初めてのバレンタイン マリー視点

 さて、困ったことになった。

 バレンタインである。


 生まれてこの方、ただの一度もモテ期を通らずにここまで来た私、矢作やはぎマリーにとって、このバレンタインというのは、特に面白みもないイベントだ。いや、デパートの特設会場を覗くのはちょっと楽しかったりもするし、あー、これ食べたーい、なんて二つ三つ買っちゃったりもするけど。だけど、まぁ、そういうもの、というか。


 そう、本命にあげる、なんていうときめきキュンキュンなイベントではないのである。

 

 ただただ普段は絶対に買わないような、一箱三千円くらいの高級チョコレートを、こういう時だけだから、なんて自分に言い訳をして買う日、というか。


 とまぁ、そういう日だった。


 だったのだ。

 去年までは。


 ところがどっこい、今年はいるのである。

 何が、って?


 恋人ですよ。彼氏ですよ。

 出来たんですよ、この私にも。

 超絶恰好良いイケメンハーフ眼鏡の彼氏が。

 いまだに夢かな、って思う時があるけど。

 あれ、もしかして私、交通事故か何かに巻き込まれて昏睡状態だったりとかして、これって全部夢の話なんじゃない? っていまだに思ったりするからね? 付き合いたての頃はもう何度もほっぺつねってみたからね? ただただ痛いだけだったっつーの。


 そんなわけで彼氏が出来た以上、私もこのときめきキュンキュンの浮かれイベントに参戦出来ることになったわけなんだけど。


 問題がひとつ。

 そう、たったひとつの問題なんだけど、それがもう、めちゃくちゃ大きくて。東京ドーム何個分? ってくらい大きいやつなのだ。


 然太郎が、バレンタインが苦手、という。


 そりゃあそうだよ。

 あれだけのイケメンですもの。

 しかも彼は顔だけじゃなく、性格だって花丸満点だ。ここまで来たら、実は極度のマザコンです、とかそれくらいのエピソードがあったとしてもモテてしまうだろう。

 そんな彼だから、バレンタインにはもうほんとギャグ漫画みたいなキャットファイトが展開されるらしく、トラウマになっているらしい。


 なんて話を聞いてしまったらですよ。

 そりゃあチョコなんてあげられませんって。

 こういう関係になる前、友達だった頃でも義理チョコすらあげられなかったっつーの。然太郎が可哀相だし、それにほら、女の子達ってどこで見てるかわからないから。あの然太郎に私みたいな地味子がチョコをあげたなんてことが知られたら、私たぶん四肢切断の上で市中引き回しとかそんな感じだから。


 だけど、今年は違う。

 私は然太郎の彼女なのだ。

 彼女からのチョコレートだったら、もしかしたらもらってくれるんじゃないだろうか。そんなことも考えてしまう。いや、きっと然太郎のことだからもらってくれるとは思う。彼は優しい。だからこそ、無理をしてもらってほしくないとも思う。


 ああ、どうしよう。

 人生初めての本命チョコ、本当は私だってあげてみたい。彼のために、ってチョコ売り場を何往復もして、然太郎は和菓子が好きだから、やっぱり抹茶のチョコかな、とか、味は普通のチョコだけど、きれいな和柄がプリントされたチョコが良いかな、とか、そういうのやりたかったし、何なら手作りでも、とか。だけど、でも、ああ、ううう。


 ベッドの上でゴロゴロと転がり、ああでもないこうでもないと呟く。とりあえず14、15日と連休を取ったから、お泊りなのだ。まぁ、をするかは別として、バレンタインを一緒に過ごせる、というだけでも私にとってはかなり特別ではあるし、それに、CMで見た『バレンタインはカレー!』ってやつもやる予定なのだ。ご飯をハートの形にする、というだけではあるけど、まぁ十分バレンタインっぽい。だから、まぁ、チョコはダメかもしれないけど、これで精一杯バレンタインな感じを出せれば、良いかな、と。


 うん、だから、まぁ、バレンタインだけど、チョコは、あきらめて、うん。ああ、でもやっぱりあげたかったなぁ。


 今度はダンゴムシのように膝を抱えて丸くなる。

 ああ、いまの私、いつも以上にブスだわ。こんなブスがあんな超絶イケメンの彼女で良いのかしら。本当に良いのかしら。


 いや、良いわけがない!


「良いわけがあるかぁっ! なめんな! この私を!」


 思い出すのよ、矢作マリー。

 モテなかったからこそ、私は一人で頑張って来たのよ。

 一生独身だろうから、女一人でも立派に食っていけるようにって手に職もつけた私よ。

 どんなに困難な案件も、どんなに面倒くさいクライアントも、むしろ燃える、とこの腕一本で黙らせてきたじゃない。


 自立した大人の女をなめるなよ。

 待ってなさい然太郎。

 アンタのそのトラウマ恐怖のバレンタイン、このマリーさんがまるっと上書きしたろうじゃん!!


