Für Kinder(執筆:livreさん)

 父親のようだ、と思った。とはいえ実の父に世話を焼かれた記憶などなかったが。

患う脚を抱えた母をあのあばらやに長く置くことは心配だった。しかしそれも訊けばループレヒトは「心配ない」と言うので、きっとこの大男はそこにも気を回してくれているのだろう。

母の話ではこの男は自分に罰を与えるはずだったし、本人もそう語ってはいる。しかし、どう後ろ向きに考えてもこれは罰になり得ない気がした。

何故なら心地良かったからだ。ループレヒトという異質の存在に手を引かれて教会へ入り、暖かい湯で身体を清められた事。彼や司祭に様々な事を教わり、ゆっくりと確実に、自分に出来ることが増えていった事。

確かに掃除の水は冷たく両の手にじんじんと沁みた。冬の土は硬い。鋤を入れるのは大変な力が要った。

それでも居心地の良い空間には違いないと感じていた。自分が何者かの役に立つというのは気持ちが良い。

それに加えて、自分の中でループレヒトの存在が大きくなっていることも知っている。あの家に〔良き父親〕が居ればこんな風だったのだろうかと想像する事が多くなった。

 父の顔は既に朧で、母を労る事も自分を慈しむ事もなかったように思う。挙げ句、他所に女を作って出て行った。

暴力こそなかったものの、代わりに関心さえない事は子供の目からも明らかだった。

それに比べてこの男はどうか。田畑の耕し方や掃除洗濯炊事、果ては簡単な家の修理に物作りまで、きちんと出来るようになるまで懇切丁寧に教えてくれる。流石に「遊んでくれ」とは言えないが、自分の年齢を考えればそれは自然だとも思えた。

 ある日の昼時、司祭に与えられたパン一つを齧りながら話をした事がある。

「ループレヒト、これは僕にとっての罰になっている?」

食事も摂らず隣に腰掛けていた大男は、声を掛ければいつもしっかり目を見て言葉を返す。

「なっているとも。教会での仕事は楽じゃないだろう。」

「それはそうだけれど……。」

楽ではないが、苦でもないのだ。労働の疲労感より達成感の方が遥かに優る。

「お前は無知で、浅はかだった。誰かに悪事を働かれたからといって、此方も同じく悪事に手を染めていい事にはならない。それをお前は知らなかった。時に、ものを知らぬことは悪だと言えよう。

だからお前は労働の苦しさを知り、対処の術を知り、あらゆる事象と闘わねばならない。」

ループレヒトの言う事を理解するのは容易い。間違っているとも思わない。けれどもやはり、この男はどうにも自分に対し優しく甘いように思えるのだった。


「もう良い。」

教会での奉公を三月と続けた頃の夜半だった。ループレヒトは唐突に言う。

「お前はもう良い。労働の苦を充分に理解出来た頃合いだろう。

今日はもう休んで、明日からは家の仕事をするのだ。母を守りながらな。」

この期間で既に新たな年を迎えており、自分の体格や技量が以前までとは変わった事を自覚していた。

三月の経過は短いようでいて長く、最早この暮らしが自分にとっての当たり前となりつつあった。故に、狼狽してしまった。

「どうして? 僕にはきっとまだ出来ない事が沢山ある。確かに仕事は大変だけれど、苦しいと思う程じゃない。

それに、それに」

罰の終わりはつまり、ループレヒトとは別れる事になるのではないか?

それ以上の言葉は紡げなかった。気付いてしまったのだ。この異質の存在と離れる事を、こうも苦しく感じる自分自身に。

 黙り込んだ頭上から声が降ってくる。それは初めてこの男と遭遇した瞬間によく似ていた。

「もう良いのだ。」


 まだ冷たい外気の中に、僅かばかりの確かな春の気配を感じる。帰路の途中では小さな兎の姿も目にした。

考える。ここまでが罰だったのか? それとも、哀れな子供の心境までは計算外だったか。

きっと後者だ、と思った。あの男は、妙な計略を立てるような人物ではない。

しかし自分にとってはどうしようもなく罰だと思えた。自分は、二度も父を失ったのだ。

 少し先に懐かしいあばらやが見える。それを見て、雪解けの前に屋根の雨漏りを直そうと思った。

それから畑の土を起こそう。上手くすればあの庭にだって、二人分くらいの野菜が作れるはずだ。

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KIND〜シャーデンズンプフの影〜 @shibachu

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