さよなら風たちの日々 第11章ー1 (連載32)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第32話


              【1】


 信二の大学、飛雄祭でのロックイベントは都合10バンドが出演してのイベントとなった。ジャンルはR&B系、ローリングストーンズ系、ハードロック系など様々で、ぼくたちナマラビートルズは8番目に登場。会場の雰囲気から、アップテンポの3曲、ヘルプ、ハードディズナイト、シーラブズユーを演奏した。そしてアンコールはしっとりしたイエスタディを歌い、ぼくたちのステージは大きな拍手、歓声の中で成功裡に終わった。

 ぼくと信二、ベンジはそのステージでマッシュルームカットに似せたカツラをかぶっていたので、本物の雰囲気が出ていたし、ドラム担当のしぃさんは、キュートな女性ということもあって、たちまち人気者になった。

 ぼくたちはこれを機会にいろんなイベントに参加して、ビートルズを演奏することにした。もちろん来年の飛雄祭にも参加決定だ。


               【2】


 その学園祭が終わってしばらく経ったある日の夕方。ぼくは京成電鉄お花茶屋駅の商店街に立っていた。

 信二に背中を押され、ヒロミに会うためだ。背中を押され、なんて人のせいにしているけれど、ぼくの本心は実はそれを口実にしているだけなのだ。

 はやる心を押さえ、ぼくはお花茶屋の商店街を歩いた。この商店街のどこかにヒロミがやっている喫茶店があり、ヒロミがいるはずなのだ。

 ベンジに教わっていたので、その場所はすぐ分かった。一階に洋品店が入っている建物の二階に、その店『喫茶店ポール』はあったのだ。

 階段脇に置かれたUCCコーヒーの看板には、ブルーマウンテンコーヒーのロゴ。

そして『喫茶店ポール』の名前。

 すこし気恥ずかしさを感じながらぼくは、看板を見る。

 ヒロミはどんな思いでこの喫茶店に、ポールと名づけたんだろう。

 進学はしないんです。父がお店を三軒やってるので、そのうちのひとつを任せてもらうんです。

 そう言ってヒロミが目を輝かせながら話していたのは、彼女が高校一年生のことだった。その上野公園の売店で偶然流れていたビートルズの歌。それを聴いて何か含みのある笑顔でぼくを見たヒロミは、やはりぼくがポールと呼ばれていたことを知っていたのだ。そのときヒロミはすでに、喫茶店の名前を『ポール』にすることを決めていたのかもしれない。文化祭でビートルズを歌ったのは、ヒロミが入学する一年前のことだから、ヒロミはおそらく誰かにそれを教えてもらったのだろう。

 でもなぜ、とぼくは思う。ぼくはヒロミを抱き寄せ、強引にキスしようとした。それが無理だと分かるとぼくは彼女の身体をまさぐり、力づくで犯そうとした。それもダメだとなるとぼくは彼女をシーラカンス女とののしり、さらに「おまえの涙なんか、見飽きてるんだよ」と言って、彼女を傷つけた。

 目にいっぱい涙を浮かべ、偏頭痛を押さえるような敬礼をして、みずからをシーラーカンス女と呼び、ぼくの家から出て行ったヒロミ。

 そのヒロミは今もこうして、ぼくを思い出にしているのだろうか。

 その思い出の中に自分を閉じこめ、暮らしているのだろうか。

 いや、それは思い出なんかじゃない。呪縛だ。もしもそれが呪縛ならばぼくは、その呪縛を解き放してやらなければならないんだ。


              【3】


 階段を上がって、ドアを開けてみた。店内にはジャズが流れている。確かこれは、マイルスデイビスのカインドオブブルーというアルバムに収録されているソーホワットだ。これでなぜヒロミの父親がジャズのレコードを4000枚以上持っているか分かった。ヒロミの父親が経営している店は、ジャズ喫茶だったのだ。

 店内に入った。その内部は淡いオレンジ系の照明で統一されており、道路側に面した窓はステンドグラスになっている。そこには四人掛けの席が二組設けられており、その奥は通路を挟んでさらに四人掛け席が四組並べられてあった。

奥側の壁には、ゴッホの油絵の複製画。厨房は左側の衝立に仕切られた、その奥にあるらしい。レジはドアの出入口前に置かれ、音響装置はその背面に設置されている。店内には若い男の子、女の子たちがそれぞれのグループになって談笑している。

彼ら、彼女たちはもしかして、葛飾野高校の生徒かもしれない。


 空いた席に座っているとやがて、トレンチにチェイサーとおしぼりタオルを載せた小柄な女性が近づいてきた。その女性はぼくよりすこし年上で、二十代半ばくらいに見える。

 ぼくの前に立ったその女性を見て、ぼくは目を丸くした。すごくきれいな女性だったからだ。

 いわゆるうりざね顔で、目が黒目勝ち。さらに鼻も唇も小さめなので、それがどこかなまめかしい。ぼくがさらに驚いたのは、そのマリさんと覚しい女性はテレビの音楽番組によく出ていた歌謡バンドの、二代目ボーカリスト女性によく似ていたからだ。

 ぼくはその女性にコーヒーを注文してから、訊いてみた。

「失礼ですが、マリさんですか」

 その女性は少し驚いて、

「はい。そうですけど」といぶかしそうな目をぼくに向ける。

「ああ、やっぱりそうでしたか。実は葛飾野高校の後輩から、マリさんのこと訊いてるんですよ」

 ぼくが釈明するとマリさんは、ああ、そうですか、とでも言うように警戒していた表情をやめ、微笑んだ。

「ヒロミママ、いますか」

 ぼくが続けて訊ねると、マリさんはよちょっと驚き、「はい。いますけど」と返事してから、どちら様でしょうか、というように首をかしげ、ぼくの言葉を待った。

 ぼくは破裂しそうな心臓を押さえるために、いったん深呼吸し、呼吸を整えてかた、言った。

「ポールです。ポールが来たって伝えてください」




                           《この物語 続きます》



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さよなら風たちの日々 第11章ー1 (連載32) 狩野晃翔《かのうこうしょう》 @akeey7

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