っているか?フレンチの店をクビになった男が、息子と元同僚の三人でアメリカを横断しながらキューバサンドを販売する話なんだが」



 「あ、それ知ってる!前にパパが見てた〜」



 珍しく、彼女が知っている映画だった。共通の話題が出来た事を、エリーは嬉しく思う。



 「あの映画、本当に良く出来ていると思うんだ。レストランのメインは料理人でなく料理だという拘りが、カメラワークやストーリーから伝わってくる。結末も、エリーの好きそうなハッピーエンドだぞ」



 言って、一挙手一投足を切り取るようにフレームに捉える。宿直室で感じた冷たさは、陽炎のように消えていた。



 「そうなんだ。実は最後まで見てないんだよね、持ってないの?」



 「あるぞ。見るか?」



 「うん!見る!」



 思わず力が入ってしまったのか、形成した楕円のタネが少し歪になってしまう。それを見て「あ」と呟くと、エリーは誤魔化すように笑った。



 フライパンに油を引いて、温まったらタネを置く。表面を少し潰すように広げると、蓋をして焼き上がりを待った。

 途中、ひっくり返すために一度だけ蓋を開けると、むせ返るような肉汁の香りがキッチンを包む。レンズ越しに見た蒸気に、勘九郎の心は踊った。



 「はい、出来たよ〜。ご飯は自分でよそってね」



 サイドに肉の脂で焼いた人参とピーマンで彩りを付け、デミグラスソースで味を付けたオーソドックスなハンバーグプレート。彼が学食以外でこんなに豪華な食事するのは、もう随分と久しぶりのことだった。



 皿を運んで、持参したカップにインスタントのオニオンスープを注ぐ。勘九郎にもいるかと尋ねると、彼は喜んでコーヒー用のマグカップを差し出した。



 「それじゃ、いただきまーす」



 「頂きます」



 箸でハンバーグを割って、小さめのサイズで口の中へ運ぶ。「おいひい」と自分の腕を褒めてから、彼女は勘九郎の顔を見た。



 「……えっ?どうしたの?」



 放心したように、ぼーっと皿を見つめている。声に気がついてキョロキョロと視線を確認してから、彼は絞り出すような声で言った。



 「う、旨すぎる。信じられん、こんなに旨いモノがあってもいいのか?」



 おっかなびっくり、断面を眺めてから再び口に入れる。目を閉じて味わうと、「明日死ぬかもしれん」と呟いてから米を食べた。



 「大袈裟だよ、でもありがと」



 エリーが彼にもたらしたのは、ただ温かい食事というだけではない。あの日に感じた死ぬ程の恐怖にも匹敵するような幸せを、勘九郎に味わわせたのだ。

 そして同時に、エリーは自分に取ってどんな存在かを考えるキッカケともなった。



 刹那的な思考のあと、吸い込まれそうな青い瞳が自分を見ている事に気付くと、彼は頬を人差し指で掻いて食事を続けた。誤魔化したのは、演技でない表情に魅了されたのが、生まれて始めての事だったからだ。

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