【手芸店『スミスミシン』の裏メニュー】より
初めてのバレンタイン 然太郎視点
↓本編はこちら
手芸店『スミスミシン』の裏メニュー ~和菓子とお茶、あります~
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894327449
↓長編を読むのはちょっとなぁ、という方向け
スミスミシンとマリーのワンピース
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894176606
僕にとって、バレンタインというのは正直恐怖のイベントだ。
たぶんものすごくおしゃれをしていると思われる女の子達が、きちんとセットしたはずの髪の毛を振り乱してきれいにラッピングされたチョコレートを僕に向かって投げつけてくる日なのである。
いや、彼女達は好きで投げつけているわけではないのだ。最初はちゃんと僕の真正面に立って、はいどうぞ、と手渡ししてくるのである。けれど僕がそれに手を伸ばしたが最後、
「ちょっと待ったぁっ!!」
の声と共に、その子のチョコは脇から飛んできた『何か』によって弾き飛ばされる。
――え? それがチョコなのかって? いや、さすがにそれはない。飛んでくるのは教科書とか、ノートとかメイクポーチとか、とにかくそういうものだ。
そしてその子が、弾き飛ばされてしまった自分のチョコを拾おうと僕から離れた隙をついて、その鞄の中のものを投げてまで彼女のバレンタインを阻止した別の女の子が現れるのである。
そしてこのやりとりは、恐ろしいことにこの一回では終わらない。次から次へと同じ手口でバレンタインを邪魔しようとする女の子が現れるのだ。
僕としては、どうして皆同じ手を使ってくるのだろうと首を傾げたくなるんだけど、とにかく何かを投げつけてくるのである。
お陰で僕の足元にはもう誰のものかわからない私物が転がるはめになり、少し離れた場所にはいろんなお店のチョコレートが散乱することとなる。そして、自分のはどれだ、と四つん這いになって、チョコを探す女の子達。これが東京とかだったら、ちょっとした事件として警察が動き出しているだろう。
ちなみに、手を貸そうものなら火に油を注ぐ結果となるため、僕は、警官に銃を向けられた犯人よろしくホールドアップ状態である。
そうして最終的には取っ組み合いの喧嘩が始まり、何とかチョコだけでも僕に届けようという思いからか、フリスビーの要領でそれを投げつけてくることになる、というわけである。
皆、知ってるだろうか。
チョコの箱というのは、案外硬い、ということを。
しかもフリスビー投法なので、回転も加わっている。チョコの箱が、僕の身体を削りとらんばかりの勢いで飛んでくるのだ。
一度首に当たりそうになったことがあって、さすがに剥き出しの皮膚は危険すぎると手で受け止めたんだけど、それが「受け取った」ことにカウントされてしまったらしく、そこから血で血を洗うようなバトルが展開されてしまい、その時はいよいよもって警察沙汰になったりもした。
そんな、ギャグ漫画のようなことが起こる恐怖のイベント、それが僕のバレンタインなのである。
あぁ嫌だ。
チョコなんて見たくない。
というか、そもそも僕はチョコよりも和菓子が好きなのだ。
いや、チョコだって嫌いというわけじゃない。むしろ好きではある。ただ、嫌な思い出とセットのようになってしまっているので、なるべく2月のこの時期は避けたい、というだけで。
だけれども、今年のバレンタインはいつもと違う。
彼女がいるのである。
その『彼女』というのは、その、『she』とかそういう意味の『彼女』ではもちろんない。恋人を意味する方の『彼女』である。
僕にとっては、初めての彼女、というわけではないんだけど、彼女は僕が初めての彼氏だ。だからきっと、とても気合いが入ってるんじゃないか、って思うわけだけど。
なんだけど。
まだ僕らがそういう関係になる前のこと。
僕と『彼女』のマリーさんはとても仲の良い友人だった。マリーさんは僕の手芸店に、毎週のように和菓子を持って遊びに来てくれたものである。
マリーさんは、僕と一対一で会って話していても飛びかかって無理やり唇を奪おうとも、身ぐるみを剥ごうともしなかった。普通に世間話をしたり、録画したバラエティ番組を見たり、お互いに見たことのある映画の感想を述べあったり、かと思えば一言もしゃべらずに黙々と本を読んでいたり。いま思えばその時から既に交際三年目くらいの雰囲気を醸し出していたような気がする。それがとても驚きで、また、心地よかった。
小さい頃からこの見た目のせいでモテにモテまくる僕に対し普通に接してくれる女性なんて、僕は自分の母親とかおばあちゃん以外で会ったことがない。
たまに、「私はあなたみたいな人、全然好みじゃありませんから」とわざわざ宣言してくる人もいるんだけど、どうやらそれは戦略というか、そういうものらしく、結局のところ、最後には僕に向かって好意を剥き出しにして襲い掛かり、僕にその気がないとわかると「もてあそばれた!」と周囲に泣きつくのである。泣きたいのは僕の方だよ。
だからきっと、僕はこの先、誰かを好きになることなんてないだろうし、バレンタインも恐怖のイベントとして、怯えてやり過ごすことになるのだろう、と思っていたのだ。
それなのに。
僕はあっさりとマリーさんに落ちた。
そう自覚してからというもの、僕はもう自分でも信じられないほど彼女にぞっこんである。どれくらいぞっこんかというと、このバレンタインというイベントをちょっと楽しみにしてしまうくらい、なのだ。
が。
「言っちゃったんだよなぁ……」
そう、言っちゃったのである。
それは、まだお付き合いする前ではあったけど。
「僕、バレンタインってものすごく苦手なんだ」
だって、その時は本当に苦手だったんだからしょうがない。その時はまさか、目の前にいるマリーさんが僕の未来の恋人になるなんて思いもしなかったんだから。するとマリーさんは、
「だろうねぇ。然太郎を取り合って、血みどろの戦いになりそう。こっわ」
と大げさに震えて僕を笑わせてくれた。
だから僕は彼女から、義理チョコすらももらったことはない。バレンタインとは全然関係ない時にチョコ大福を持って来たことはあるけど、2月は月の初めだろうが終わりだろうが、絶対にチョコ系(ココア味も含む)のお菓子を持ってくることはなかった。そんな気遣いもまた嬉しかったものだ。
だけど。
だけれども。
もう僕達は恋人同士なのだ。
あんなことやこんなことはまだしていないけれども、とにかく僕らは恋人同士、相思相愛の関係なのである。恋人達のイベントともいえるこのバレンタイン、せめて初めてのバレンタインくらいは、僕だって『彼女からのチョコレート』を楽しみにしても良いんじゃないだろうか。
そう思うけど、なかなか自分から「マリーさんのチョコがほしい」なんて言えない。だってあんなに苦手だ、嫌いだ、と言ってしまったのだから。
だからきっと今年のバレンタインももらえないだろう。
今年のバレンタインは運よく定休日に重なったというのに。
ああでも、マリーさんは明日もお休みを取ったって言ってたから今日はお泊りなのだ。そういうことを期待しているわけではないけど、単純に長く一緒にいられるのは嬉しい。今日はCMでやってた『バレンタインはカレー!』が美味しそうだったので、ベルモントカレーを一緒に作ることになっている。「ちゃんとご飯をハートの形にしてやんよ」と笑っていたので、きっとこれがマリーさんからのバレンタインということなんだろう。
うん、それで十分じゃないか。
さぁ、もうすぐマリーさんが来るぞ。張り切って部屋を片付けないと。
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