 うおおお、と一人、部屋で吠えると、さすがに時間も時間だった(AM0時)からか、お隣さんから結構強めの壁ドンをいただいてしまった。反省。



 ……と吠えたものの。

 やはりアレは深夜の謎テンションだったのだろう。

 一晩明けると一体何に興奮していたのだろう、とやけに冷静な自分がいる。


 それでも一応、そんな謎テンションの私も私ということで、他ならぬ私が決意したことであるし、と、一応バレンタインは準備した。もちろん、ベルモントカレー以外のバレンタインである。ま、まぁ、渡せそうな雰囲気になったら、サッと渡せば良いかな、みたいな。うん、そんな肩肘張った感じじゃなくてね、うん、サッと。ササっと渡して、さ、カレー食ーべよ、みたいな感じで切り替えちゃえば良いのよ。まさか然太郎だって、ぎゃあチョコだー! みたいなことにはならないだろうし。……ならないよね? 


 そんなことを考えつつ、いざ、その時である。

 カレーは出来上がり、あとはご飯が炊けるのを待つばかり、という段だ。もっとキャッキャウフフとイチャイチャしながらやれば良かったのに、いつもの癖でちゃっちゃと手際よく作ってしまったため、ご飯が炊けるまであと10分くらいある。


 渡すとしたら、いまだろうな。行くのよ、マリー。サッと渡して、然太郎が何か微妙な顔をしたら、もっかいカレー温めておこうかしらホホホ、みたいに誤魔化して席を外せばオッケーオッケー。


「ぜ、然太郎!」

「わぁ、何、マリーさん。急に大きい声出して、どうしたの?」

「え? あれ、そんなにおっきかった? あはは、おっかしいなぁ」

「大丈夫だよ。どうしたの? お腹空いた? ご飯はあと10分だからもう少し我慢だよ」

「え、あ、そうね。お腹空いたよねぇ」

「カレーの匂いって、空腹時には凶器だよねぇ。もういますぐ食べたくなっちゃう」

「わかるー」


 わかるー、って、いや、そんな話がしたいんじゃなくて。


「いや、あのね、然太郎、そうじゃなくて」

「何? 喉乾いた? いまお茶を――」


 と、冷蔵庫に伸ばした手を掴む。


「そうじゃなくて。あの、ちょっとここで待ってて。ああ、お茶は淹れてくれても良いんだけど」

「うん? わかった」


 もうこれで後戻りは出来ない。やっぱなし、なんて言えるわけがない。ベッドの上では「ごめんやっぱ無理」でお馴染みの私ではあるけど、今回ばかりは逃げられないのだ。


 鞄の奥底にしまってあったそれを手に取り、ふんす、と鼻息荒く彼の待つキッチンへと向かう。


「これ!」

「わぁ、な、何?!」

「バレンタイン! だから! えっと、ごめん!」

「ごめん、って何が?」

「然太郎、バレンタイン苦手なのに、ごめん! どうしてもあげたくて。その、こういうのあげるのほんと初めてで、もう一生縁がないと思ってたから、その、初めてあげる人がいるって思ったら、やっぱりあげたくなっちゃって。その、自分勝手でほんとごめん!」


 彼のお腹辺りにそれを、ずい、と突き出し、一気にそう言うと、私の手の上にあったその箱が、ふ、と軽くなった。然太郎が受け取ったのだとわかる。


 ものすごく嫌な顔をしていたらどうしよう。

 嫌で嫌で泣いてたりしたらどうしよう。


 そう思って、恐る恐る顔を上げると、彼は、いままでに見たことがないくらいに真っ赤な顔をしていた。耳まで、というか、首まで赤くなっている。えっ、何これ。もしかしてアレルギー反応!? どうしよう、まさかこんなレベルだったとは!

 

 これは緊急事態! と慌ててポケットからスマホを取り出し、119番に電話をかけようとしたところで、それは奪い取られ、私は、真正面から強く抱きしめられた。強く、って、もうそれは本当に強く。ちょっと息が詰まるレベルのやつ。


「ぐえええ。く、苦しい」

「マリーさん。マリーさぁん」

「ま、マリーさんです。あの、苦しい……」

「嬉しい。僕、本当に」

「ぐえぇ、ま、マジで? それは良かった。けど、あの、苦しい……」

「好きな人からもらうチョコがこんなに嬉しいなんて知らなかったよ、マリーさん」

「そ、それは何より……」

「ありがとう、マリーさん」

「ぐええ……」


 結局、私のSOSはその後も無視され続け、いよいよもって酸欠を起こした私が逆に救急車を呼ばれそうになるという、とんでもない事態に発展し、私達の初バレンタインは忘れたくても忘れられない思い出となった。


 然太郎は切腹でもしそうな勢いで詫びてくれたけど、それはそれとして、彼がそこまで私からのチョコを喜んでくれたことに、私としては大変満足である。


 

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