第8話 鬼退治

「銀……!」

 島の洞窟の奥底で一人岩のように動かず、静かに座るその背中に、桃瀬は勢いよく飛びついた。

「……!」

 驚いたらしい背中の主は肩を大きくびくつかせ、瞬時に立ち上がった。そしてその勢いに少しだけ驚いた桃瀬が今度は足を滑らせた。

 パシッ

 次の瞬間、受け身を取るはずだった桃瀬の腕が大きな手に掴まれていた。

「……ありがとう。」

 桃瀬は礼を言うと、改めてその青年の顔を見た。

 先程と変わらず見開いている目と額から伸びた角を、少しくせのある銀髪が隠している。自分の腕をつかんでいる手は思っていたよりも大きい。手だけではない。さっき飛びついた背中も、今目の前に立っている身体も、昔とは別人のように大きく逞しくなっていた。

「小桃……か?」

 ようやく口を開いたその鬼は、桃瀬の懐かしい名を呼んだ。

 小桃はその名を聞いた瞬間、自分がようやく家族の元に、銀の傍に帰ってきたことを知った。そのうるんだ瞳からきらりと光るものが落ちるのと、銀がその震える肩をたぐり寄せたのは同時だった。

「……っ」

 気づけば小桃は銀の腕の中にいた。十五年ぶりに会ったその鬼は何も言わなかったが、それでも小桃には伝わった。銀のぬくもりが、懐かしい匂いが、強く抱きしめる腕が、今再び銀の元に帰ってきたことを物語っていた。

 そして、それは銀も同じだった。何年経っても、何をしていても。誰といても、いなくても、銀にとって小桃がいなくなったあの日から自分の周囲だけが凍り付いたように寒かった。

 幼い小桃が夜の間に海に流され、目が覚めた時には既に小桃は鬼ヶ島から姿を消した後だった。大人たちにどんなに事情を説明されても、銀は納得できなかった。小桃の幸せは小桃が決めることだ、まだ何もわからない子どもを俺たちの我儘で知らない土地に、誰かに渡す方がどうかしてる、と大人たちを詰った。その時の傷ついたような、悔しそうな大人たちの顔と、小さく震える頭領の強く握り込んだ手は、今でも忘れられない。

 それから時が流れるにつれ、銀は小桃の幸せについて考えるようになった。あの小さな少女にとって、家族同然の自分たちといた方が幸せだったのではないかという気持ちと、頭領がいうように自分たち鬼との違いに傷つく前に同じ種族の人間と暮らした方が良いのではないかという考えが、銀の心を寒く冷たい場所に一人、閉じ込めてしまった。

 しかし、それが今腕の中の小さな少女によって開かれた。ゆっくりと腕をほどき、目の前の少女を見るとそれはやはりあの頃と変わらぬ小桃の姿だった。いや、少し、大分大人びたか。照れたように笑う小桃の笑顔に手を伸ばし、その濡れた瞳から零れそうになっている雫をそっと拭ってやると、

「小桃」

 再びその名を呼んだ。昔は小桃に名を呼ばれることの方が多かった銀は今初めて愛しい人の名を口にする幸せを知った。


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桃が咲く場所 お鈴 @pomme-candy

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