第7話 鬼

「ん……。」

 桃瀬はまぶしい朝日に目を細めながら、重たい体を起こした。パッパッと衣についた砂を落とすと、桃瀬は思いっきり伸びをした。

「んー……、っと。」

 伸びをしながら桃瀬が見上げたのは巨大な怪物が口を開けているかのような洞窟だった。

「……ただいま。」

 そう言って、昼でも暗い洞窟の中に桃瀬はそっと足を踏み入れた。

 

 桃瀬が初めて鬼と出会ったのは赤ん坊のころだった。女だからという理由で捨てられたその赤ん坊は小さな籠に入ったまま川に流された。そして、まだ生まれたばかりのその子が流れついたのが、鬼ヶ島だった。

 鬼ヶ島は島のほとんどが洞窟で、浜辺になっているのは島の東側の一部だけだった。もし赤ん坊を乗せたその籠が、それ以外の場所についていたなら、尖った岩や硬い石で無事では済まなかっただろう。その赤子は奇跡の子だ、選ばれた子なのだと、鬼たちに大層歓迎された。

 当時の鬼の頭領は、その赤子に小桃さももという名を与え、衣や食料を与え、生きる場所を与えた。日に日に可愛らしく成長するその人間の子どもを鬼たちは大層可愛がった。

 幼い小桃には幼馴染もできた。ぎんという少年だった。浜辺で小桃を拾ってきたのも銀だ。銀は無口で大人しい少年鬼で、五つ下の小桃を妹のように可愛がっていた。皆、家族のように暮らす鬼ヶ島では、大きな洞窟の中で寝食を共にしており、小桃と銀はいつも一緒に行動していた。小桃も普段は無口な子どもだったが、表情がころころと変わるため、銀はもちろん、周りの鬼は皆、小桃の思っていることは大体分かった。

 小桃も小桃で、ほとんど口を開くことのない銀が何を思い、考えているのかが不思議とよく分かった。

「ぎん!」

 小桃が名を呼ぶと、銀は決まって、

「……ん。」

と、手を差し出した。小桃は嬉しそうにその手を握ると、銀を見上げて花が咲くように笑った。そんな暖かい春のような幸せな日々が、気付けば三年も経っていた。この先もこんな日々が続くのだと誰もが信じて疑わなかった。

 しかし、ある日の晩、頭領は皆を集めて言った。

「あの子は人間じゃ。この先、我らと共に暮らしていくにはいろんなことが違いすぎておる。」

 頭領はその子を人里へ返してやろうと言った。幼い今なら、記憶もいずれ薄れよう、まだ引き返すことができる、大人になって我らと共にいることに、我らとの違いに傷つくのはあの子だと。

 誰よりもその子のことを可愛がり、実の娘のように愛情深く育てていた者の言葉に反対するものなど、誰一人いなかった。まだ幼い少年鬼を一人、除いては。


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